源氏物語と共に

源氏物語関連

紫の上の独白 <あぢきなくもあるかな>

2008-01-15 09:43:39 | 登場人物
若菜の巻は源氏物語の中でも毛色が違う文章である。
今までの物語の語りとは一転して人間の心理をついてくる。


因果応報などの重いテーマがあり、
人物の内面を深く描いて読む方としては、気持ち的にはしんどいものがある。


その昔、「源氏物語って暗くない?」と聞いたのは
洒脱な近世が好きな友人であった事を思いだす。
その時はそうかな~?と思っていたけれど、後に結構ネクラだと私は悟った(笑)


その頃は、清少納言はどうしてもでしゃばり女に見えて好きでなかったが、
今となっては、こちらの方が裏がなくて良いかもしれないと思うようになったのは不思議だ。


紫式部は一見しおらしく見えて、実はコワイ人だ。
ここは明石の上に似ているかもしれない。


源氏は明石の事をこのように紫の上に言っている。



心やすきものに思ひしを、なほ心の底見えず、際(きわ)なく深きところなむある人になむ。
うはべは人になびき、おいらかに見えながら、うちとけぬけしき下(した)にこもりて、そこはかとなくはづかしきところあるこそあれめ (若菜下)




流石に光源氏は良くわかっている。
しかもこの時の紫の上の返答がまた涙もの。
やはりうちとけにくく、こちらが心はづかしく思うありさまがみえるが、
私のたとへなきうらなさを明石の上はどう思っておられるかきがひける。
しかし、(明石)女御はおのづからゆるしてくれるであろうと言うのだ。


そんな素晴らしい紫の上であったが、
若菜下の紫の上の独白が心に残った。


女楽の後、きん(琴)の上達のお祝いを言いにと
光源氏は女三宮の所に行きあちらに泊まる。
一人残された紫の上は、女房達を相手に昔の物語を読ませる。
どんな浮気者、二心のある男にかかわった女も
最後にはよるべきかたができるという昔物語であるが、
自分はそうではない、あぢきないとついに思うのであった。



『かく世のたとひに集めたる昔語りどもにも、あだなる男、色好み、
二心ある人にかかづらひたる女、かやうのことを言ひ集めたるにも、
つひによるかたありてこそあやしく浮きてもすぐしつるありさまかな、

げに、のたまひつるように人よりことなる宿世もありける身ながら、
人の忍びたく飽かぬことにするもの思ひ離れぬ身にて止むなむとするらむ、
あぢきなくもあるかな』(若菜下)




この言葉は藤壷が亡くなる前に書かれていた言葉に似ている。



『御心のうちに思し続くるに、高き宿世、世のさかえも並ぶ人なく、
心のうちに飽かず思うことも、人にまされる身』 (薄雲)




お互いに宿世にめぐまれながら、両者とも常に飽かぬもの思いを感じているのである。


共に37歳という所にも不吉さを感じる。
その人生にあじけなさを感じた時、紫の上はついに発病するのであった。


その前の場面で光源氏は紫の上の事を
『かの一節の別れより、あなたこなたもの思ひとて心乱り給ふばかりのことあらじとなむ思ふ。
后といひ、ましてそれより次々は、やむごとなきといへど、皆かならずやすからぬもの思ひ添ふわざなり。
高きまじらひにつけても、心乱れ、人にあらそふ思ひの絶えぬもやすげなきを、
親の窓のうちながらすぐしたまへるやうなる心やすきことはなし。
そのかた人にすぐれたりける宿世とはおぼし知るや。
思ひのほかに、この君のかくわたりものしたまへるこそは、なま苦しかるべけれど
それにつけては、いとど加ふる心ざしのほどを
御みづからの上なれば、おぼし知らずやあらむ』(若菜下)


須磨の別れがあったが、心乱れるばかりの事はない。
后などの身分の高い人にも物思いはつきまとう。
天皇の寵愛を競うという事があるが、あなたは親(光源氏)のもとで苦労しらずにきた。
その点では人よりすぐれた運勢だったという事はおわかりでしょう。
しかも、三宮降嫁がつらかったであろうが、更に私(光源氏)の愛情が加わったのを
自分(紫の上)の事ゆえ、お感じにならないかもしれないがという。


この光源氏の言葉についてはちょっとおかしい、自分勝手な観点ではないかと思った。
須磨での別れでは、紫の上からみれば、つらい別れの上に
明石の上とその子供というびっくりするような事柄があったし、
女三宮降嫁の件では、何よりも傷ついたのは紫の上ではなかったのか。



『のたまふやうに、ものはかなき身にはすぎたるよそのおぼえはあらめど、
心に堪へぬもの嘆かしさのみ、うち添うや、さはみづからの祈りなりけるとて、
残り多げなるけはひ、はづかしげなる』(若菜下)





紫の上は更に出家したいと思うのだが、光源氏を前にして強くも言い出さずにいる。
それは子供の頃に略奪されて、常にものはかなき身(よるべのない身)だからである。
このあたり、2人の観点の違いを非常に感じる。男と女の観点の違いであろうか?


源氏物語にはこういう男と女の観点の違いを描いた物語だと思う時がある。
おそらく宇治十帖の浮舟と薫の観点の違いも同様ではないだろうか。


紫の上は藤壷の形代であって、光源氏にとっての1番は藤壷であったのだろうか?


そして大変飛躍的ではあるけれど、
一条天皇の中宮定子が兄伊周(これちか)の失権で尼になったが
一条天皇の所へまた入った事なども思い出す。


道長の娘中宮彰子にとっては、皇子誕生、位も極めたにせよ、一条天皇にとっての1番の想い人は光源氏の藤壷のように定子のみだった事を感じていたかもしれない。


定子は結局何人目かのお産で早く亡くなり哀れであったが、
そんな事なども同時代に生きる紫式部は見ていたのだろうか。


若菜は本当に読むのに気が重い。
紫の上の苦悩が見える。
しかし、これがなければ源氏物語は単なる薄っぺらい物語にすぎないであろう。


紫式部の筆はいよいよ次の悲劇である因果応報の密通
柏木と女三宮事件に向かっていく。