源氏物語と共に

源氏物語関連

薔薇(5)

2007-06-28 08:06:51 | 
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今朝、<ロサ・キネンサス・センパーフローレンス>の薔薇が咲きました\(~o~)/

クリムソン色というのか、濃い赤系で少しピンクがかっています。
そうび(薔薇)重ねの色と似ています!

これが源氏物語の薔薇でしょうか?
大きくはないけれど、色が鮮やかで目を引きます(^^♪
苗がまだ小さいせいか、ミニバラのような中輪で房咲きのようです。

平安の昔に階段の元に咲いていたら、パッと目を引く事でしょう☆

朝からとても嬉しいです\(~o~)/

クリムゾン色
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%82%BE%E3%83%B3_%28%E8%89%B2%29
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和琴

2007-06-27 15:55:53 | 音楽
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源氏物語には音楽の場面が大変多い。

当時の貴族は教養の一つとして、琴や笛などを必要とされた。

特に琴について考えたい。

当時の琴は、
きんの琴(7弦)、和琴(6弦)、筝の琴(13弦)琵琶があった。(山田孝雄<源氏物語の音楽>より)

枕草子には琴は描かれているが、源氏物語のような場面設定や音楽論はない。

単に音楽の催しや、こういう名前の琴があったという自慢話の存在でしかない。
<93段無明の琵琶の御琴>

琴をかきならして折りにあうという音楽描写は源氏物語の方がはるかに優れている。

式部は琴柱、ゆの手など、実際の演奏手法も知っているようだ。

源氏の音楽の才能を褒めた文がある。
絵合
『文才をさるものにて言わず。さらぬ事の中には、琴(きん)ひかせ給ふことなむ
 一の才にて、つぎには、横笛、琵琶、筝の琴をなむつぎつぎに習い給ふ』

ここに<和琴>が入っていない事に注目したい。

常夏で、猛暑の月末に光源氏は玉鬘の所を訪れる。
撫子が色々咲いている夕暮れ時。
篝火をたき、そこにあった和琴をかき鳴らしてみると、
ちゃんと琴の調子が整えてあり、これで普段もかき鳴らしていることがわかった。

和琴を田舎育ちの玉鬘が知っていた事に驚く源氏は、
玉鬘の父(頭中将)が当代一の名手である事を玉鬘に話す。

そして、玉鬘に和琴をひく事をすすめるが、
聡明な玉鬘は弾かない。
田舎で習った琴など源氏の前ではとてもひけないだろう。
ここは明石の上が琴の名手と聞いて、源氏の前で紫の上が琴を弾かない場面と同じ心理で似通っている。

和琴は<あずま>とか<わがつま>と呼ばれ、日本のものである。

きんの琴は紫式部の時代にはすたれてしまったようであるが、
中国のものであるようだ。
<楽の統>とされる。
『琴者楽之統也。君子所常御不離於身。(風俗通)』 (山田孝雄源氏物語の音楽)より

和琴には君子の側にあるというような品格はない。

光源氏が玉鬘にむかって
『あづまとぞ、名も立ち下りたるようなれど』 (常夏)

田舎育ちの浮舟に対して薫が
 『 あはれわがつまはといふ琴(こと)は、さりとも手ならし給ひけむ』(東屋)
などの記述がある。

学生時代にこの事について調べたが、面白い結果が出た。

柏木のひく和琴の音は、玉鬘にまだ見ぬ父頭中将を思いおこせ、
 『御琴は中将(柏木)にゆづらせたまひつ。
  げにかの父大臣(頭中将)の御爪音にをさをさ劣らずはなやかにおもしろし
  御簾のうちにものの音聞き分く人ものしたまふらむかし・・』
 
 『・・姫君(玉鬘)も、げにあはれと聞きたまふ』
 
 『絶えせぬ仲の御契り、おろかなるまじきものなればにや、
  この君達を人知れず目にも耳にもとどめ給へど・・』         (篝火)

若菜で頭中将とともに和琴をひく柏木は

 『何事も上手の継ぎといひながら、
  かくしもえ継がぬわざかしと、心にくくあはれに思す』(若菜)

と、頭中将同様に和琴の名手と評される。

後に薫のひく和琴の音にも、玉鬘には兄柏木ひいては昔の父頭中将の音を思いださせるものであった。

『おほかたこの君(薫)は、あやしう故大納言(柏木)の御ありさまにいとようおぼえ、
琴の音などもただそれとこそおぼえつれ』 (竹河)

『故到仕のおとど(頭中将)の御つまおとになむ、かよひ給へると、聞き渡るを、まめやかにゆかしうなむ。』(竹河)


つまり和琴こそは頭中将ー柏木ー薫 という頭中将家の重要な表現であるといえよう。
絵合で光源氏の音楽の才能から和琴をはずしたのは、この理由ではないだろうか。

実際、玉鬘十帖は和琴の登場が多い。

面白い事に、宇治十帖では琴(こと)を弾くのは薫が多い。
匂宮は琵琶を少し弾くぐらいだ。(これも明石の筋故か?)
しかし、薫の君は、和琴の他、琵琶、きんの琴などをまんべんなく弾く。
光源氏ほど沢山は弾かないけれど、音楽的な立場から見ると、
後半の主役は薫といえるのではないかと私は思う。

 写真は和琴(実物は見たことがありません!)
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薔薇(4)消えたそうび(薔薇)

2007-06-23 08:28:11 | 
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先日、薔薇について色々述べましたが、
こちらのサイトにそうび(薔薇)の歌2首が載っていた事を知りました。
山野遊歩
http://www.sol.dti.ne.jp/~tmorioka/wasure-hana/bara.html (記事後半部分)


推定では、1070年に後三条帝の頃、西国のさる受領の所で歌合せが庚申の日に行われ、そうび(薔薇)で2首詠まれたとの事。
この歌合わせは、小さい規模の歌合わせだったようですが
そうびの実例が載っていて興味を引きました。

不思議な事に、その後さうび(薔薇)が和歌などで表記される事は少なく、
私のいう源氏物語の薔薇コウシンバラはどうなったのか?

重ね色目にもちゃんと残っている薔薇が、室町時代にあってもよさそうなのに、
何故か和歌にも詠まれず注目されなかったという事は疑問です。

もっとも、今の現代バラのような美しい姿ではなかったにしろ、
白系のノイバラでなく赤系ですから目にとまっても不思議ではないと思うのですが。

ノイバラの実は<営実>として漢方薬に利用されていたようなので、
何も価値のないそうび(薔薇)はすたれてしまったのでしょうか?
それとも単に貴重なので種類が少なく、普段はあまり見る事ができなかった?

その後江戸時代になって、万葉集同様ノイバラは俳句などにも出てくるようになり、
明治以降にやっと現代バラが文学に登場するようです。

画像はノイバラの実(富士山の植物http://www.mfi.or.jp/isoda/fuji1.htmlより)
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あふち色

2007-06-22 09:49:05 | 
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蛍の巻では、花散里の近くの馬場で騎射の催しが行われます。

『菖蒲かさねのあこめ、二藍の羅(うすもの)の汗衫(かざみ)着たる童女(わらはべ) ぞ、西の対のなめる。
 
 好ましく馴れたる限り四人、下仕(つかへ)は、あふち(楝)の裾濃(すそご)
 撫子の若葉の色したる唐衣、今日のよそひどもなり。
 
 こなたのは濃きひとえがさねに、撫子がさねのかざみなどおほどかにて、
 おのおのいどみ顔なるもてなし、見所あり。 』 (蛍)
 
私はこの楝<あふち>を知りません。
あふち色を吉岡幸雄<色事典>の<楝(おうち)色>で見ましたら、

『おうち(楝)の木の花のような薄い青紫色。センダン科で8メートルあまりになる。
5~6月に咲く。
そして、センダンの古い呼び名だが、
「フタバより芳しい」といわれる栴檀(センダン)は香木の白檀(ビャクダン)の異称であり、このおうちと全く異なる』
とありました。(最初の写真)

こちらのサイトに楝の花が載っています。確かに薄い紫色です。
http://www2.mmc.atomi.ac.jp/web01/Flower%20Information%20by%20Vps/Flower%20Albumn/ch2-trees/sendan.htm

同じ本の右ページに<菖蒲色>についても吉岡さんの説があり、面白かったです。
菖蒲を<あやめ>と読むか<しょうぶ>と読むかによって植物そのものが基本的に異なる。
あやめはアヤメ科。しょうぶはサトイモ科。前者をハナショウブと呼べば少しはわかりやすいと。
万葉の頃からの歌などに出る菖蒲・あやめはサトイモ科。水辺に生育する。
五月五日の節句に軒に挿される。
江戸時代元禄の頃に<しょうぶ>と表記されるようになった
いわゆるハナショウブとしてあやめ科の菖蒲が、その花びらの色から赤みのある紫系の色として登場するのは、江戸時代後期。

長崎盛輝<かさねの色目>でも、楝かさねは表薄紫と裏青(緑)でした。これは納得!

菖蒲は表青(緑)裏濃い紅梅となっています。(2番目の写真右)
そして、左ページの若菖蒲は表淡紅裏青、根菖蒲も表白裏濃紅。
何故か赤系の色が入っています。
菖蒲がさねは表菜種裏萌黄 黄色が出てきます(左ページ下)

重ねについても諸説あるので、どれが本当かわかりません。

杜若(かきつばた)も、表淡い萌黄裏淡紅梅と長崎氏の本にあり、
吉岡氏は表二藍裏萌黄、表萌黄裏淡紅梅などの諸説をあげ、
あえて紫根で染めた表紫裏萌黄にされていました。

本当に現代とはまた色の感覚も違いますし、植物そのものも現代と違うかもしれませんが、なかなか面白いと思いました。
それにしても様々な色合いがあったという事、重ねにそれを取り入れたという平安時代の文化には驚くばかりです。

これも日本に四季があったからこその恩恵でしょう。
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薔薇(3)コウシンバラ

2007-06-21 10:52:35 | 
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荻巣樹徳「幻の植物を追って」による説(抜粋)

『欧州では昔から、自生の<ロサ・ガリカ>のバラを愛好して育種や
香料利用を行ってきたが、あくまでも一季咲きである。

18世紀~19世紀に中国にやってきた欧州人が中国のバラを持ち帰り、
初めて現代バラに四季咲きを導入した。

現代バラの誕生にかかわった中国のバラは4種類

○スレータズ・クリムソン・チャイナ(紅色)
○ヒュームズ・ブラッシュ・ティー・センテッド・チャイナ(薄紅色)
○パーソンズ・ピンク・チャイナ(ピンク色)
○パークス・イエロー・ティー・センテッド・チャイナ(黄色)

いずれも、<ロサ・シネンサス>と<ロサ・ギガンテア>の雑種といわれている。

複数の植物図鑑を見ると、
コウシンバラの学説には<ロサ・シネンサス>があてられている。
ロサ・シネンサスについては長い間論議されたがよくわからない。
最近ではロサ・シネンサス・センパー・フローレンスという種類がそのものか、
それに近いのではないかといわれている。

中国で<ロサ・シネンサス>の漢名を引くと<月季花>
<長春花>もそう書いてある場合がある。
長春花は一説オールド・ブラッシュとも。
いずれも、四季咲きで、中国でも総称として使われていたことも考えられる。
コウシンバラとは、中国原産の四季咲きバラの総称とするのが妥当ではないか。

しかし、このロサ・シネンサスとロサ・ギガンテアの雑種起源に長い間
疑問を持っていた。房咲きが出現するからである。
両方とも房咲きの性質はない。ノイバラの形質によるものではないか。
最近では、シネンサスそのものがノイバラと自然交配して生まれたものと考える。
実際、DNA分析によると、多くのチャイナローズにノイバラの血が入っている。

<ロサ・ギガンテア>は芳香が素晴らしい。花も大きく白色で半つる性。
中国名<巨大薔薇>
19世紀に中国で栽培されていた<香水月季>がヨーロッパに導入されて、
これを<ロサ・オドラタ>と命名された。
茶の若葉の香りがするので、ティーローズともいう。

オドラタは芳香のあるロサ・ギガンテアとロサシネンサスの雑種とされる。』

かなり所々の抜粋になりましたが、非常に専門的な解説を載せました。

以前紹介した大場秀章<バラの誕生>にもロサシネンサスをコウシンバラとし、
その数種ある標本の事などが詳しく載っています。

専門家ではないので、よくわかりませんが、
とにかく源氏物語の薔薇は中国産のコウシンバラであるという事がわかりました。

断定するには早いかもしれませんが、
特に重ね色目から考えると、クリムソン・チャイナの紅色が
表紅裏紫の色に近いのではないかと思うので、ピンク色ではなく
源氏物語の薔薇はこのコウシンバラの色ではないかという事にしておきます。

源氏物語の薔薇は、うまらといわれる日本古来からあるノイバラの白色ではなく、
中国原産のコウシンバラといわれる薔薇。その色は赤系という事にします。

文献も少ないので、今後も色々な説が出てくるのが待たれます。

実際、私が行った植物園の係の方は、
野村和子小学館「オールドローズ花事典」にある<ロサ・キネンシス・スポンタネア>の写真をさして花弁5種の一重咲きで紫紅色、紅色、白色がある。これではないかと言われ
ました。

その説明には半つる性、2,5mとあり、1983年に荻巣樹徳が四川省で発見。
一季咲きと。そしてこれ以外のキネンシスは四季咲きで、どうしてキネンサスは四季咲きがそうなったか明快な答えが出ていないとありました。

やはり自然変異なんでしょうか?

とにかく1000年以上も昔の薔薇。実物は見られません。

たぶん紅色だろうという事で、私は先日見かけたクリムソンチャイナのバラ苗を買いました。しかし、つけてもらった名札を見ると<ロサ・キネンサス・センパーフローレンス>

この学名は荻巣樹徳さんのいう通りの名前です。わ~!
蕾があるので、咲くのが楽しみです。赤色で買ったのですが、ピンクだったりして・・(笑)
そして、鉢に植え替えたので、実は枯れないかと心配しています(笑)

ピンク色のオールドブラッシュも興味があります。
機会があれば、調べてみようと思います。

また、表記で荻巣さんは・・シネンサスとされていますが他は・・キネンサスとなっているので、読みの違いか?同じものと考えました。

ちなみにバラという名前は、万葉集のうまら→うばら→ばらになったという見解をどこかで見ました。

こちらのサイトはバラの歴史と日本文学の例が載っていて面白かったです。
飛騨みの花紀行
http://www.pref.gifu.lg.jp/pref/s11334/hanakiko2004/gifubara/01.html

写真はロサ・ギガンテア(幻の植物を追って)
ロサ・キネンサス・スポンタネア(オールドローズ花図鑑)、現代のオールドブラッシュ
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