梅の開花が今年は早いように思います。
通り道で楽しみにしていた蝋梅の香りも終わり、
マンションの片隅に咲く小さな白梅がパッと目につくようになりました。
小ぶりな枝のせいか、なかなか清々しく感じます。
そしてその近くの家の梅に似た鮮やかな赤いボケの花。
さて、紅梅には赤とピンクがあります。
紫の上がよく着ていた紅梅はどちらの色なんでしょうか?
紅梅色は染色、織色、かさね色にみられます。
私は紅梅は染色材料では、藍の下染めと紅花をかけることから、
少し紫がかったピンク色と感じます。
紅梅のかさねは表紅裏蘇芳を使用する場合もありますので、
紅花系の明るい赤ではないように思いますが。
ちなみに紅は「くれ(呉)の藍(染色をさす)」が「くれない」となりました。
長崎盛輝氏は「日本の伝統色」で紅梅をローズピンクとされていました。
吉岡幸夫氏も「色辞典」ではピンク系です。
ピンク色の紅梅がすでにあったのでしょうか?
普通は赤色のように思いますが、
ほんのりと紫を感じさせる赤色だったのかもしれません。
これまでに色を調べてみてわかった事は、
平安時代の色彩はすべて自然界の季節・植物から取っているという事、
そしてその植物は最初は漢方の薬草として日本にやってきた事がわかりました。
万葉の古代ではいわゆる紅の赤と藍の青、原色が好まれたと、
伊原昭 平安朝の文学と色彩 中央新書 S57年
にもありましたが、
ぱっと目に入る赤色が好まれたようです。
もちろん、赤色は高貴な人しか着られないという事もあったでしょうし、
赤色であれ、紫色であれ、着ることを許されない人は
それよりも薄い色「許し色」を着た事もわかりました。
何度も色を重ねて赤や紫の濃い色を出すには労力も富も大変ですから。
一斤(いっこん)染めという色は、薄い紅花染めの色のようです。
平安時代には、素晴らしい細かな色彩感覚が生まれています。
折に合ったというのでしょうか、その季節に合った色彩感覚。
確かに、かさね一つをとっても、
見事にその植物の色を表しているように思います。
枕草子でも紅梅を3・4月に着るのはみっともないとあります。
しかし、桜に限っては
桜色に着物を染めて、花が散った後も桜を楽しむという事もありました。
「さくらいろに衣はふかくそめてきん 花のちりなん後のかたみに(古今集)」
「さけどちる花はかひなし桜色に ころもそめきて春はすぐさむ(和泉式部集)」
紫式部日記では、
彰子の皇子の五十日(いか)の祝いの席で
女房達の着物について様々な描写があります。
裳におめでたい小松原(賀の歌に詠まれる)や
白銀の州浜(すはま)に鶴などの趣向をこらしたものは素晴らしく、
そうでないものはみっともないというような表現がありました。
「・・・・少将のおもとの、これらには劣りなる白銀の箔を人々つきしろふ」
女房達がつつきあって劣っているのを笑いあったという事ですね。
袖口の色合いが良くなかった人が給仕係りになったという事も書いています。
非常に華美にも思いますし、色々と大変な世界だとも思います~
江戸時代にも着物が華美になって競い合うようになり、
禁止になったものもあると、吉屋信子「徳川の夫人たち」にあったと思います。
見えない裏地にひそかに凝った人達もあったようですが、
昔も今も女性というのは大変です。
さて、平安時代の色の感覚ですが、
先ほどの本に、手紙に添えて花の枝などを送る場合は、
同系色でまとめるのが常識だとありました。
紅梅の枝を添えるなら、同じく赤系の紙に文を書く。
これが常識だそうです。
源氏物語の近江の君は、青き色紙に撫子の枝をつけ、
反対色という事で笑われました。非常識という事ですね。
また、かさねで、「匂ひ」は同じ色系のグラディエーション。
だんだん薄く、だんだん濃くとなっていきます。
しかし、左・右に別れて何かを競う物合(ものあわせ)という遊びの場合には、
左方は赤、右方は青(緑)の反対色の衣装となります。
栄華物語では、春秋の歌合の時に、春側の女房は春の色彩の着物、
秋側は秋の色彩色、と豪華な様子が描かれているそうです。
春は紅梅・山吹・萌黄など。秋は紅葉・移ろい菊、朽葉など。
何だかちょっとクラクラしそうな豪華さです。
源氏物語の絵合の時も、左右に別れて色彩を決めていたと思います。
しかし、今と違って、いわゆる草木染めで色をあらわしているので、
意外にも実際には、すっきりした味わいなのかもしれません。どうでしょう?
季節柄、紅梅色が、とても気になります。
もうすぐ北野天満宮の梅花祭でしょうか。
雪をかぶった紅梅になるかもしれません。
画像は「日本の伝統色」と「色辞典」より。