源氏物語と共に

源氏物語関連

柏木と女三宮

2008-01-23 12:10:52 | 登場人物

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柏木と女三宮の悲劇


『ただかばかり思ひつめたる片端聞こえ知らせて、
なかなかかけかけしきことはなくて止みなむ、と思ひしかど、
いとさばかり気高うはづかしげにはあらで、
なつかしくらうたげに、やはやはとのみ見えたまふ御けはひの、
あてにいみじくおぼゆることぞ、人に似させたまはざりける。


さかしく思ひしづむる心も失せて、いづちもいづちも率て隠したてまつりて、
わが身も世にふるさまならず、跡絶えて止みなばや、とまで思ひ乱れる。


ただいささかまどろむともなき夢に、この手馴らしし猫の、
いとらうたげにうち鳴きて来たるとおぼしきを、
何しにたてまつらむと思ふほどに、おどろきて、いかに見えつるならむと思ふ。』
                                  (若菜下)
                                


柏木は蹴鞠の時に、
唐猫騒動で引き上げられた御簾の端に居た女三宮の姿を見てしまう。
以来、女三宮に夢中になり、その唐猫まで手に入れて可愛がる有様。


女三宮の降嫁で立場が苦しくなる紫の上の苦悩。
おりしも紫の上が発病して、光源氏はそちらにかかりきりになり、六条院は手薄になる。
そんな中、ついに柏木は小侍従の手引きで女三宮の寝所に入る。


女三宮は光源氏が来たと思ったがそうではなかった。
思いのたけを話す柏木に、女三宮は以前に小侍従から聞いていた人だと気付く。
女三宮はびっくりしてただ震えるばかり。


柏木は、女三宮は立派な身分の人だから、想いを伝えるだけで、
色っぽい事はしないでおこうと思っていた。
しかし、女三宮はそれほど気高く気のひける感じがせず、
やさしく可憐な感じで「やはやはと(柔らかに)」上品で美しく、
普通の人と違う感じに見えて、自制心も失せてついに思い乱れてしまった。
そして猫の夢を見て目が覚める。女三宮は懐妊する。


若菜の巻では、盛んに女三宮の<いわけなき>(幼さ)を強調しているが、
実際に会ったこの場面の女三宮は『なつかしくらうたげ』という言葉や、
『やはやはと』いう表現が使われていて面白い。
若い柏木が自制心を失ったのも、仕方がないと思わせる描写である。


もともと、女三宮の姿をはじめて見た時も、
夕暮れでいつもよりも奥深く見えたという表現があった。
『夕ぐれなれば、さやかならず、奥深き心地するも、いと飽かずくちをし』(若菜上)


こういう所なども、紫式部は非常に上手に描いていると思う。


後に、柏木が今になって思えば女三宮はしっとりしてたしなみ深い様子はお持ちでない、
夕霧が言うように御簾の端にいるとは、軽々しいと気付くのであるが、
しかし高貴な人だから、あまりにもおっとりと上品でまわりに気を許しすぎて
こういう事になったと心配するあたりも柏木の女三宮への愛情を感じる。


この柏木との密通場面は、こと細かな描写がなされている。
ふと源氏と藤壷のはじめての密会までも想像でき、
その後の展開で、いかに源氏と藤壷が秘密を守るために賢かったかという違いまで感じさせる。


ここでは、女三宮の柏木に対する感情がもう一つはっきりと見えない。


ただ信じられない成り行きに女三宮は子供のように泣くばかり。
強引に事を成してしまった柏木は、何とか言葉を聞かせて欲しいと頼み、やっと女三宮は歌をよむ。


(柏木)『おきてゆく空も知られぬ明けぐれに、いづくの露のかかる袖なり』 


(女三宮)『明けぐれの空に憂き身は消えななむ 夢なりけりと見てもやむべく』
と、はかなげにのたまふ声の、若くをかしげなるを、ききさすやうにて
出でぬる魂はまことに身を離れてとまりぬるここちす  


柏木は声も最後まで聞かず魂が身を離れて止まる気持ちがした。
この<出でぬる魂が身を離れる>という言葉はふと六条御息所を感じさせる。     


その後も紫の上の様子は良くならず、予想通り六条御息所の物の怪が出る。
そんな騒ぎの中、何度か柏木は女三宮に逢うようだ。


『かの人(柏木)は、わりなく思ひあまる時々は、夢のように見たてまつりけれど、
宮(女三宮)、尽きせずわりなきことにおぼしたり』若菜下


相変わらず、女三宮はわりなき事に思いながら逢っている。


そして懐妊したと聞いて女三宮を久しぶりに訪れた光源氏は
ついに女三宮が隠した柏木の手紙を見つけ、真実を知り愕然とする。


この光源氏の心理描写も長文ながら、大変素晴らしい。
因果応報、ふと自分と藤壷の秘密事も
桐壺帝は知っていたのではないかと思うのであった。


光源氏に真実を知られた事を知った柏木は病気になり、薫が生まれた頃に死んでしまう。
女三宮も光源氏のしうちと罪の恐ろしさに出家してしまう。


光源氏は五十日の祝いで薫を抱き、色々と思う。
(ここが源氏物語の素晴らしくて、奥深い所である)


国宝源氏物語絵巻の薫を抱く光源氏の表情は秀逸!


柏木が死ぬ時の女三宮の気持ちもまだ勉強不足でよく判らないが、女三宮の歌は良い。
 
(柏木)『今はとて燃えむ煙もむすぼほれ、絶えぬ思ひのなほや残らむ』


(女三宮)『立ち添ひて消えなまし憂き事を思ひ乱るる煙くらべに
       おくれるべうやは 』
この『おくれるべうやは』の言葉は女三宮の言葉にしては強い。
自分もお産で死んで、後を追うつもりなのであろう。


いよいよ最後と、柏木は鳥の跡のような字で歌をよむ。
柏木『行方なき空の煙となるぬとも思ふあたりを立ちは離れじ』


お産の後、女三宮は出家する。
哀れな2人の悲劇である。
光源氏ににらまれ、源氏と藤壷の2人のように最後まで秘密を守れなかった正直な二人。


女三宮は柏木を愛していたのか?それとも・・
ただ、光源氏は柏木と違い、
外面のみで自分を大事にしていたという本心は判っていたと思う。


 『誰が世にか種をまきしと人問わば、
           いかが岩根の松はこたえむ』(柏木)
柏木死後、女三宮にむかって皆が離れた時に、
皮肉にも柏木の事を言う源氏のいやらしさを感じる歌である。


その後もたびたび若々しいという表現がなされる女三宮は、
次第に光源氏から離れて少しは成長していく。


この若菜の巻の女三宮の降嫁は、柏木との悲劇をおこし、
ついに光源氏にとっては最愛の紫の上まで亡くすという展開になる。


藤壷の幻を追い続けた光源氏の哀れさ。


色々と奥深い源氏物語である。