ささやかな幸せ

SUPER EIGHT、本、美術鑑賞、俳句、お茶が好き!
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おばあちゃんちの思い出

2015-08-15 20:23:54 | 日記
叔父の初盆で大分へ帰省。
おばあちゃんちは、なつかしいにおいがする。土間だからだろうか。
玄関を開けると、右手になんだかわからない倉庫のような小部屋。これは、昔、小作人が年貢を納めにきた米俵を入れていた場所らしい。
左手は、昔はかまどがあったが、今は倉庫になっている。
上がりかまちは、磨きこまれて黒光りしている。母は、小さい頃、雑巾でふいたあと、乾いた雑巾でからぶきをしていたそうだ。楓ではないかと言う。
あがると、二畳ほどの小さな部屋。その奥が、仏間と寝間になる。トイレは、昔、お客様用と家族用があり、祖父母は決してお客様用のトイレは使わなかった。
縁との境には、雪見障子がある。ガラスには、富士山と帆掛け舟の絵が擦りガラスで描かれている。私は、小さい頃からこの障子が大好きだった。
縁には、籐の椅子がおいてあり、祖父が一日中すわって庭をながめていた。庭には、立派な松が植わり、池には錦鯉が泳いでいる。幼いころ、祖母から麩をもらって、鯉にあげるのが楽しみだった。しかし、今はもう池はない。庭には、防空壕が掘ってあり、戦後は、生ゴミの捨て場になっていた。
寝間には、板戸の納戸があった。そして、家族用のトイレに行く縁がついていた。
玄関の小部屋の横は、茶の間。二階へ続く階段がある。階段を上ると、中二階が一間と二階に二間がある。
茶の間の横はお風呂場と台所、洗面所。これは、私が小さいときに増改築されたものだと思う。昔、お風呂は外で五右衛門風呂だったから。洗面所も昔は石だった。
お勝手の外には井戸があり、夏には、タライにすいかがよく冷やしてあった。祖母は、井戸水は夏冷たく、冬は温かいとよく言っていた。井戸の滑車は木でできていた。戦争中に鉄の供出で滑車を出したので、木で作ったらしい。でも、今は井戸にフタをして使っていない。
風致地区なので、外形は土壁・瓦屋根などいろいろ制約がある。天井の板や柱はそのままの黒っぽいまま。がいしと母が言う瀬戸物のものもついている。叔父は、リフォームをして一年後に亡くなった。
手伝いのつもりだったが、勝手がわからず、地元に住むいとこと いとこのお嫁さんにまかせて、叔母や叔父たちと話をする。ただいるだけなので申し訳なく思っていると「来てくれるだけで仏様は喜ぶ」「初盆は一回しかないから」と叔父や叔母が言ってくれる。都会から都合のいいときにやってくる親戚に田舎の親戚は優しい。そうやって私だけでなく、役に立たない都会から帰ってくる親戚たちに言い続けてきたのだろう。
盆だからだろうか、ふとした時に今は亡き人の思い出が次々に浮かんでくる。こまねずみのようにくるくるとよく働いていた祖母、背が高く几帳面だった祖父、叔父のやさしい笑顔。
顔が全然似ていないと思っていた母と叔母が歳をふるにつれ、そっくりになってきたこと。叔母と娘のいとこが口調や姿勢がそっくりなこと。叔父の携帯の待ちうけが、亡くなった奥さんだったことにしんみりとしたり、14年ぶりに会ったいとこと話したり、いとこの小学生の子どもたちがかわいいと親戚中で話題にしたり。
こうして私の帰省は終わった。
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