goo blog サービス終了のお知らせ 

おしゃべりな庭、静かな庭

「今日はどんな日?」  季節や日々の暮らしの中で・・・

12月半分過ぎる。

2011-12-17 01:16:33 | 心の風景

12月が、瞬く間に過ぎていきます。

さすが師走、恐るべしです。

そして、今日からは冬将軍到来で、各地で初雪の便り。

寒いです。

 

最近、辛い知らせが二つありました。

夫が昔からお世話になった先輩と、最近親しくしている後輩の二人が、

集中治療室で、必死の治療を受けているという知らせです。

長野に住む先輩は60代、岡山に住む後輩は40代と二人ともまだ若く、働き盛りの元気な方たちです。

忙しくも賑やかな季節ですが、お二人の回復を祈りつつ、周りのご家族の気持ちを思うと祈りの12月になっていました。

祈ることしかできないのですが、夫は週末岡山までお見舞いに出かけるつもりです。

毎年、ふじりんごと、ピオーネぶどうを送ってくださる二人です。

今年も長野の奥様からは、辛い時期なのに、変わらずりんごを送っていただき、大切に噛みしめて食べています。

赤いリンゴが、悲しく感じるのは初めてです。

 

毎日、朝日に向かって祈っています。

 

 

       

                                 

先日、お使い物を買いに久しぶりにリープリングに出掛けると、クリスマスの飾りがきれいでした。

華やかな季節であることを思い出しました。

やはりクリスマスの風景は、いいですよね。

緑と赤のクリスマスカラーも好きですが、こんな白いガラス球のオーナメントも静かな聖夜をイメージさせていいですね。

職人魂を投入したこんな飴細工もありました。

くよくよせずに、元気を出して、日々のことをもくもくと・・・。

女子の元気のもと、赤いケーキを食べました。

上から時計回りに、イチゴタルト、ナポレオン、マロンロールケーキです。

店の外に出ると、こんなランタンが灯されていました。

このランタンは、実は焼き菓子の入っていた容器です。

我が家の庭木にも一つ吊るしてみたいテラコッタのランタンです。

 

 

 

 

 

 


家族の写真

2011-10-20 20:47:55 | 心の風景

10月14日、朝日新聞朝刊(静岡県は東京版)の、

静岡県の地方欄に第56回県写真展の入賞作が、掲載されていました。

カラー写真の部、最優秀賞。

何気ないお茶の間の、祭りデビューのお孫さんを囲んだ風景。

日本中にあふれている家族の笑顔が、とてもいい一瞬を捉えて秀逸。

 

家族写真ばかりの写真展ではないと思うのですが、

今年は震災や、相次ぐ自然災害の影響も反映してか

家族の絆や、日常を切り取った作品が多いようでした。

私が気に入ったのは、モノクロ写真の部、最優秀賞。

「反省」というタイトルが、このモノクロ写真の中のいろんなストーリーを想像させて思わずニンマリ。

夫は、3人兄弟の真ん中っ子なので、いろいろ自分の幼い頃の記憶がよみがえるのか大笑いしてました。

私の写真は、風景や自然物が多いですが、人物写真は一瞬の動きや、表情が奥深くて、

すっかりノックアウトされてしまうものに出会うと、嬉しくて、誰かに伝えたくなりますね。


「雨ニモマケズ」は、恩師の教え

2011-04-12 15:30:03 | 心の風景

昨日、今日と、大きな余震がずっと続いています。

せっかく復興に向けて動き出した、希望が挫けませんように。

大地が静まることを、ただただ祈っています。

               

 

岩手で生まれ育った詩人で、童話作家の宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が、

大震災の惨禍に打ちひしがれる人達へのメッセージとして、国内や海外に広がっているという。

ネット動画、「kizuna311」で、俳優の渡辺謙さんも、静かに朗読しているのを聞いた。

中学時代の恩師が、思春期の生意気盛りの私たちに、半ば強制的に暗唱させた詩だった。

久しぶりに、じっくり声に出してみた。

 

  雨ニモマケズ

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

欲ハナク

決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ

小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ッテコハガラナクテモイイトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒドリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ

 

中学時代の幼い私には、「賢治、立派過ぎだし、頑張り過ぎだよ~。」と思えた言葉が、

今、この時に静かに染みてきます。

この詩は、賢治が亡くなる2年前に、病床で、手帳に鉛筆でしたためたもの。

実は、ほんとの題名は、「十一月三日」なんですね。

3.11を逆からよんで11.3、何か運命的な絆を感じます。

私も、賢治ほどは出来ないけれど、

東に不安がる娘が居れば、支援物資を送り、

西に死と老いに苦しむ父あれば、行って大丈夫だと言い、

近くに就活に苦心する子あれば、諦めずに少しずつと励まし・・・

日々の暮らしの中で、サウイウモノニナレルように気持ちを強く持って、みんなで助け合っていきたい。

恩師は、不思議なバイタリティーに溢れた国語の先生でした。

一度社会人として苦労されて、教師になり、民話の再話をライフワークにされていました。

かなり若くして、賢治のように駆け抜けて、今はこの世にはいません。

今は亡き先生の教えが、今この時、強く心に響きます。

                 



日常を取り戻すために・・・

2011-04-05 17:18:09 | 心の風景

4月になりました。

ブログを3週間もお休みしてしまいました。

家族や父の状況の変化で、いつもにも増して慌ただしい年度末でした。

ただ、東日本大震災から、日、一日と様々な情報が入ってくるのだけれど、

そのどれもが、私たちの想像を超えたものばかりで、時は動くのに、心が止まってしまって、

私は、どんな言葉を発しても空しい様な、歯がゆいような、それでいて目の前の現実を、もくもくと片付ける日々でした。

我が家の3月のカレンダーです。

絵本作家のいわむらかずおさんの14ひきシリーズは、あまりに有名ですが・・・

「  おとうさん おかあさん

   おじいさん おばあさん

そして きょうだい 10ぴき。

      ぼくらは みんなで

       14ひき かぞく。」という書き出しで始まる絵本です。

東北地方は、今も三世代の大家族が、都市部より多かったと思います。

今回の震災は、朝夕の家族が一緒の時間でなく、昼間3時前という家族が学校や職場で活動する時間に起こりました。

離れ離れだったり、家族を助けに行こうとしての被災には、胸が潰れそうになります。

子を失った父母、親や、家族を失った子供、14ひきの家族と同じように、どの家族一人一人も、かけがえのない存在。

遺体すら見つからない過酷な状況ですが・・・

どうか心の平安や、日常の暮らしが、少しでも早く取り戻せますように。

     

我が家の庭でもいつもの年のように、華やかな花達が咲きだしていますが、ついつい小さな野の花に、目が行きます。

今年は、ムラサキケマンが、たくさん咲いています。

先日アップした背の低いタンポポも、北斗6☆のように、春の光の中、ピカピカ光っています。

   

斑入りのアオキの赤い花、アケビのころんとした花、こんなにも春でいっぱい。

ヒュウガミズキも満開です。

ミツマタの花も、白から黄色に変わって、青い空に映えています。

黄色い花は、元気がでますね。

何だか曇っていた目や心の底に、ぱ~っと光が差し込むみたいに。

花どころではないかもしれませんが、被災地の避難所の山間部にも、

遅い春が巡って来て、いつもの山野草や、花木に心和まされますように・・・

先ほどのニュースで、低濃度汚染水を、海へ放出、高濃度汚染水の放出を防ぐための、苦渋の選択と、告げていました。

原発のニュースを、見る度に、人間は、自分たちの手に負えないものを、造ったのですね・・・と思わずにはいられません。

現場の方たちが、命をかけて、必死に何とか道を探っています。

被災者を想い、節電や自粛、でも経済が回って行くために、平生に戻せることは戻し、戻れる人は戻る時。

どんな時でも、日は沈み、一日を終わりにしてくれる。

そして、目覚めるたびに、別の一日が始まる。

明日は少しだけ笑顔が増えると信じて、前を向いて。

月や、星、太陽、変わらないものを見つめて、あの愛おしく懐かしい日常を、取り戻していく。



    


今年の桜も咲きだしました。

桜の咲く季節を、これから迎えることが、救いとなりますように。   



 


沈黙、沈黙、沈黙・・・3月11日、たくさんの春が失われました。

2011-03-16 15:38:16 | 心の風景

3月11日の金曜日から、時が止まってしまったかのように、沈黙。

そして、ただただテレビから流れだす情報を、見守る日々でした。

東日本大震災、そう名付けられた震災は、あまりにも私たちの想像を超えていました。

津波や火災で攻め立てられるように、たくさんの人々の、

日々の暮らしや、歴史、そして大切な命や故郷をさらって行きました。

小さな島国、日本の真ん中辺りから、普通の暮らしのありがたさを噛み締めつつ、

多くの方のご冥福をお祈りします。

そして、一つでも多くの命が助かりますように・・・

  

はこべのはな、小さな強い花、

      

たくさんの植物が芽吹いて、北国の美しい春を待っていたのに・・・


    

大好きな金のビロードに包まれた、コブシの花芽。

何も起こらなければ、私の街の満開の花は、もう少しで、北国まで、めぐって行ったのに・・・

  

山形でも、春の早い頃咲くはずの、サクランボのなる桜、わが街では、いつもの春で、申し訳ないくらいに美しい。

  

自分が出来ること、少しずつ重ねて行きます。

庭の小さな花達を、花束にして捧げます。

昨夜、東海地震を長年予想され続けてきた、わが街もかなり揺れました。

浜岡原発は、福島第一原発より、危ないと、住民の中には、戦い続けてきた人も多いです。

日本に住む限りは、誰もが被災者になり得る可能性を受け入れて生きています。

日本人同士支え合って、日本が大きく試されている日々を、謙虚に感謝して、乗り越えたいと思います。

被災地の方々の、多くは語らず、辛い中にも朴訥とした話し方や、たくましい女性の笑顔、

そして何より、子供たちの笑顔や涙、前向きな立派な行いには、涙が出るほど救われます。

希望の星・・・という言葉が浮かびました。