震災から一年たちました。
三月十一日、いつのまにか暗号や記号のように、「3.11」みたいに扱われることに、慣れてしまっている私たち。
新聞に大きく見開きで載ったこの写真の前に、ただただ佇んでしまう・・・
「がれきを何とかしなければ」、この言葉も一人歩きして、あまりに有名になったスローガンになっているけれど、
いまだに遅々としてなかなか進まない大きな課題ですね。
今朝の新聞の静岡欄に、私の暮らす浜松市でも、被災地のがれきが、5月下旬から試験焼却されることが載っていました。
静岡県では、いち早く島田市が試験焼却で放射線量が低いことを立証し、受け入れを表明していますが、
地元住民は喧喧諤々、大きな議論になりました。
子育て中のお母さんや、農家の方々、観光業界の方は、特に今後について、心配な気持ちが大きいです。
討論番組などでは、被災地からがれきを移動させず、宮城、福島、山形三県に、集中処理施設を作る案も紹介されていますが、
国の方針として、各県で分担して処理と方針が決まった今、説明会などにも足を運び、自分たちの問題として、取り組みたいです。
がれきと一言で言っても、ただのゴミではありません。
写真でもわかるように、被災地で暮らしていた人の、毎日の記憶の残る家やオフィスの建物のかけら、
家具や思い出の品、たくさんの価値があったものを飲み込んで、含んでいる存在です。
大切に引き受けて、処分させていただく・・・という気持ちも大切かと思います。
震災後一年を経て、新聞やテレビで、たくさんの特集が組まれました。
今だから、振り返って出せるもの、未来のために検証すること、目の当たりにして、またいろいろと考え込んでしまいました。
止まったままの時と、過ぎていく日々が、被災の地には混在している。
何度かブログに書き込もうとして、なかなか出来なかった私です。
いくつかの印象的な言葉を、留めておきます。
1. ~その「絆」の文字も過剰な使用に摩耗気味だ。井上ひさしさんが健在なら「つるつる言葉」と呼ぶかもしれない。
便利に使われ過ぎて意味も実体もすり減ってしまう言葉を、そう称していた~天声人語より
2. 2009年の郵便不正事件で、虚偽公文書作成容疑等で逮捕、起訴されるも翌年無罪になった村木厚子さんは、
被災者の方の姿を、~逮捕された私自身が、「被害者」とか「かわいそうな人」という枠にはめられて
つらかった時期の記憶と重なります。その立場に固定されてしまって、心が動けなくなると言ったらいいでしょうか。
人間は災いに打ちひしがれながらも、そこから動こうとする力を持っています。
その強さ、しなやかさを周囲が抑え込んではいけないのだと強く思います。~と述べ、
天台宗大阿闍梨・酒井雄哉さんの『一日一生』という本の中の
「一日ずつの積み重ねでしょう」、「身の丈に合ったことを毎日くるくる繰り返す」という言葉を引用されて、
今ここにいる自分が今日一日で出来ることをやって、その結果は結果で受け止めようと考えたらラクになりましたと話されていました。
3. 先日読んだ『困っているひと』の著者、大野更紗さんは、出身地福島への思いを講演で述べています。
~sympathy(同情)やempathy(共感)が尽きた時に残るcompassionに注目する。
passionは受難や情熱、comは共にするということだ。~
引用の仕方がとりとめありませんが、書き留めたかった言葉、いろいろでした。
私の感想なんかは置いといて、
やはり大きな災いに見舞われて、この状況がいつかは終わるのだろうか、自分は頑張れるのだろうか、
とまったく先が見えないような不安に取りつかれながらも、何とかやってきた人の言葉には、心打たれます。
あきらめかけていたものが、立ち上がる瞬間。
この桜の木は、昨年の春にアップしたのと同じ早咲きの桜ですが・・・
昨年の台風被害で、左半分が根元からボキリと折れて、冬の間枯れてしまったと思っていました。
なんと、最近倒れたまま美しく咲いているのに遭遇。
植物のたくましさに、心が震えて、励まされました。
もうひとつは、
最近庭で見つけた2株の新しい芽です。
昨年の猛暑や台風で、すっかり枯れ果てたと思ってあきらめていたシャクヤクです。
何か別の物を植えようかと、地面を掘り返そうと思っていたやさき、突如土の中から現われ出でました!!
私の心を読んだのでしょうか?
我々も、植物と同じように、動き出したい春です。