起床4時45分、大阪城に行く。大手門の登り坂の両側にある24基の外灯は一段と明るく照らし誘導してくれる。大手門を入り正面を見ると、3色のライトが石の壁面を照らしている。二日行かない間も日の出が遅くなっていることを感じる。
菊の展示も大分咲いているグループもあった。合唱は、夕焼け小焼け、で始まる。赤い花つんで、みかんの花咲く丘、月見草の花、・・・・最後は、誰か故郷を想わざる。であった。帰宅朝食後、吹田朝祷会に出席する。日本基督教団淀川教会のS師が「生活=礼拝」と題して、ローマ12:1~2から奨励された。神の憐れみにより救われた私達は、生活をとおし身体を生きた供え物として捧げることが真の礼拝であると語られた。一部賛美と祈りの後、二部親睦と交わりにおいて、愛餐前にバイブル落語「イエスが来たきた」を淀川栄光教会のS兄が語られる。落語といっても紙芝居であったが、流石落語を勉強しておられるだけに、その語り口、間合いのとりかたはぜ絶妙であり、大阪弁であったので楽しかった。
午後4時、天王殿で開かれた「昭和50年代を語る会」に出席する。毎年今頃に開催される。50年前後、近畿6府県の同じ事務に携わった者のOB会である。今年は、都合が悪い方が多く、19名の参加であり、遠方は、転宅で川崎市からの参加である。逢えば健康を気使い、昔話しに花が咲く。楽しいひと時を過ごす。今日は忙しい土曜日であった。
菊の展示も大分咲いているグループもあった。合唱は、夕焼け小焼け、で始まる。赤い花つんで、みかんの花咲く丘、月見草の花、・・・・最後は、誰か故郷を想わざる。であった。帰宅朝食後、吹田朝祷会に出席する。日本基督教団淀川教会のS師が「生活=礼拝」と題して、ローマ12:1~2から奨励された。神の憐れみにより救われた私達は、生活をとおし身体を生きた供え物として捧げることが真の礼拝であると語られた。一部賛美と祈りの後、二部親睦と交わりにおいて、愛餐前にバイブル落語「イエスが来たきた」を淀川栄光教会のS兄が語られる。落語といっても紙芝居であったが、流石落語を勉強しておられるだけに、その語り口、間合いのとりかたはぜ絶妙であり、大阪弁であったので楽しかった。
午後4時、天王殿で開かれた「昭和50年代を語る会」に出席する。毎年今頃に開催される。50年前後、近畿6府県の同じ事務に携わった者のOB会である。今年は、都合が悪い方が多く、19名の参加であり、遠方は、転宅で川崎市からの参加である。逢えば健康を気使い、昔話しに花が咲く。楽しいひと時を過ごす。今日は忙しい土曜日であった。