今朝の新聞、テレビに広島の61回目、原爆の日を迎え、関連のニースが報じられた。体験者も少なくなり、記憶するものも少なくなった今、もう一度、深く思い、二度とあのような、悲惨なことが起こらないよう、平和の尊さ、平和の必要を固く思わされた。
教会学校の生徒に原爆の悲惨さ、平和の尊さを話したが、今の平和な時代に育った子ども達にどれ程届いただろうか。
礼拝も、牧師は平和のメッセージを語られた。主は平和の君として、この世に来られた。キリストの愛が、真実となって人々の心に平和を与えられる。最後に平和の祈りを唱和する。
主よ、わたしをあなたの平和の道具として用いてください。
憎しみのあるところに、愛を、 争いのあるところに、和解を、
分裂のあるところに、一致を、 疑いのあるところに、真実を、
絶望のあるところに、希望を、悲しみのあるところに、喜びを
暗闇のあるところに、光をもたらすことができますように、助け導いてください。
理解されるよりも、理解することを、愛されるよりも、愛することを望ませてください。
わたしたちは与えることによって与えられ、進んで赦すことによって、赦され
人のために死ぬことによって、永遠にいきることができるからです。アーメン
聖フランシスコの祈り
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