世の中の二乗>75の二乗

話せば長くなる話をする。知っても特にならない話をする。

うん、そうだ、確かにヤバイ

2008年01月12日 22時30分43秒 | Weblog
ジャック・ケッチャム「隣の家の少女」を読みました。
文庫本の帯に「これはヤバい!!」と書いてあったので目を引きました。
うん、ヤバイね。
「蝿の王」が残酷な「十五少年漂流記」だとするならば、
この「隣の家の少女」は残酷な「スタンド・バイ・ミー」といったとこでしょうか。
あのダーリンダーリンスターンのあれです。汽車に追いかけられるあれです。
あの「スタンド・バイ・ミー」が最悪な形で読者の目の前に再び立ち上がります。
ほら、よくこんなことないですか。
有名な映画とか小説のシーンが自分の夢の中に出てくるんだけど、その中では自分が主人公になっているんだけど、どうしても本物の映画の筋のようには話が進まず、全然理解できない窮地に追いやられてしまう。
そういう夢、見たことないですか。
私は「魔女の宅急便」であります。そうジブリの。
本筋では、キキが住処と決める街へ行くまで、貨物列車からほうきに乗って海の上を渡りながら進むのですが、夢ではいくら街までたどり着こうとしても私にはあの街につくことができないのです。風に流されて。夢の中でも「ああ、あの街に着かなければこれから起こる映画のあれやこれや楽しいエピソードは全部起こらない。全てパア」と思っているのですが、もうビュービュー流されるしほうきの乗り方もよくわかんないし街はどんどん遠ざかってゆくわで、でも気ばかりあせるし、というものでした。
そんな感じです。
「スタンド・バイ・ミー」と「隣の家の少女」の関係です。
これは私の夢なんかに比べたらものごっつ最悪の悪夢ですけどね。
もちろん、「スタンド・バイ・ミー」の追従本ではありませんし、全く設定も違うのですが、アメリカの郊外のご近所の男の子たちの「その後を変えてしまうくらい」の出来事を物語ったものです。
その内の一人に語り部を任せているのも似ています。
とにかく酷いんですけどね。
私は第5部の冒頭で痺れが来ました。
原題は「THE GIRL NEXT DOOR」。
私は「家」ではなく「ドア」というのがこの話にあっている気がして好きです。
ドアは部屋と部屋、部屋と庭、内と外、あなたとわたしと、色々なものとものの「隔たり」を喚起されてくれるからです。
またひとつ、人にはおすすめできない本を知ってしまった。

で、福岡で知り合った上村さんにおすすめしてもらったミシェル・ウエルベック「素粒子」も読む。
上村さんは同じ作家の「闘争領域の拡大」とういうのがお好きなようですが、私が見つけられませんでした。
フランス人、やっぱりセックスのことばっかり考えてんなぁ。
最初に思いました。
あと、これはあとから行き着いたものですが、フランス人もやっぱ若い娘がいいんだなぁ。
だって、私が知っているフランスのイメージは、年を重なるごとにきれいになっていく女たちと、それを追い求める男たちの世界だったわけで。
自分が老いぼれたといって男の機嫌をとる女や、若い子と遊びたいんだけど声をかけれない男といった人たちがフランスにいる、という、まあ当然なんですが、そのショックは受けましたね。大いにね。
とまあ、この「素粒子」はフランスのセックス事情しか物語っていないようにここまではお思いでしょうが、それがそうではない。
このかったい題を見よ。「素粒子」ですぞ。
数学とか物理とか生物学とかSFとかだー。うわー。
すごいぞ。
硬派と軟派が入り乱れるぞ。くんずほぐれつだぞ。
すごく読み応えがあって、おもしろかった。