はなもくブログ

平成元年、仙台に重層的なヒューマンネットワークをと結成された、異業種交流会「仙台はなもく七三会」の活動を紹介します。

東京はなもく会の高橋です

2011-04-19 20:46:28 | Weblog
 はなもく会の元会員で現在は東京はなもく会の高橋重雄さんからお見舞いメールをいただきましたので、紹介します。

 お元気ですか?東京はなもく会の高橋です。東日本大震災において、甚大な被害にあわれた方々へ心よりお見舞い申し上げます。

 今朝(4/18)のめざましテレビで、八木山ベニーランドでのアトラクション復旧で、先週末より営業が再開されたとの旨、八木さんの中継を拝見させていただきました。スタッフの皆さんもご無事だったとのこと、本当に良かったです。

 私は、3月下旬から1週間の休暇をとって、レンタカーに食料品や生活用品、暖房品などの支援物資をつめ、岩手の三陸海岸(宮古から釜石)と、仙台湾沿い(松島から岩沼)を、親戚や友人、知人の方を尋ねて回りましたが、本当に信じがたい光景が続いていました。

 復興の道のりは長いものになりますが、地縁の絆を大切にして、みんなの心をひとつにして復興していけることを信じています。厳しい生活が続くと思いますが、どうぞご自愛の程お過ごしください。

(2通目)

 私の実家は盛岡近郊で被害はありませんでしたが、中学、高校、大学時代の友人3名が、それぞれ三陸の田老町、宮古市、山田町に住んでおり、震災後に連絡がとれずにずっと心配していました。

 友人3名は小中学校の先生をしており、学校が海から離れていたこともあり、みんな無事でしたが、震災後は避難場所となり被災者の方々への支援に当たっていたようです。

 又、宮古の知人(遠洋漁船の船主の方)は、ご家族が無事とのことでしたが、ご自宅が津波で被災されているにもかかわらず、町全体が壊滅的な状態となった山田町や大槌町の方を心配されていました。

 仙台太白区の妻の実家、多賀城の叔父の家族も無事でしたが、妻の実家の墓地のある仙台空港方面まで東部道路を走ったところ、名取川から岩沼にかけての津波の爪跡は信じられない光景が続いていました。

 連絡がとれていなかった自分の親族、友人知人の方の安否は確認できましたが、さらにその方々の身内の方が被災に遭われたことを考えると心から喜ぶことはできませんでした。

 東北の復興はとても長い道程となりますが、みんなの心がひとつになって、一日一日前に進んでいってくれることを願っています。

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