遅まきながら12月4日朝例会の報告です。徳照寺の佐藤和丸住職が、「お笑ひ 絵とき説法」と題して講演しました。
写真でもお分かりの通り髪を伸ばしていて型破りの住職が、ユニークながらホワイトボードに絵を書いて平明に説法です。
住職がここを写真に撮らなくちゃというボードの絵は、ちょっときわどくぼやけて映っているのがよかったです。
「昔はお寺は檀家にとって迷惑というトラウマにとらわれてイヤだったが、今は寺に生まれてよかった。名刺に振り回されない、勉強ができる、生活を助けてもらえるから。」と語る説法はというと。
今の葬儀、墓、位牌は本来の仏教らしさのあるやり方はほとんどない。中国や日本の神道のやり方が大分入ってしまっている。例えば位牌は中国で「依代(よりしろ)」として作られたもので、釈尊は霊のことは何も話していない。
日本は十三宗百六十七派、人に合わせて教えをとき、経典がいっぱいできてここまで分かれてしまった。
経典は縦糸、人生の知恵・経験が横糸。今自分がどういう人で、どこに向かうのかを示すのが教え。本当の教えによって生きていくことが大事。修行で法名をもらうのは、生物としてではなく、人としての誕生という事ができる。
写真でもお分かりの通り髪を伸ばしていて型破りの住職が、ユニークながらホワイトボードに絵を書いて平明に説法です。
住職がここを写真に撮らなくちゃというボードの絵は、ちょっときわどくぼやけて映っているのがよかったです。
「昔はお寺は檀家にとって迷惑というトラウマにとらわれてイヤだったが、今は寺に生まれてよかった。名刺に振り回されない、勉強ができる、生活を助けてもらえるから。」と語る説法はというと。
今の葬儀、墓、位牌は本来の仏教らしさのあるやり方はほとんどない。中国や日本の神道のやり方が大分入ってしまっている。例えば位牌は中国で「依代(よりしろ)」として作られたもので、釈尊は霊のことは何も話していない。
日本は十三宗百六十七派、人に合わせて教えをとき、経典がいっぱいできてここまで分かれてしまった。
経典は縦糸、人生の知恵・経験が横糸。今自分がどういう人で、どこに向かうのかを示すのが教え。本当の教えによって生きていくことが大事。修行で法名をもらうのは、生物としてではなく、人としての誕生という事ができる。