本町4丁目は、東久留米市役所の南側の地区です
東久留米市役所の北側の「まろにえ富士見通り」を西南西へ進み、約200mの信号を左(南)へ
約400m坂を下った落合川の毘沙門橋の手前の信号を左(東)へ、「多門寺通り」です
間も無く左手に多門寺境内入口です
東側の駐車場に車を止めさせて頂いたまま直ぐ西側の南沢会館前に在る「東久留米名木百選No.75ヒノキアスナロ(別名ヒバ)」を見にいきましょう
西側の道路から目的のヒノキアスナロです
北側から見ました
「東久留米名木百選No.75ヒノキアスナロ(別名ヒバ)」のプレートです
根元の標柱と説明版は「市指定旧跡 共立学校跡」です
東久留米市指定文化財 本町4丁目13番
共立学校跡 旧跡第2号
共立学校は、明治18年(1885)10月、当時南沢673番地であったこの場所に開校した公立小学校です。
前年、前沢に開校した成蹊学校の通学区域が東久留米の西側であったのに対し、共立学校は東側の南沢村・小山村・門前村・落合村・神山村・栗原新田などが通学区域でした。
明治39年(1906)に成蹊学校と共立学校が合併して、前沢(現第一小学校の向かい側)に久留米尋常高等小学校の本校が開校し、当初の共立学校は東分教場として使用されました。
当時は、校舎の前に2本の大きなヒバの木が校門のようにそびえ立っていたといわれ、この木がそのうちの1本です。
久留米市教育委員会
東側から見上げました
*アスナロは、裸子植物マツ綱のヒノキ科アスナロ属に分類される唯一の現生種である、またはその基準変種である 。別変種として、「ヒノキアスナロ」がある。高木になる常緑針葉樹であり、小枝は十字対生するやや厚い鱗片状の葉によって扁平に覆われ、裏面に目立つ白色の気孔帯がある。"花期"は5月、球果は木質でその年の秋に熟し、基準変種では鱗片に明瞭な突起があるが、「ヒノキアスナロ」では突起が目立たない。冷温帯に生育する日本固有種であり、基準変種は本州、四国、九州、「ヒノキアスナロ」は北海道南部から本州北部に分布する。(ウィキペディア一部抜粋です)
北側の建物が「南沢会館」です
南沢会館前にはイチョウの大木も在りました
では、次へ行きましょう
東久留米市役所の北側の「まろにえ富士見通り」を西南西へ進み、約200mの信号を左(南)へ
約400m坂を下った落合川の毘沙門橋の手前の信号を左(東)へ、「多門寺通り」です
間も無く左手に多門寺境内入口です
東側の駐車場に車を止めさせて頂いたまま直ぐ西側の南沢会館前に在る「東久留米名木百選No.75ヒノキアスナロ(別名ヒバ)」を見にいきましょう
西側の道路から目的のヒノキアスナロです
北側から見ました
「東久留米名木百選No.75ヒノキアスナロ(別名ヒバ)」のプレートです
根元の標柱と説明版は「市指定旧跡 共立学校跡」です
東久留米市指定文化財 本町4丁目13番
共立学校跡 旧跡第2号
共立学校は、明治18年(1885)10月、当時南沢673番地であったこの場所に開校した公立小学校です。
前年、前沢に開校した成蹊学校の通学区域が東久留米の西側であったのに対し、共立学校は東側の南沢村・小山村・門前村・落合村・神山村・栗原新田などが通学区域でした。
明治39年(1906)に成蹊学校と共立学校が合併して、前沢(現第一小学校の向かい側)に久留米尋常高等小学校の本校が開校し、当初の共立学校は東分教場として使用されました。
当時は、校舎の前に2本の大きなヒバの木が校門のようにそびえ立っていたといわれ、この木がそのうちの1本です。
久留米市教育委員会
東側から見上げました
*アスナロは、裸子植物マツ綱のヒノキ科アスナロ属に分類される唯一の現生種である、またはその基準変種である 。別変種として、「ヒノキアスナロ」がある。高木になる常緑針葉樹であり、小枝は十字対生するやや厚い鱗片状の葉によって扁平に覆われ、裏面に目立つ白色の気孔帯がある。"花期"は5月、球果は木質でその年の秋に熟し、基準変種では鱗片に明瞭な突起があるが、「ヒノキアスナロ」では突起が目立たない。冷温帯に生育する日本固有種であり、基準変種は本州、四国、九州、「ヒノキアスナロ」は北海道南部から本州北部に分布する。(ウィキペディア一部抜粋です)
北側の建物が「南沢会館」です
南沢会館前にはイチョウの大木も在りました
では、次へ行きましょう