ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

東京都東久留米市、本町4丁目南沢会館「東久留米名木百選No.75ヒノキアスナロ(別名ヒバ)」です!!

2024-04-14 18:32:00 | 文化財・樹木
 本町4丁目は、東久留米市役所の南側の地区です

 東久留米市役所の北側の「まろにえ富士見通り」を西南西へ進み、約200mの信号を左(南)へ

 約400m坂を下った落合川の毘沙門橋の手前の信号を左(東)へ、「多門寺通り」です

 間も無く左手に多門寺境内入口です

 東側の駐車場に車を止めさせて頂いたまま直ぐ西側の南沢会館前に在る「東久留米名木百選No.75ヒノキアスナロ(別名ヒバ)」を見にいきましょう

 西側の道路から目的のヒノキアスナロです

 北側から見ました

 「東久留米名木百選No.75ヒノキアスナロ(別名ヒバ)」のプレートです

 根元の標柱と説明版は「市指定旧跡 共立学校跡」です
   東久留米市指定文化財   本町4丁目13番
     共立学校跡 旧跡第2号
 共立学校は、明治18年(1885)10月、当時南沢673番地であったこの場所に開校した公立小学校です。
 前年、前沢に開校した成蹊学校の通学区域が東久留米の西側であったのに対し、共立学校は東側の南沢村・小山村・門前村・落合村・神山村・栗原新田などが通学区域でした。
 明治39年(1906)に成蹊学校と共立学校が合併して、前沢(現第一小学校の向かい側)に久留米尋常高等小学校の本校が開校し、当初の共立学校は東分教場として使用されました。
 当時は、校舎の前に2本の大きなヒバの木が校門のようにそびえ立っていたといわれ、この木がそのうちの1本です。
    久留米市教育委員会

 東側から見上げました

 *アスナロは、裸子植物マツ綱のヒノキ科アスナロ属に分類される唯一の現生種である、またはその基準変種である 。別変種として、「ヒノキアスナロ」がある。高木になる常緑針葉樹であり、小枝は十字対生するやや厚い鱗片状の葉によって扁平に覆われ、裏面に目立つ白色の気孔帯がある。"花期"は5月、球果は木質でその年の秋に熟し、基準変種では鱗片に明瞭な突起があるが、「ヒノキアスナロ」では突起が目立たない。冷温帯に生育する日本固有種であり、基準変種は本州、四国、九州、「ヒノキアスナロ」は北海道南部から本州北部に分布する。(ウィキペディア一部抜粋です)

 北側の建物が「南沢会館」です

 南沢会館前にはイチョウの大木も在りました

 では、次へ行きましょう

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京都東久留米市、本町4丁目多門寺「東久留米名木百選No.49シダレザクラ」です!!

2024-04-14 06:37:00 | 
 本町4丁目は、東久留米市役所の南側の地区です

 東久留米市役所の北側の「まろにえ富士見通り」を西南西へ進み、約200mの信号を左(南)へ

 約400m坂を下った落合川の毘沙門橋の手前の信号を左(東)へ、「多門寺通り」です

 間も無く左手に

 多門寺境内入口です、入口脇のソメイヨシノは満開です

 東側の駐車場に車を止めさせて頂きました


 西側の駐車場のソメイヨシノも満開の時期を迎えています

 山門です

 説明版です
   東久留米市指定文化財   本町4丁目13番
     多門寺山門
 江戸時代の嘉永5年(1852) ごろの建立と考えられます。また、天保年間(1830~43)に材木を落合川に流して江戸に運び、獅子の彫刻を彫らせたとも伝えられています。
 総欅造りの四脚門で、屋根は銅板葺。禅宗様を主とした折衷様で造られています。
 控え柱(細い柱)上部の獅子鼻(獅子の形をした飾り)や妻(横側)の海老虹梁(中央が上に湾曲した梁)の彫刻はすばらしく、江戸時代末期における地方の建築技術の特色を示しています。また、柱の上部は二手先(二段組)の斗栱(凵の形をした組手)で大きな屋根を支えており、重厚な趣を感じさせます。
       東久留米市教育委員会


 山門を潜ると正面に大きな鉄筋コンクリート造りの本堂です

 本堂前右手に弘法大師様です

 石碑に縁起が彫られています
  *真言宗智山派 宝塔山 吉祥院 多聞寺
 当山は今を去る750年、元仁年間の草創にして、天満宮を安置して梅本坊と号したり。
 凡そ100年の後、祐観上人止住するに及び毘沙門天を本尊とし宝塔山吉祥院多聞寺と寺号を改めたり。
 天満宮は今尚本堂に祀られ学問の神として参詣者も多く、毘沙門天は七福神の一に加へられ、除災招福の功徳広大無辺なり。
 尚当山は、武蔵野観音霊場第5番の札所
      多摩四国八十八所第37番の札所
   昭和51年7月吉祥日
     建立者 南沢中 篠宮信由
      当山第43世大僧正 憲隆代

 左手に目的のシダレザクラです

 本堂前(東側)から見ました

 東久留米の名木百選のプレートです

 南側から

 西側から

 北西側から見ました


 六地蔵様です

 観音堂でしょうか

 お不動様(不動明王)のようです

 では、次へ行きましょう
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする