岩崎地区は、小矢部市役所の北西約3kmのところ
小矢部市役所東側の県道270号線を北へ進みます
約1.5kmの桜町」信号を左(北西)へ、約200mで国道8号線を越えます
約2.1kmの右カーブの内側に赤い水門のハンドルが見えます、ここに車を止めさせて頂きました
坂道を上ると社號標が見えて来ます
更に折り返すと
素盞嗚神社の社號標です
さらに坂道を上がって行くと
左手奥に鳥居が見えました
見上げる位置にスギの樹幹が見えます
鳥居です
鳥居前の桜は見頃です
石段を上がります
石灯籠です
燈籠の台座石の苔にスミレが咲いています
正面には拝殿が東向きに鎮座しています
本殿覆い屋です
境内南東端に目的のスギです、参道石段に近い方です
北西側から、目通り幹囲6.1mの巨木です
もう一本はすぐ南西側です
西側から、目通り幹囲5,8mの巨木です
境内南東端に二本の大スギが並んでいるのが分かりますね
拝殿前(西側)から、元の参道へスギの間を通っていて門杉状態だったように思われます
拝殿前(北西側)からみました
*「俊寛逆さ杉」の名前についてネットでの情報では、平安時代末期に俊寛によって植えられてとの伝説があるそうです
俊寛は、、康治2年(1143年)~ 治承3年3月2日(1179年4月10日))は、平安時代後期の真言宗の僧です。
京の鹿ヶ谷で平家打倒を企てたものの、密告により複数名が捕らえられた「鹿ヶ谷事件」。
その密議場所の山荘を提供したのが僧の俊寛で、藤原成経、平康頼と共に3人は薩摩の硫黄島に流されたと平家物語にみえますが、実はこの小矢部市に流されたという伝説があります。
と言うことで、このスギの樹齢は約850年となるのかもしれませんね
アズマイチゲのようです
では、次へ行きましょう
2024・4・11・15・05
小矢部市役所東側の県道270号線を北へ進みます
約1.5kmの桜町」信号を左(北西)へ、約200mで国道8号線を越えます
約2.1kmの右カーブの内側に赤い水門のハンドルが見えます、ここに車を止めさせて頂きました
坂道を上ると社號標が見えて来ます
更に折り返すと
素盞嗚神社の社號標です
さらに坂道を上がって行くと
左手奥に鳥居が見えました
見上げる位置にスギの樹幹が見えます
鳥居です
鳥居前の桜は見頃です
石段を上がります
石灯籠です
燈籠の台座石の苔にスミレが咲いています
正面には拝殿が東向きに鎮座しています
本殿覆い屋です
境内南東端に目的のスギです、参道石段に近い方です
北西側から、目通り幹囲6.1mの巨木です
もう一本はすぐ南西側です
西側から、目通り幹囲5,8mの巨木です
境内南東端に二本の大スギが並んでいるのが分かりますね
拝殿前(西側)から、元の参道へスギの間を通っていて門杉状態だったように思われます
拝殿前(北西側)からみました
*「俊寛逆さ杉」の名前についてネットでの情報では、平安時代末期に俊寛によって植えられてとの伝説があるそうです
俊寛は、、康治2年(1143年)~ 治承3年3月2日(1179年4月10日))は、平安時代後期の真言宗の僧です。
京の鹿ヶ谷で平家打倒を企てたものの、密告により複数名が捕らえられた「鹿ヶ谷事件」。
その密議場所の山荘を提供したのが僧の俊寛で、藤原成経、平康頼と共に3人は薩摩の硫黄島に流されたと平家物語にみえますが、実はこの小矢部市に流されたという伝説があります。
と言うことで、このスギの樹齢は約850年となるのかもしれませんね
アズマイチゲのようです
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