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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

埼玉県東松山市、萬松寺館跡と椎の木です!!

2015-07-17 06:02:06 | 城跡・館跡・陣屋跡
萬松寺は東松山市役所の南東約4kmの国道407号線沿いにあります

松山城跡の真南の丘の上です

歩道橋の下が入口です、山門わきに駐車場があります



曹洞宗 萬松寺です

山門です


六地蔵様やお地蔵様がいらっしゃいます

鐘楼です

本堂です

本堂の西側に土塁が残ります土塁の脇の道は虎口の様でもあります

墓地の中にも、櫓台の様なものが有りましたが、撮り忘れました


本堂の西側墓地の中に椎の古木が有ります、説明版があります
     萬松寺の椎
       県指定天然記念物
       昭和十一年三月 指定
     一、樹齢  四百五十年~五百年くらい
     二、樹周  五,七メートル 高さ九メートル
           根元には落雷によるくうどう株に不動明王を安置
     三、椎の木はブナの木科シイ属の常緑喬木、葉は長だ円形緑の波状の小鋸歯を持ち、下面に白色か
       褐色の鱗屑をしている、雌雄同株で雄穂の新しい枝の下方に、雌穂は上方につけている。
     四、種子は長だ円形で卵状のカラい包まれていて、食用となる。
       又材は建築、器具、薪炭用に使われる。
      別名 シイガシ
       平成十二年三月          祝融山 萬松寺
十五年程前までは、もっと大きかったのかもしれませんね

南側に不動明王様です

北側から

落雷の跡でしょうか、黒く成っています

本堂北側にも大きな木が有ります



枝を選定されてしまっていますが大きな木です



目測目通り4m程でしょうか


参道脇の桜の木も大きなものです

では、次へ行きましょう
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栃木県足利市、日光神社の大杉です!!

2015-07-16 21:50:42 | 巨樹・大木
日光神社は、足利市役所の北東約7kmの名草中町にあります

北関東道路足利インターチェンジから県道288号線を北へ


バス停に日光神社ですが、運行便数は一日わずか4便です

バス停から西に入って、名草川を渡ると日光神社鳥居前です、駐車スペースが有ります

参道の愛宕神社です

社殿前の鳥居です

手水舎です

神楽殿です

拝殿です

本殿です



大杉は、社殿前の鳥居の南側、階段を上った左手に有ります

足利市指定天然記念物の標柱です

説明版です
   足利市重要文化財(天然記念物)
     日光神社のスギ  一本
       目通り   6メートル60センチ
       高 さ   33メートル
     日光神社境内の南端に位置し、御神木として注連縄が張られている。
     幹は地上五メートルのところで一本分分かれ、さらに七メートルのところで四本に分かれ、五本になっ
    て、高くそびえている。
     その中の北側の一本は、根元からずっと他の四本とは皮目が異なっている。幹の南側の根元に径四十セ
    ンチ程の穴があるが、まだ奥の方までは進んでいない、樹勢旺盛で葉の色も鮮やかである。氏子の人々は
    御神木として大切にしている
         昭和五十五年三月二十二日 指定             足利市教育委員会


注連縄が張られています

皮目の違いがわかりますでしょうか

こちら側はすっかり傷んでしまっています

南側にから東側の痛みが目立ちます

三十年前に説明版が建てられたころは、樹勢旺盛だったのです

まだまだ、長生きしていただきたいですね

では、次へ行きましょう
     
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栃木県足利市、鵤木の一本スギです!!

2015-07-14 06:31:34 | 巨樹・大木
鵤木(いかるぎ)の一本杉は、足利市役所の南東約4km

渡良瀬川左岸の鵤木町にあります

県道128号線の一本南側の道路脇です

下水処理場の直ぐ西側にあります

駐車スペースが無いので道路脇に車を止めて見學します

鵤木児童公園の真ん中に立っています

足利市指定 天然記念物の標柱です

説明版があります
    足利市指定 天然記念物
      鵤木の一本スギ  一本
    通称鵤木の一本スギといわれ、鵤木町の南端にある。幹は地上1.5mのところから三本に分かれている。
    度々の落雷にあい、幹に縦裂の跡が残っている、樹齢は約600年と推定される。
    往昔ここは街道に当たり、この木はその目標として植えられたものと伝えられている。この杉に約200m
   東にもスギの大木があったことが知られている。
        昭和五十四年七月十八日指定           足利市教育委員会
    


東側からの全景です、塚の上に立っています

南側から

北東がわから、頂部が枯れてしまています

北側から


西側から

公園入口に三角点が有りました

では、次へ行きましょう
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栃木県足利市、大岩毘沙門天の続きです!!

2015-07-12 13:33:37 | 巨樹・大木
大岩毘沙門天の続きです

本堂の東側に大杉が有ります



本堂前からの大杉全景です

天然記念物の標柱です

説明版です
   足利市重要文化財(天然記念物)
     毘沙門天のスギ 一本
    太さ目通り7m、高さ29m、枝張り東西16m、南北33mの大木で樹齢は約六百年と推定される、
   現在、市内最大のスギである。
    枝はほとんどが下に曲がって、逆さスギを思わせるような形である。落雷にあったらしく幹の南西面の
   一部が下から上まで縦に裂けた跡があり、頂上の部分も枯れ落ちている。樹皮は厚くて縦に大きく亀裂が
   あり、いかにも古木らしい様相である。樹勢はなお盛んで葉の緑も若々しい。
     昭和四十年三月一日指定                  足利市教育委員会


落雷の跡でしょうか


幹の樹皮は綺麗です



周りのスギも大木です

では、本堂前から、男坂と女坂が交わる、山門下へ行って見ましょう

叶権現の案愛版の横から

下ってみましょう

子種石です


すぐ先に石造層塔が有ります



横からでは、良く解りませんね

上からです

説明版がありますが、薄くてよく見えません
   栃木県指定有形文化財(考古資料)  
     大岩山石造層塔    一基
       所有者   最勝寺
       昭和48年4月13日   指定
      高さ(現在高)約120cm
      銘文「建長八年丙辰四月日孝子敬白
    この層塔は、凝灰岩製の供養塔で、基礎の上に初重軸部をのせ、その上に初重屋根が置かれています
   これだけが本来の形を残し、半ば破損した第二重の屋根がその上にかさねてあります。
    注目されるのは初重部正面で、月輪形に彫りくぼめた中に、法界定印を結ぶ胎蔵界大日如来像が薄彫
   りされています。
    全体的に鎌倉初期から中期の特徴をよく表しており、「建長八年」の紀年銘のある古い層塔として極
   めて貴重な資料であります。
                           栃木県教育委員会・足利市教育委員会

尾根の先には水盤が

足利市内の眺めです

では、次へ行きましょう
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栃木県足利市、大岩毘沙門天です!!

2015-07-12 08:56:36 | 文化財・寺社
大岩毘沙門天は、足利市役所の西北約4kmの大岩山山頂部に有ります

JR両毛線あしかが駅から西へ県道67号線を進みます

切通のところから北へ市道を進みます

大岩山は道路の一番奥まで車で上がることが出来ます

道路の途中に大岩山多聞天の山門が出てきます、男坂の入口です

この、直ぐ東側にも大きな駐車場が有ります

大岩山毘沙門天の案内板です
    大岩山毘沙門天について
   大岩山は天平17年(745)行基によりひらかれ、堂宇を建て多聞天(毘沙門天)を祀ったのがはじまりと
  いわれる。
   その後は真言密教の法灯をともし、山中の毘沙門堂を中心に全山に塔頭寺院(いわゆる大岩山十二坊)を配
  し、足利氏などの武将から信仰を集めてきた。しかし、これらの堂塔伽藍は文和4年(1355)雷火のため
  焼失してしまったという。以後人々の厚い信仰によって法灯は受けつがれ、現在の毘沙門天本堂は、江戸時代
  の宝暦12年(1762)に再建されたものである。
   毘沙門天は、北方を守護し財宝を守る神とされ、七福神の一つでもある。
   大岩山の毘沙門天は京都の鞍馬山、奈良の信貴山とともに日本三毘沙門天の一つといわれている。
                                     (財)足利市民文化財団
   昭和60年3月(平成19年3月修正)                    足利市教育委員会


車道を進むと女坂の入口です

山上の駐車場まで入いります


大岩山関係文化財の説明版です
      大岩山関係の文化財について
   (1)大岩毘沙門天本堂(市指定ー建造物)は宝暦12年(1762)の再建で木造、入母屋、桟瓦葺、
     間口3間、奥行4間。本堂内には本尊として、足利市北方の守護神として、また当時武将のお武運の
     祈願仏として造られたという等身大の木造毘沙門天および両脇侍像(県指定ー彫刻)が安置される。
     絵馬および奉納額(市指定ー民俗文化財)も多数あり、その製作年代は宝暦を始めとして江戸、明治
     時代にまで及んで、信仰の盛んなさまがうかがわれる。
   (2)大岩山石造塔(県指定ー考古資料)は高さ120cm。初重軸部の正面に仏像などを半肉彫りし、
     背面には建長8年(1256)の銘がある。足利泰氏が父義氏供養のため建立したと考えられる。
   (3)大岩毘沙門天山門(市指定ー彫刻)は元禄6年(1693)の改築、木造、入母屋、桟瓦葺、間口
     3間、奥行2間で、山門の両側には総高340cm、半肉裸形、玉眼峩入で岩座上に立つ木造金剛力
     士立像(市指定ー彫刻)を安置する。
   (4)大岩毘沙門天石段(市指定ー歴史資料)は山門から本堂に至る正面の参道で銘記により宝永元年(
     1704)造立の石段である。
   (5)足利は植物分布上暖帯のほぼ北限にあたり、この大岩山一帯は県内でも数少ない暖地性植物の生育
     地として貴重な地域である(市指定ー天然記念物)本堂東側のスギ(市指定ー天然記念物)は太さ目
     通り7m、高さ約29m、市内最大で樹齢600年以上と推定される。
       昭和60年3月                     (財)足利市民文化財団
                                      足利市教育委員会

山門です

山門案内です

山門の陰に鐘が

手水舎です

石段です

石段説明です
   足利市重要文化財(歴史資料)
    大岩毘沙門天 石段
     山門から毘沙門天本堂に至る正面の参道です、急斜面を花崗岩製の方柱状切石をもって構成しています
    両側石間に、石段およそ高さ17~19センチ、踏幅23~25センチのものを階段状に積み上げており
    高低差7メートル余り、四十段、内法福180センチをはかります。下端部の東、西には方柱状の立石が
    あり先のような陰刻銘があります。
     (東側)當村之住小林宗兵衛
      バン 奉造立施主同平内安利
         山下村住新藤■兵衛
     (西側)宝永元甲申
       ア 九月吉日
      四十段ともよく原形を存し、保存も概ね良いです、銘記により、宝永元年(1704)造立の石段で
     あることと施主名が知られ、資料的にもきわめて貴重です。
           昭和五十九年十一月十九日 指定              足利市教育委員会


鐘楼は階段の中断から右手に有ります

本堂です


西側から

本堂説明版です
    足利市重要文化財  
      大岩毘沙門天本堂
     この本堂は宝暦十二年(1762)の再建であることが棟札により確認されます。間口三間、奥行四間
    の木造入母屋造、正面一間唐破風付向拝、背面一間向拝付です。亀腹基壇にのり直径約三十六cmの丸柱
    が使用されています。天井(内軒)は竿縁天井です。外周面は朱塗りで、軒の組物は一手先三斗組です、
    本堂内部は、天井が高いこともあって、佇む人に力量感を与えてくれます。
     平成五・六年度には建物の半解体修理が行われ、屋根は本来の茅葺を復元した銅板葺へ葺替えられまし
    た。また、これに伴う発掘調査では、現在の基壇下から二時期の基壇面、瓦・古銭・青磁破片等の遺物が
    出土しており、この中には平安時代末から鎌倉初期の軒平瓦も含まれており、この当時既にこの地に堂宇
    が存在していたことが確認されました。
     行基ゆかりの地であるこの本堂は日本三大毘沙門の一つとして著名であるとともに、足利の年中行事と
    して定着している「あくたい祭り」「滝流しの式」が行われる建物です。又、中世には足利泰氏、尊氏を
    はじめ足利一門など多くの有名な武将が厚い信仰を寄せたことで知られています。このように、この堂は
    歴史上の人物にゆかりがある建物であり、かつ足利を代表する年中行事の行われているところとして広く
    市民にしられています。
          平成六年三月二十八日            (財)足利市民文化財団
                                   足利市教育委員会

本堂西側に山王社が有ります

山王社案内板です、桃山時代の物が雷火の被害を免れていたということでしょうか

文ねんが長くなってしまったので、後半に分けますね
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埼玉県鴻巣市、箕田氷川八幡神社の箕田碑です!!

2015-07-11 07:58:24 | 文化財・寺社
箕田氷川八幡神社は、鴻巣市役所の西北西約4kmのところ

県道76号線脇、箕田小学校の北側にあります

郷社 氷川神社です

道路脇に大きな箕田から吹上までの名所・歴史説明版が有ります

鳥居です

手水舎です

神楽殿です

拝殿です

本殿です


鴻巣市指定保存樹のイチョウです


拝殿右手に箕田碑が有ります

裏面です

細かい文字は読めませんね


説明版です
    鴻巣市指定金石文
      箕田碑            昭和36年7月11日指定
     箕田は武蔵武士発祥の地で、千年程前の平安時代に多くのすぐれた武人が住んでこの地方を開発経営
    した。
     源経基(六孫王清和源氏)は文武両道に秀で、武蔵介として当地方を治め源氏繁栄の礎を築いた。そ
    の館跡は大間の城山にあったと伝えられ、土塁・物見台跡などが見られる(県史蹟)。源仕(嵯峨源氏)
    は箕田に住んだので箕田氏と称し、知勇兼備よく経基を助けて大功があった。その孫綱(渡辺綱)は頼
    光四天王の随一として剛勇の誉れが高かった。箕田氏三代(仕・宛・綱)の館跡は万願寺の南側の地と
    伝えられている(県旧跡)。
     箕田碑はこの歴史を永く伝えようとしたものであり指月の撰文、維 の筆による碑文がある。裏の碑
    分は約20年後、安永七年(1778)に刻まれた和文草体の碑文である。
       初めに渡辺綱の辞世
         世を経ても わけこし草のゆかりあらば
           あとをたづねよ むさしののはら
    を揚げ、次に芭蕉・鳥酔の句を記して源経基・源仕・渡辺綱らの文武の誉れをしのんでいる。
     鳥酔の門人が加舎白雄(志良雄坊)であり、白雄が文郷を尋ねて滞在した折に刻んだものとおもわれる。
        昭和62年3月                   鴻巣市教育委員会

八幡神社の由緒です

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埼玉県鴻巣市、三ツ木神社の大欅です!!

2015-07-10 20:28:50 | 巨樹・大木
三ツ木神社は、鴻巣市役所の北西約4kmのところ

JR高崎線きたこうのす駅の直ぐ北側になります

県道76号線沿いの西側に在ります


村社 三ツ木神社です

大欅が目印です

三ツ木神社鳥居と大欅です

手水舎ですが、倒壊の危険があるのでしょうか

三ツ木陣神社由来です
    三ツ木神社  御由緒
             鴻巣市三ツ木637
    御縁起(歴史)
     統治は元荒川右岸の低地に位置している。三ツ木のの地名は「埼玉県地名誌」によれば、村内に古木
    または名木あるいは伝説・由緒を有する木が存していたことから生じたという。
     当社は元は「山王権現」と号し、山王塚と称する小高い塚の大欅の下に祀られていた。この辺りでは
    最も高台であった山王塚には木々が鬱蒼と茂り、神霊が鎮まるにふさわしい場所であった。この塚から
    は金環や勾玉などが出土したことから古墳であったといわれている。
     社伝によれば、元亀二年(1571)織田信長の比叡山焼き討ちで逃れた僧が日吉山権現にの神霊を
    奉持して諸国を巡り、天正年間(1573-92)にこの地に至り、塚の上に瑞光を認めたことから小
    祠を建て、その神霊を祀ったのが当社の創建で、その後衰微したが、万治年中(1658-61)に輪
    光院住職鏡尊上人が再興したという。
     明治四十年二月二十五日には、大字三ツ木字本村に村社氷川神社と無格社天満社を合祀し、社号を三
    ツ木神社と改称すて村社に昇格した。次いで、同年五月三十日には、大字川面字八幡の村社八幡社と大
    字中井字本村の村社稲荷社を合祀した。日枝社が無格社にもかかわらず、合祀の中心となった理由は、
    ほかの社よりも信仰があり、財産も多かったからであるという。これら一連の合祀に伴い、境内の配置
    も現在の形に改められた。
    御祭神と御神徳
     ・大山咋命・・・・・・五穀豊穣、健康良運
    御祭日
     ・元旦祭(1月1日)・例祭(4月3日)・氷川神社祭(7月9日)・八様坂祭(7月20・21日)・秋祭(11月25日)

大欅の説明が有りました
    三ツ木神社の大欅     鴻巣市指定天然記念物
      目通り  6.9m  根元    10m
      樹高   22m   枝張    12m
      樹齢   約430年
     三ツ木神社は、約400年以上前に雲海上人が諸国巡歴の途中ここに山王社(祭神 大山咋命)を祀った
    のが起源とされている。
     周辺は市街地となっているが、創建当時はナラやクヌギ・カシ・ケヤキなどが生い茂る雑木林であった
    ようである。
     時代とともに開墾が進み、林は姿を消し畑となり、その畑も市街地とかわったのである。この大欅は三
    ツ木神社の境内にあったために伐採をまぬがれて、周辺の変貌の様子を見続けてきたのである。
     埼玉県は、昭和42年に「県の木」をケヤキに定めた、県内各地に名木といわれるケヤキは多いが、この     
    大欅はその代表ともいえる名木である。


社殿側から見ると大きな洞に成っています

西側からです

社務所が山門の様に成っています

拝殿です

オレンジ色の猿がいます

境内社の稲荷社の様です

三ツ木神社に仕える動物は猿、こちらが眷属殿です

本殿は覆い屋の中です

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埼玉県鴻巣市、新井家の大榎です!!

2015-07-09 21:26:04 | 巨樹・大木
大榎が有るのは、鴻巣市役所の北約4kmの所にあります

広田小学校の南東側500m位の場所です

ビニールハウスの立ち並ぶ道路脇にあります

大榎です

鴻巣市指定天然記念物 新井家の大榎標柱です

説明版です
      鴻巣市指定文化財  天然記念物
     新井家の大榎
        昭和五一年九月二〇日指定
      天正一九年(1591)に新井家の先祖新井弥左衛門が、広田村の開拓者としてこの地に定住する
     ようになった。その頃すでに大木として同家の地内にあったものと思われる。
      広田村開発の歴史を見つづけてきた古木として、記念碑的存在である。
        樹齢  推定約五百年
       平成七年七月
                                   鴻巣市教育委員会
      

根元には痛みは有りませんが、古木の宿命でしょうか、こぶが目立ちます

南西側から

根元には、バークチップが播かれています

北側から

根元を支柱に支えられています

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群馬県みなかみ町、永井宿の大ケヤキです!!

2015-07-08 06:46:55 | 巨樹・大木
永井宿は、三国街道群馬県側最後の宿場町でした

現在は国道17号の下の旧道沿いに街並みが残ります

苗場スキー場そばの、浅貝寄居城跡から国道17号線で

三国トンネルを越えて、群馬県に入ります

約7km下ると永井宿に辿りつきます



中部北陸自然歩道 猿ヶ京いでゆみちの説明版が有ります
    永井宿の本陣跡から急坂を降りると右手に郷土資料館が見えてくる、更に下ると左に細い道がある。
    左に進む。鬱蒼とした森林の中の舗装された歩道を進むとやがて国道17号線と合流する、ここには
    会津白琥隊屈指の猛者といわれた町野久吉の墓がある。
    ここで若干休憩し国道に沿って一寸いくと右に折れる細い道がありここを進む。のどかな田園風景
    が延々と続く、「猿沢の上り」と呼ばれる沢沿いの道を右手に見ながら直進すると再度国道17号線
    と合流し国道沿いに進むと猿ヶ京温泉、三国街道の関所跡に出る。



国道17号線沿いの右カーブ内側に巨木が見えます

国道沿いに駐車スペースが有ります


新治地区まちづくり委員会の立てたな「永井宿の大欅」の石碑です

説明版です
     永井宿の大欅
      品 種    欅
      樹 齢    約450年
      目通り    4m70cm
     いわれ
      永井宿泉屋の初代笛木九助が、永禄二年(1559年)に家を建てる。
      その時裏手斜面に屋敷稲荷の石宮を建立し、御神木として欅を植えた
      という。 
                  新治地区まちづくり委員会

斜面に立つ欅です

根元には、屋敷稲荷の屋根でしょうか


痛みもなく、まだまだ大きく成ってもらいたいですね

傍らには、三国街道 永井宿の石碑です

では、つぎへ行きましょう

(関連記事・・・猿ヶ京関所跡2014年10月25日・宮野城跡2015年10月26日)
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新潟県湯沢町、浅貝の寄居城跡です!!

2015-07-07 20:06:51 | 城跡・館跡・陣屋跡
浅貝の寄居跡は、苗場スキー場の入口浅貝の北側

西武ビラマンション街の中にのこります


国道17号線浅貝の街並みです

苗場地区の観光版に寄居城跡やのろし台跡の表示が有ります

夏の苗場スキー場です

白樺ゲレンデです、リフトの奥に狼煙台が有るようですが、行けませんネ

国道17号線を南へ戻ります

西武ビラ苗場5号館の入口です


五号館の南側に土塁が廻った本丸跡が残ります

廓の中に標柱が有ります

東側土塁ですが、廓中には行けません

ので、南側に回ることにしました・・・


国道17号線を回って、ダイアパレス苗場入口の北側から寄居城跡へ入ることが出来ます

土塁と堀跡です

本丸郭が残ります

史跡 浅貝寄居城本丸跡の標柱です




四方に土塁が廻ります

他にも史跡が残っていそうですが・・・・

では、次へ行きましょう
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新潟県湯沢町、熊野神社の大杉です!!

2015-07-06 07:34:19 | 巨樹・大木
熊野神社は、JR上越新幹線えちごゆざわ駅の直ぐ西側に有ります


駅西口を出て南へ進むと散歩道の案内板が有ります、熊野神社を確認しましょう

もう少し南へ進むと、神社への昇り口です

階段を上がると熊野神社社殿です

社殿の北側、マンションの間に大杉が有ります

根元です、目通り8mの巨木です

東側の根元です

社殿脇からの全景です


根元に祠が有ります

西側から見ると、三本の合体木のように見えます

では、次へ行きましょう
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新潟県湯沢町、荒谷毘沙門堂の大杉です!!

2015-07-05 20:23:04 | 巨樹・大木
荒谷毘沙門堂は、関越自動車道湯沢インターチェンジの南1kmです

国道17号線からJR上越線いわっぱらスキーじょうまえ駅へ向かう跨線橋の下にあります

跨線橋を渡らずに側道に入って、跨線橋の下に車を止めると、左手に大杉が見えます

跨線橋の下に車を止めて、見学しましょう

毘沙門堂入口の大杉です

根元です

荒谷毘沙門堂の大杉の標柱です

目通り7.8mの巨木です



境内側から

荒谷毘沙門堂です

もう一本の毘沙門堂境内端の大杉です


荒谷毘沙門堂の観音杉です

観音杉全景です、毘沙門堂前から見ます


もう一本は、観音堂の南側の天狗杉です



天狗杉の根元です

毘沙門堂の裏側の斜面上にも大きな杉が有ります

荒谷毘沙門堂の周りには巨木が林立しています

では、次へ行きましょう
















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新潟県湯沢町、諏訪社大門の大杉です!!

2015-07-05 06:29:22 | 巨樹・大木
越後湯沢は、川端康成の雪国の舞台です

いまだに、雪国の舞台が残っています

そんな、諏訪社へ行って見ました

諏訪社は、JRゆざわ駅とガーラ湯沢駅の間

高架の下にありました

諏訪社鳥居前に駐車スペースが有ります



雪国散歩道の案内板が有りました

諏訪社鳥居です

手水舎です

雪国散歩道案内板です

拝殿です

案内板です

拝殿の兼学です

本殿が有りませんね~

天満宮でしょうか

稲荷社でしょうか


大杉です,目通り7.3mだそうです

雪国散歩道の平たい岩

諏訪社の大杉は御神木です


直ぐ東側には、JR上越線の線路が通っています

南側根元

他にも境内には大木が林立しています


御神木の直ぐ北側の杉です

社殿西側の杉です

社殿北東側の杉です


上越新幹線高架側の杉です

もう一度御神木を国道17号線への道路から見上げました

では、次へ行きましょう
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新潟県南魚沼市、薬照寺の大カツラです!!

2015-07-04 07:11:22 | 巨樹・大木
薬照寺は、南魚沼市役所の南西約7km

関越自動車道塩沢石打インターチェンジから魚野川左岸へ姥島橋を渡ります

国道17号線を北へ約2km、下一日市で左の山裾へ入って行きます

参道の正面に、薬照寺が見えて来ます

駐車場は山門右手に有ります


大きな杉の木のある薬照寺が見えて来ます

真言宗智山派瑠璃光山薬照寺です


大杉は横面から見ると二本の合体木です

山門をくぐると階段上の大カツラです



巨樹です

二千年日本一の大桂の石碑です

本堂です

本堂前には池が有ります

ギボウシが花を付けていました

渡り廊下の先にも池が有ります、豪雪地帯の除雪施設でしょうか

渡り廊下でつながった五大明王護摩堂です

本堂前から


北西側から

南側から、根元にお地蔵様です

では、次へ行きましょう

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新潟県南魚沼市、十二神社の二本杉です!!

2015-07-02 05:32:23 | 巨樹・大木
十二神社は、南魚沼市役所の西南西約6kmのところ

魚野川右岸の県道28号線脇仙石地区にあります

神社の入り口まえに車を止めて見學しました

十二神社です

鳥居の陰に大杉が二本見えます

二本の大杉越しに拝殿です

西側の根元です

東側の根元です

東側の樹上部分が無くなっています



東側がやや太いでしょうか

本殿です



境内には、大きな切株の跡が残っていました

二本杉の太さは、5.4mと4.7mだそうです

では、次へ行きましょう

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