ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

栃木県足利市、大岩毘沙門天の続きです!!

2015-07-12 13:33:37 | 巨樹・大木
大岩毘沙門天の続きです

本堂の東側に大杉が有ります



本堂前からの大杉全景です

天然記念物の標柱です

説明版です
   足利市重要文化財(天然記念物)
     毘沙門天のスギ 一本
    太さ目通り7m、高さ29m、枝張り東西16m、南北33mの大木で樹齢は約六百年と推定される、
   現在、市内最大のスギである。
    枝はほとんどが下に曲がって、逆さスギを思わせるような形である。落雷にあったらしく幹の南西面の
   一部が下から上まで縦に裂けた跡があり、頂上の部分も枯れ落ちている。樹皮は厚くて縦に大きく亀裂が
   あり、いかにも古木らしい様相である。樹勢はなお盛んで葉の緑も若々しい。
     昭和四十年三月一日指定                  足利市教育委員会


落雷の跡でしょうか


幹の樹皮は綺麗です



周りのスギも大木です

では、本堂前から、男坂と女坂が交わる、山門下へ行って見ましょう

叶権現の案愛版の横から

下ってみましょう

子種石です


すぐ先に石造層塔が有ります



横からでは、良く解りませんね

上からです

説明版がありますが、薄くてよく見えません
   栃木県指定有形文化財(考古資料)  
     大岩山石造層塔    一基
       所有者   最勝寺
       昭和48年4月13日   指定
      高さ(現在高)約120cm
      銘文「建長八年丙辰四月日孝子敬白
    この層塔は、凝灰岩製の供養塔で、基礎の上に初重軸部をのせ、その上に初重屋根が置かれています
   これだけが本来の形を残し、半ば破損した第二重の屋根がその上にかさねてあります。
    注目されるのは初重部正面で、月輪形に彫りくぼめた中に、法界定印を結ぶ胎蔵界大日如来像が薄彫
   りされています。
    全体的に鎌倉初期から中期の特徴をよく表しており、「建長八年」の紀年銘のある古い層塔として極
   めて貴重な資料であります。
                           栃木県教育委員会・足利市教育委員会

尾根の先には水盤が

足利市内の眺めです

では、次へ行きましょう
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栃木県足利市、大岩毘沙門天です!!

2015-07-12 08:56:36 | 文化財・寺社
大岩毘沙門天は、足利市役所の西北約4kmの大岩山山頂部に有ります

JR両毛線あしかが駅から西へ県道67号線を進みます

切通のところから北へ市道を進みます

大岩山は道路の一番奥まで車で上がることが出来ます

道路の途中に大岩山多聞天の山門が出てきます、男坂の入口です

この、直ぐ東側にも大きな駐車場が有ります

大岩山毘沙門天の案内板です
    大岩山毘沙門天について
   大岩山は天平17年(745)行基によりひらかれ、堂宇を建て多聞天(毘沙門天)を祀ったのがはじまりと
  いわれる。
   その後は真言密教の法灯をともし、山中の毘沙門堂を中心に全山に塔頭寺院(いわゆる大岩山十二坊)を配
  し、足利氏などの武将から信仰を集めてきた。しかし、これらの堂塔伽藍は文和4年(1355)雷火のため
  焼失してしまったという。以後人々の厚い信仰によって法灯は受けつがれ、現在の毘沙門天本堂は、江戸時代
  の宝暦12年(1762)に再建されたものである。
   毘沙門天は、北方を守護し財宝を守る神とされ、七福神の一つでもある。
   大岩山の毘沙門天は京都の鞍馬山、奈良の信貴山とともに日本三毘沙門天の一つといわれている。
                                     (財)足利市民文化財団
   昭和60年3月(平成19年3月修正)                    足利市教育委員会


車道を進むと女坂の入口です

山上の駐車場まで入いります


大岩山関係文化財の説明版です
      大岩山関係の文化財について
   (1)大岩毘沙門天本堂(市指定ー建造物)は宝暦12年(1762)の再建で木造、入母屋、桟瓦葺、
     間口3間、奥行4間。本堂内には本尊として、足利市北方の守護神として、また当時武将のお武運の
     祈願仏として造られたという等身大の木造毘沙門天および両脇侍像(県指定ー彫刻)が安置される。
     絵馬および奉納額(市指定ー民俗文化財)も多数あり、その製作年代は宝暦を始めとして江戸、明治
     時代にまで及んで、信仰の盛んなさまがうかがわれる。
   (2)大岩山石造塔(県指定ー考古資料)は高さ120cm。初重軸部の正面に仏像などを半肉彫りし、
     背面には建長8年(1256)の銘がある。足利泰氏が父義氏供養のため建立したと考えられる。
   (3)大岩毘沙門天山門(市指定ー彫刻)は元禄6年(1693)の改築、木造、入母屋、桟瓦葺、間口
     3間、奥行2間で、山門の両側には総高340cm、半肉裸形、玉眼峩入で岩座上に立つ木造金剛力
     士立像(市指定ー彫刻)を安置する。
   (4)大岩毘沙門天石段(市指定ー歴史資料)は山門から本堂に至る正面の参道で銘記により宝永元年(
     1704)造立の石段である。
   (5)足利は植物分布上暖帯のほぼ北限にあたり、この大岩山一帯は県内でも数少ない暖地性植物の生育
     地として貴重な地域である(市指定ー天然記念物)本堂東側のスギ(市指定ー天然記念物)は太さ目
     通り7m、高さ約29m、市内最大で樹齢600年以上と推定される。
       昭和60年3月                     (財)足利市民文化財団
                                      足利市教育委員会

山門です

山門案内です

山門の陰に鐘が

手水舎です

石段です

石段説明です
   足利市重要文化財(歴史資料)
    大岩毘沙門天 石段
     山門から毘沙門天本堂に至る正面の参道です、急斜面を花崗岩製の方柱状切石をもって構成しています
    両側石間に、石段およそ高さ17~19センチ、踏幅23~25センチのものを階段状に積み上げており
    高低差7メートル余り、四十段、内法福180センチをはかります。下端部の東、西には方柱状の立石が
    あり先のような陰刻銘があります。
     (東側)當村之住小林宗兵衛
      バン 奉造立施主同平内安利
         山下村住新藤■兵衛
     (西側)宝永元甲申
       ア 九月吉日
      四十段ともよく原形を存し、保存も概ね良いです、銘記により、宝永元年(1704)造立の石段で
     あることと施主名が知られ、資料的にもきわめて貴重です。
           昭和五十九年十一月十九日 指定              足利市教育委員会


鐘楼は階段の中断から右手に有ります

本堂です


西側から

本堂説明版です
    足利市重要文化財  
      大岩毘沙門天本堂
     この本堂は宝暦十二年(1762)の再建であることが棟札により確認されます。間口三間、奥行四間
    の木造入母屋造、正面一間唐破風付向拝、背面一間向拝付です。亀腹基壇にのり直径約三十六cmの丸柱
    が使用されています。天井(内軒)は竿縁天井です。外周面は朱塗りで、軒の組物は一手先三斗組です、
    本堂内部は、天井が高いこともあって、佇む人に力量感を与えてくれます。
     平成五・六年度には建物の半解体修理が行われ、屋根は本来の茅葺を復元した銅板葺へ葺替えられまし
    た。また、これに伴う発掘調査では、現在の基壇下から二時期の基壇面、瓦・古銭・青磁破片等の遺物が
    出土しており、この中には平安時代末から鎌倉初期の軒平瓦も含まれており、この当時既にこの地に堂宇
    が存在していたことが確認されました。
     行基ゆかりの地であるこの本堂は日本三大毘沙門の一つとして著名であるとともに、足利の年中行事と
    して定着している「あくたい祭り」「滝流しの式」が行われる建物です。又、中世には足利泰氏、尊氏を
    はじめ足利一門など多くの有名な武将が厚い信仰を寄せたことで知られています。このように、この堂は
    歴史上の人物にゆかりがある建物であり、かつ足利を代表する年中行事の行われているところとして広く
    市民にしられています。
          平成六年三月二十八日            (財)足利市民文化財団
                                   足利市教育委員会

本堂西側に山王社が有ります

山王社案内板です、桃山時代の物が雷火の被害を免れていたということでしょうか

文ねんが長くなってしまったので、後半に分けますね
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