袋田地区は、大子町役場の東約4kmのところ
袋田の滝は、日本三名瀑に数えられ、高さ120m、幅73mの大きさを誇り、 滝の流れが大岩壁を四段に落下することから、別名「四度(よど)の滝」とも呼ばれます、南側に在る月居山(つきおれやま)の峠道に目的のイチョウが在ります
国道118号線の袋田の滝入口を東へ、国道461号線です
大きな旅館の先を左へ入ると袋田の滝ですが、もう一つ先の町道を左へ入ります
間も無く右に月居峠への旧道が有ります、しかし・・・
ここからは通行止めになっています
そばの道路脇に車を置いて歩いて行きましょう
約500mで通行止めの原因です、土砂崩れで道路の半分くらいまで崩れてしまっています
下を覗くと70mくらい崩れています、これでは復旧できそうにありませんね~
先へ進みます
土砂崩れ現場から更に500m進むと看板が見えて来ました
トイレの有る月居峠への分岐です
周辺は奥久慈自然休養林です
道標です
国有林説明版です
月居国有林
ここより月居山頂までの周囲の森林は、大子営林署が管理している国有林です。
月居山頂は、昔、月居城のあったところで、山頂からの眺めは特にすばらしく奥久慈一帯を見渡すことができます。
また、この周辺は新緑の頃や、紅葉の季節の景色がすぐれており、茨城県立自然公園特別地域に指定されています。
営林署では、このような景観を維持するために、風致保安林に指定して、森林の保護育成に努めています。
皆さんも、どうかこのすぐれた自然環境の保護と山火事防止にご協力下さい。
茨城森林管理署
落ち葉を踏んで、月居峠へ向かいます
登山道は左へ進んでいます、国土地理院地図では、真っ直ぐに月居峠へ向かっていますが、実際は違っています
登山道に大きな石が有ります、ここで左につづら折れになります
先に「13」の案内板です
左側のスギの植林と右の広葉樹の森の間を進みます
看板が見えて来ました
袋田自然研究路の説明版です
道標です、左は袋田の滝への道です
右へ進みます
左上に赤い建物が見えて来ました
登山道の大岩の上には「賽の河原」のような石積みがされています
先へ進みます
「10」の案内板のそばには「月居峠のたたかい」の説明版です、北関東一円で天狗党と諸生党との間で起こった争いの一つで、幕末に水戸藩内の派閥争いで多くの優秀な人材を失った水戸藩が、明治時代になって政治に関われなくなった原因になったようです
左上に鐘楼が見えました
すぐ先に月居峠です
案内図です
道標です
説明版です
袋田研究路
⑨月居古城の歴史
月居城は佐竹家の家臣、袋田定義の築いた城で、代々佐竹家の家臣が城主となっておりました。
佐竹家が秋田に移封だれたとき月居城は廃城となりました。
「尋ねれば 人の昔の名のみにて 雲井の月ぞ すみ渡りける」徳川斉昭
天保5年(1834年)斉昭がこのあたりを探勝し、月居山に登ると折しも三日月が雲間にかかっており、この月を眺めて、はるか秋田の空に思いを寄せてよんだ名歌です。
茨城県・大子町
峠のすぐ東側に目的のイチョウです
根元の西行の歌碑は、第5回関東地区登山大会の記念碑です
南側に幹が倒れています
南側から、株立の目通り幹囲は5.6mの巨木のはずですが・・・
南東側から
東側から、こちらにも幹が倒れています
北側へ回ってみます
北西側から、こちらにも幹が倒れていました
北側から
月居山を貫けて袋田の滝への道標です
山門です、奥には鐘楼に観音堂も見えました
では、戻って次へ行きましょう
袋田の滝は、日本三名瀑に数えられ、高さ120m、幅73mの大きさを誇り、 滝の流れが大岩壁を四段に落下することから、別名「四度(よど)の滝」とも呼ばれます、南側に在る月居山(つきおれやま)の峠道に目的のイチョウが在ります
国道118号線の袋田の滝入口を東へ、国道461号線です
大きな旅館の先を左へ入ると袋田の滝ですが、もう一つ先の町道を左へ入ります
間も無く右に月居峠への旧道が有ります、しかし・・・
ここからは通行止めになっています
そばの道路脇に車を置いて歩いて行きましょう
約500mで通行止めの原因です、土砂崩れで道路の半分くらいまで崩れてしまっています
下を覗くと70mくらい崩れています、これでは復旧できそうにありませんね~
先へ進みます
土砂崩れ現場から更に500m進むと看板が見えて来ました
トイレの有る月居峠への分岐です
周辺は奥久慈自然休養林です
道標です
国有林説明版です
月居国有林
ここより月居山頂までの周囲の森林は、大子営林署が管理している国有林です。
月居山頂は、昔、月居城のあったところで、山頂からの眺めは特にすばらしく奥久慈一帯を見渡すことができます。
また、この周辺は新緑の頃や、紅葉の季節の景色がすぐれており、茨城県立自然公園特別地域に指定されています。
営林署では、このような景観を維持するために、風致保安林に指定して、森林の保護育成に努めています。
皆さんも、どうかこのすぐれた自然環境の保護と山火事防止にご協力下さい。
茨城森林管理署
落ち葉を踏んで、月居峠へ向かいます
登山道は左へ進んでいます、国土地理院地図では、真っ直ぐに月居峠へ向かっていますが、実際は違っています
登山道に大きな石が有ります、ここで左につづら折れになります
先に「13」の案内板です
左側のスギの植林と右の広葉樹の森の間を進みます
看板が見えて来ました
袋田自然研究路の説明版です
道標です、左は袋田の滝への道です
右へ進みます
左上に赤い建物が見えて来ました
登山道の大岩の上には「賽の河原」のような石積みがされています
先へ進みます
「10」の案内板のそばには「月居峠のたたかい」の説明版です、北関東一円で天狗党と諸生党との間で起こった争いの一つで、幕末に水戸藩内の派閥争いで多くの優秀な人材を失った水戸藩が、明治時代になって政治に関われなくなった原因になったようです
左上に鐘楼が見えました
すぐ先に月居峠です
案内図です
道標です
説明版です
袋田研究路
⑨月居古城の歴史
月居城は佐竹家の家臣、袋田定義の築いた城で、代々佐竹家の家臣が城主となっておりました。
佐竹家が秋田に移封だれたとき月居城は廃城となりました。
「尋ねれば 人の昔の名のみにて 雲井の月ぞ すみ渡りける」徳川斉昭
天保5年(1834年)斉昭がこのあたりを探勝し、月居山に登ると折しも三日月が雲間にかかっており、この月を眺めて、はるか秋田の空に思いを寄せてよんだ名歌です。
茨城県・大子町
峠のすぐ東側に目的のイチョウです
根元の西行の歌碑は、第5回関東地区登山大会の記念碑です
南側に幹が倒れています
南側から、株立の目通り幹囲は5.6mの巨木のはずですが・・・
南東側から
東側から、こちらにも幹が倒れています
北側へ回ってみます
北西側から、こちらにも幹が倒れていました
北側から
月居山を貫けて袋田の滝への道標です
山門です、奥には鐘楼に観音堂も見えました
では、戻って次へ行きましょう
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