唐浜地区は、安田町役場の北北西約8kmのところに、四国88カ所霊場第27番札所神峯寺の北側に神峯神社が鎮座します
安田町役場を南へ出て、約250mの丁字路信号を右(西北西)へ、国道55号線です
約1.7kmの「唐浜駅⇒」の標識のある交差点を右(北)へ
道成に約2.3kmで丁字路を「⇐空と海の展望公園」「⇐神峯神社」「⇐神峯寺」の案内板を左(北)へ
神峯寺への急な山道を上って行きます
約1.7kmで神峯寺の駐車場に入りました
ここから「神峯神社の大スギとクスノキ」の続きです

参道石段を登り切ると社務所のある境内です

石碑が有ります



境内から大杉を見ました

社務所わきに神峯神社建物配置図です

ウィキペディアの内容が印刷されています
*祭神は大山祇命、配神は天照大神、春日大神(天児屋根命)、八幡大神(応神天皇)。社格は県社で、四国八十八箇所二十七番札所神峯寺の奥の院です。
*神峯山(標高569.9m)の山頂近くの標高500m付近にあり、神峯寺の約250m上った所に位置し、神峯寺の前身である観音堂との神仏習合の宗教施設であったが、明治初期の神仏分離令により仏教施設が廃され神社のみが残った。明治20年(1887)に神峯寺が再興され、四国初十八ヶ所第27場札所として賑わっていますが、神峯神社は静かな佇まいを見せています。

更に石段を上ります

社殿(本殿)です

本殿の説明版です
高知県保護文化財(建造物:昭和30年8月19日指定)
神峯神社本殿
●桁行3間梁間5間向拝付単層屋根入母屋造り据千鳥破風向拝縫破風軒唐破風付屋根杮葺
●大山祇命を祭神とし、天照大神、天児屋根命・応神天皇を併せ祀っている。
●神峯神社日記によると今を去る2600年余の昔、神武天皇東征のみぎり、「神の峯として石を積み神籬を立て祭られたるに起源す」とある。

境内社は龍田神社です

もう一棟は馬屋神社

燈明巌の説明版です
燈明巌
社殿の右の小径を上った処に燈明巌と呼ぶ巨岩がある。
太古から夜半になるとこの岩が青白く輝き光を放っていたのでこの名が起こったといわれる。
また数々の困難や異変が起こる前兆にこの燈明巌が光るとも語り伝えられており、近世では、日清、日露戦争、関東大震災、日支事変、太平洋戦争、南海大震災等にみられた。

境内東端への石段をの上ります

境内社は豊受神社です

境内社の脇を通って上へ

折り返して登ると大きな岩が見えて来ました

大岩に穴が開いています

岩穴には「燈明巌」の石碑が建っています

新潟県安田町(現阿賀野市)との友好記念のユキツバキ「夕顔」です



四国のみち標柱脇にテンナンショウ類の花が開き始めていました
では、次へ行きましょう

2025・4・6・15・30
安田町役場を南へ出て、約250mの丁字路信号を右(西北西)へ、国道55号線です
約1.7kmの「唐浜駅⇒」の標識のある交差点を右(北)へ
道成に約2.3kmで丁字路を「⇐空と海の展望公園」「⇐神峯神社」「⇐神峯寺」の案内板を左(北)へ
神峯寺への急な山道を上って行きます
約1.7kmで神峯寺の駐車場に入りました
ここから「神峯神社の大スギとクスノキ」の続きです

参道石段を登り切ると社務所のある境内です


石碑が有ります




境内から大杉を見ました


社務所わきに神峯神社建物配置図です


ウィキペディアの内容が印刷されています

*祭神は大山祇命、配神は天照大神、春日大神(天児屋根命)、八幡大神(応神天皇)。社格は県社で、四国八十八箇所二十七番札所神峯寺の奥の院です。
*神峯山(標高569.9m)の山頂近くの標高500m付近にあり、神峯寺の約250m上った所に位置し、神峯寺の前身である観音堂との神仏習合の宗教施設であったが、明治初期の神仏分離令により仏教施設が廃され神社のみが残った。明治20年(1887)に神峯寺が再興され、四国初十八ヶ所第27場札所として賑わっていますが、神峯神社は静かな佇まいを見せています。

更に石段を上ります


社殿(本殿)です


本殿の説明版です
高知県保護文化財(建造物:昭和30年8月19日指定)
神峯神社本殿
●桁行3間梁間5間向拝付単層屋根入母屋造り据千鳥破風向拝縫破風軒唐破風付屋根杮葺
●大山祇命を祭神とし、天照大神、天児屋根命・応神天皇を併せ祀っている。
●神峯神社日記によると今を去る2600年余の昔、神武天皇東征のみぎり、「神の峯として石を積み神籬を立て祭られたるに起源す」とある。

境内社は龍田神社です


もう一棟は馬屋神社


燈明巌の説明版です
燈明巌
社殿の右の小径を上った処に燈明巌と呼ぶ巨岩がある。
太古から夜半になるとこの岩が青白く輝き光を放っていたのでこの名が起こったといわれる。
また数々の困難や異変が起こる前兆にこの燈明巌が光るとも語り伝えられており、近世では、日清、日露戦争、関東大震災、日支事変、太平洋戦争、南海大震災等にみられた。

境内東端への石段をの上ります


境内社は豊受神社です


境内社の脇を通って上へ


折り返して登ると大きな岩が見えて来ました


大岩に穴が開いています


岩穴には「燈明巌」の石碑が建っています


新潟県安田町(現阿賀野市)との友好記念のユキツバキ「夕顔」です




四国のみち標柱脇にテンナンショウ類の花が開き始めていました

では、次へ行きましょう


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