小立野地区は、生坂村役場の南約3kmのところ
国道19号線の下生野歩道橋の所に案内板が有ります
犀川の右岸(東側)に平七社が鎮座します
南側の観音堂の入り口の「乳房イチョウ」が在ります
平七社境内に車を止めさせて頂きました
歩道橋のところに「乳房イチョウ1,3km」の案内板が出ています
地区の案内板です、道路から一段下に神社や観音堂が有ります
上野道路から「乳房イチョウ」が見えます
北側の坂道を下って参道入口の赤い橋を渡ります
平七社です
平七社境内から乳房イチョウが見えて来ます
観音堂です
説明版です
乳房堂【村指定文化財】
観音堂として元禄11年(1698)の書上帳
にものり、本尊の聖観音坐像は像高約1mの小仏
で少々傷んでいる。
須弥壇は南陸郷中村の専光寺から明治初年に移
された。お祭は昔から4月に雲龍寺から坊様が来
て行い、他村からも大勢お参りに来て盛大に行わ
れたが、現在は村内のみである。
木造菩薩形仏頭【村指定文化財】
高さ19cmの室町時代の仏頭。元禄11年(
1698)の書上帳に「観音堂、本尊聖観音坐像、
御長3尺、行基菩薩御作」とある仏像の頭である。
石仏群30基【村指定文化財】
庚申塔4基、緒供養塔6基、馬頭観音5基、如
意輪観音2基、無縫塔8基、常夜燈、烏八旧(う
はっきゅう)、石幢形地蔵、天然記念物碑など元
禄8年~昭和7年までの各種石造物が並び、中で
も烏八旧は松本地方では珍しい。
平成23年3月 生坂村教育委員会
*烏八旧・烏八臼などと云われ、墓標・板碑の上の
方に「烏八旧」や「烏八臼」と文字書きされたも
のです
目的の乳房イチョウです
説明版です
乳房イチョウ
県天然記念物
指定 昭和40年4月30日
1、周囲は根元10,5m、目通り8,3m、樹高
35m、枝張り東西29m、南北27m、推定樹
齢800年の雄樹で松塩築地方では最大のイチョ
ウである。
1、柱瘤(乳房)凡そ25本がたれ、最大は長さ2
,3m、つけ根の周囲1m。
1、伝説、170年ほど前観音堂が火災で焼失した
時、イチョウの樹から御光がさし人々は恐ろしく
て近ずけなかった。
焼けた観音様がイチョウに乗り移ったのだとい
う。
1、信仰、産後乳の出ない産婦が観音様へ祈願し「
何年の女乳汁を授けさせ給え、大願成就のお礼参
りには、乳の絵馬、木綿で作った乳房、燈明など
を奉納します」と誓い、たれている乳房を宮本紙
で包み、水引きで結び、根元の下枝を折って家へ
持ち帰り、一握りの長さに刃物で切らずに折って
煎じ、煎汁を何回も飲むと母乳が出るので有名と
なり、乳房観音と呼ばれるようになった。
1、奉納された絵馬が堂の内外に31枚残る。木綿
の乳房は昭和7年には柵、樹の枝、堂の内外に6
00個もあった。
1、観音堂は鎌倉時代からあったらしいが、現在の
堂は江戸末期の建築で間口三間、奥行三間半、格
天井の96面のある鶴の絵は美濃国恵那郡の近藤
助次郎の優れた作品。
1、お祭りは4月16・7日で遠近からの参拝者が
多かった。
1、堂と絵馬は平成元年に村の補助金により、柵、
堂、庫裏の大改修並びに環境整備を行なう。
平成11年9月
長野県教育委員会 生坂村教育委員会
立派な「乳房観音公孫樹」の石碑です
南側から
西側から
こちらは昭和の説明版です、幹周が7mとなっています
南側の路地から見上げました
では、平七社に行きましょう
国道19号線の下生野歩道橋の所に案内板が有ります
犀川の右岸(東側)に平七社が鎮座します
南側の観音堂の入り口の「乳房イチョウ」が在ります
平七社境内に車を止めさせて頂きました
歩道橋のところに「乳房イチョウ1,3km」の案内板が出ています
地区の案内板です、道路から一段下に神社や観音堂が有ります
上野道路から「乳房イチョウ」が見えます
北側の坂道を下って参道入口の赤い橋を渡ります
平七社です
平七社境内から乳房イチョウが見えて来ます
観音堂です
説明版です
乳房堂【村指定文化財】
観音堂として元禄11年(1698)の書上帳
にものり、本尊の聖観音坐像は像高約1mの小仏
で少々傷んでいる。
須弥壇は南陸郷中村の専光寺から明治初年に移
された。お祭は昔から4月に雲龍寺から坊様が来
て行い、他村からも大勢お参りに来て盛大に行わ
れたが、現在は村内のみである。
木造菩薩形仏頭【村指定文化財】
高さ19cmの室町時代の仏頭。元禄11年(
1698)の書上帳に「観音堂、本尊聖観音坐像、
御長3尺、行基菩薩御作」とある仏像の頭である。
石仏群30基【村指定文化財】
庚申塔4基、緒供養塔6基、馬頭観音5基、如
意輪観音2基、無縫塔8基、常夜燈、烏八旧(う
はっきゅう)、石幢形地蔵、天然記念物碑など元
禄8年~昭和7年までの各種石造物が並び、中で
も烏八旧は松本地方では珍しい。
平成23年3月 生坂村教育委員会
*烏八旧・烏八臼などと云われ、墓標・板碑の上の
方に「烏八旧」や「烏八臼」と文字書きされたも
のです
目的の乳房イチョウです
説明版です
乳房イチョウ
県天然記念物
指定 昭和40年4月30日
1、周囲は根元10,5m、目通り8,3m、樹高
35m、枝張り東西29m、南北27m、推定樹
齢800年の雄樹で松塩築地方では最大のイチョ
ウである。
1、柱瘤(乳房)凡そ25本がたれ、最大は長さ2
,3m、つけ根の周囲1m。
1、伝説、170年ほど前観音堂が火災で焼失した
時、イチョウの樹から御光がさし人々は恐ろしく
て近ずけなかった。
焼けた観音様がイチョウに乗り移ったのだとい
う。
1、信仰、産後乳の出ない産婦が観音様へ祈願し「
何年の女乳汁を授けさせ給え、大願成就のお礼参
りには、乳の絵馬、木綿で作った乳房、燈明など
を奉納します」と誓い、たれている乳房を宮本紙
で包み、水引きで結び、根元の下枝を折って家へ
持ち帰り、一握りの長さに刃物で切らずに折って
煎じ、煎汁を何回も飲むと母乳が出るので有名と
なり、乳房観音と呼ばれるようになった。
1、奉納された絵馬が堂の内外に31枚残る。木綿
の乳房は昭和7年には柵、樹の枝、堂の内外に6
00個もあった。
1、観音堂は鎌倉時代からあったらしいが、現在の
堂は江戸末期の建築で間口三間、奥行三間半、格
天井の96面のある鶴の絵は美濃国恵那郡の近藤
助次郎の優れた作品。
1、お祭りは4月16・7日で遠近からの参拝者が
多かった。
1、堂と絵馬は平成元年に村の補助金により、柵、
堂、庫裏の大改修並びに環境整備を行なう。
平成11年9月
長野県教育委員会 生坂村教育委員会
立派な「乳房観音公孫樹」の石碑です
南側から
西側から
こちらは昭和の説明版です、幹周が7mとなっています
南側の路地から見上げました
では、平七社に行きましょう
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