蔵増地区は、天童市役所の西約4kmのところ
県道23号線を西へ東北中央自動車道天童インターチェンジを過ぎて次の信号を右(北)に入ると蔵増公民館前を通って道なりに進むと三叉路が蔵増信号です、ここを西へ蔵増郵便局の手前を北に入って橋を渡りすぐ左(西)に西常得寺の山門です
山門の北側境内に駐車スペースが有ります
参道です
山門です
浄土真宗 本願寺派 西常得寺です
境内に入ると左に親鸞聖人様です
親鸞像の後(南)に鐘楼です
本堂です
本堂の南側の墓地にケヤキです
東側から
ケヤキのすぐ西に目的の「蟠形杉」です
説明板です
市指定天然記念物
臥龍山西常得寺の蟠形杉
平成7年4月27日指定
樹齢700年前後といわれるこの杉は、通称「化杉」と呼ばれている。夕方の天候の変わり目などに、よく木の上部が煙に覆われたように霞んで見えることがあり、これを昔の人は狐や狸の仕業と恐れ、このように呼んだといわれている。
杉はもともと真直ぐに伸びるものだが、5~10mの高さで幾本にも枝分れし、その内の数本が本幹と並立した幹となって伸びている。さらにそれら幹が、それぞれに枝を張り、鬱そうと繁茂する様は、実に壮観であり畏怖の念を起させる。「蟠」には、龍や蛇がとぐろを巻く、曲がりくねるなどの意味があり、幾本にも枝分かれして伸びいあっている特殊な姿を、蛇がとぐろを巻いている様子に見立てて名付けられたものと思われる。
この杉の下には、倉津安房守の家老職、土肥半左衛門の供養塔といわれる石造の五輪塔がある。土肥半左衛門は、最上義光によって倉津安房守が小国(現最上町)に移封されるとき、これをとどめようとして聞き入れられず、この杉の下で切腹したといわれ、供養塔はその時に建立されたものと伝えられる。
(根周り9.23m、幹囲6.61m、樹高約20m)
平成21年10月1日
天童市教育委員会
南東側から
南側から
南東側から、ケヤキと蟠形杉が並んで見えました
土肥半左衛門の墓とされる五輪塔です
墓地の東側から桜と巨木の競演です
では、次へ行きましょう
県道23号線を西へ東北中央自動車道天童インターチェンジを過ぎて次の信号を右(北)に入ると蔵増公民館前を通って道なりに進むと三叉路が蔵増信号です、ここを西へ蔵増郵便局の手前を北に入って橋を渡りすぐ左(西)に西常得寺の山門です
山門の北側境内に駐車スペースが有ります
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山門です
浄土真宗 本願寺派 西常得寺です
境内に入ると左に親鸞聖人様です
親鸞像の後(南)に鐘楼です
本堂です
本堂の南側の墓地にケヤキです
東側から
ケヤキのすぐ西に目的の「蟠形杉」です
説明板です
市指定天然記念物
臥龍山西常得寺の蟠形杉
平成7年4月27日指定
樹齢700年前後といわれるこの杉は、通称「化杉」と呼ばれている。夕方の天候の変わり目などに、よく木の上部が煙に覆われたように霞んで見えることがあり、これを昔の人は狐や狸の仕業と恐れ、このように呼んだといわれている。
杉はもともと真直ぐに伸びるものだが、5~10mの高さで幾本にも枝分れし、その内の数本が本幹と並立した幹となって伸びている。さらにそれら幹が、それぞれに枝を張り、鬱そうと繁茂する様は、実に壮観であり畏怖の念を起させる。「蟠」には、龍や蛇がとぐろを巻く、曲がりくねるなどの意味があり、幾本にも枝分かれして伸びいあっている特殊な姿を、蛇がとぐろを巻いている様子に見立てて名付けられたものと思われる。
この杉の下には、倉津安房守の家老職、土肥半左衛門の供養塔といわれる石造の五輪塔がある。土肥半左衛門は、最上義光によって倉津安房守が小国(現最上町)に移封されるとき、これをとどめようとして聞き入れられず、この杉の下で切腹したといわれ、供養塔はその時に建立されたものと伝えられる。
(根周り9.23m、幹囲6.61m、樹高約20m)
平成21年10月1日
天童市教育委員会
南東側から
南側から
南東側から、ケヤキと蟠形杉が並んで見えました
土肥半左衛門の墓とされる五輪塔です
墓地の東側から桜と巨木の競演です
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