伊豆沢地区は、小鹿野町役場の南西約3kmのところ
小鹿野町役場北側の県道209号線を北西へ直ぐに左(西)へ「南裏通り」を進みます
約900mの横断歩道の手前に「秩父十三佛霊場 文殊菩薩 伊豆沢入口」の案内板がありますので左(南西)へ入ります
約100mで道路は左右に分かれますが、何方を進んでも同じ所へ行きますが、左に行く方が道路幅が広いので安全です
道成りに、赤平川を渡って坂道を登って道成りに約3km進むと、雲龍寺前を過ぎて
約2kmで、沢を渡った所に赤い鳥居が見えました
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
秩父十三佛霊場 文殊堂の看板で丘の上に建物が見えます
秩父十三佛霊場 伊豆澤文殊堂の石碑です
文化財説明版です
諏訪神社の鳥居です
苔むした石段を上がります
境内へ上って来ました
文殊堂です
二千年記念碑です
二千記念碑
おもんみるに、当文殊堂は幕末の頃、地元の武州は下より、遠く江戸・伊勢・越後の国の人々から600巻におよぶ大般若経の寄進いただき、諸縁吉利の法縁を結んで賑わっていた。
歳月の流れとともに堂内の諸仏諸典も痛みひどくなり近年氏子一同は保存修理に全力で取組み継続してきた。
一方、雲龍寺住職は永く月日をかけて経典の修善に務めた。よって当町の教育委員会は我が町の文化財(典籍)として認可をくださった。
願わくは、家内安全・万難消除・諸縁吉祥を証せんことを。
雲龍寺住職 井上寶成 謹記
小鹿野町指定有形文化財
文殊菩薩像 1軀 昭和54年 2月21日指定
木造大日如来座像 1軀 昭和63年 3月22日指定
木造千手観音座像 1軀 昭和63年 3月22日指定
木造普賢菩薩座像 1軀 昭和63年 3月22日指定
大般若経600巻 平成11年11月24日指定
氏子一同は堂内保存修理と西暦2000年を記念して平成12年11月吉日この碑を建之す。
社殿です、中に本殿が納められた覆い屋となっています
昭和63年2月22日指定の「小鹿野町指定有形文化財 (建造物)諏訪神社本殿 1棟」の標柱です
説明版です(下の文化財説明版の脇に有ります)
諏訪神社御由緒 小鹿野町伊豆沢1959
♢天気占いの的神事が行われる
伊豆沢の地名は「新編武蔵風土記稿」によると、小鹿野村の別郷の名である「いずる沢」から名付けられたものと伝えられる。
当社の境内は上郷沢浦のやや小高い山の上にあり、社伝によると寛永年間(1624~1644)に村人が信濃国(長野県)に鎮座する諏訪明神の御分霊を当地に奉斎したのが創建であると云う。
古くは正月27日、7月27日が祭日とされ、「宮本」と呼ばれる萩原家2軒と黒沢家が天気占いの的神事を執り行っていた。この3軒は、もとは甲州武田氏の落人であったと伝えられ、萩原家では戦前まで鎧・兜のほか多数の太刀を所属していた。また、黒沢家には信玄公拝領の弓矢があったという。
本殿は一間社流造り見世棚の小祠で、蟇股や木鼻などから江戸中期以降の建造と思われる。また合殿内の本殿脇には、稲荷社・春日社・鵜戸社が並祀されている。なお、社殿前には「奉納諏訪大明神・江戸西村和泉守作・天保11子年正月吉日」の銘文のある釣鐘が掛けられている。
境内にある文殊堂には文殊菩薩が祀られており、古くは当社の祭日と同様に正月27日がその縁日であった。
◇御祭神・建御名方神
◇御祭日・元旦祭
・春祭り
・秋祭り
また、二千年記念碑です
小鹿野町指定無形文化財 的矢の神事 昭和37年9月20日指定
小鹿野町指定有形文化財 諏訪神社本殿1棟 昭和63年3月22日指定
埼玉県選択無形民俗文化財 伊豆沢の天気占い 平成 9年3月18日選択
更に南側の尾根の上に目的のトチノキです
北西側から見上げました
山肌を太い根が覆っているのが分かります、目通り幹囲5.7mの巨木です
北東側から
作業道を下って、細いトチノキの間に太い幹を見ました
下の道路に降りて、木々の間にトチノキを見ました
では、次へ行きましょう
2024・8・23・11・20
小鹿野町役場北側の県道209号線を北西へ直ぐに左(西)へ「南裏通り」を進みます
約900mの横断歩道の手前に「秩父十三佛霊場 文殊菩薩 伊豆沢入口」の案内板がありますので左(南西)へ入ります
約100mで道路は左右に分かれますが、何方を進んでも同じ所へ行きますが、左に行く方が道路幅が広いので安全です
道成りに、赤平川を渡って坂道を登って道成りに約3km進むと、雲龍寺前を過ぎて
約2kmで、沢を渡った所に赤い鳥居が見えました
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
秩父十三佛霊場 文殊堂の看板で丘の上に建物が見えます
秩父十三佛霊場 伊豆澤文殊堂の石碑です
文化財説明版です
諏訪神社の鳥居です
苔むした石段を上がります
境内へ上って来ました
文殊堂です
二千年記念碑です
二千記念碑
おもんみるに、当文殊堂は幕末の頃、地元の武州は下より、遠く江戸・伊勢・越後の国の人々から600巻におよぶ大般若経の寄進いただき、諸縁吉利の法縁を結んで賑わっていた。
歳月の流れとともに堂内の諸仏諸典も痛みひどくなり近年氏子一同は保存修理に全力で取組み継続してきた。
一方、雲龍寺住職は永く月日をかけて経典の修善に務めた。よって当町の教育委員会は我が町の文化財(典籍)として認可をくださった。
願わくは、家内安全・万難消除・諸縁吉祥を証せんことを。
雲龍寺住職 井上寶成 謹記
小鹿野町指定有形文化財
文殊菩薩像 1軀 昭和54年 2月21日指定
木造大日如来座像 1軀 昭和63年 3月22日指定
木造千手観音座像 1軀 昭和63年 3月22日指定
木造普賢菩薩座像 1軀 昭和63年 3月22日指定
大般若経600巻 平成11年11月24日指定
氏子一同は堂内保存修理と西暦2000年を記念して平成12年11月吉日この碑を建之す。
社殿です、中に本殿が納められた覆い屋となっています
昭和63年2月22日指定の「小鹿野町指定有形文化財 (建造物)諏訪神社本殿 1棟」の標柱です
説明版です(下の文化財説明版の脇に有ります)
諏訪神社御由緒 小鹿野町伊豆沢1959
♢天気占いの的神事が行われる
伊豆沢の地名は「新編武蔵風土記稿」によると、小鹿野村の別郷の名である「いずる沢」から名付けられたものと伝えられる。
当社の境内は上郷沢浦のやや小高い山の上にあり、社伝によると寛永年間(1624~1644)に村人が信濃国(長野県)に鎮座する諏訪明神の御分霊を当地に奉斎したのが創建であると云う。
古くは正月27日、7月27日が祭日とされ、「宮本」と呼ばれる萩原家2軒と黒沢家が天気占いの的神事を執り行っていた。この3軒は、もとは甲州武田氏の落人であったと伝えられ、萩原家では戦前まで鎧・兜のほか多数の太刀を所属していた。また、黒沢家には信玄公拝領の弓矢があったという。
本殿は一間社流造り見世棚の小祠で、蟇股や木鼻などから江戸中期以降の建造と思われる。また合殿内の本殿脇には、稲荷社・春日社・鵜戸社が並祀されている。なお、社殿前には「奉納諏訪大明神・江戸西村和泉守作・天保11子年正月吉日」の銘文のある釣鐘が掛けられている。
境内にある文殊堂には文殊菩薩が祀られており、古くは当社の祭日と同様に正月27日がその縁日であった。
◇御祭神・建御名方神
◇御祭日・元旦祭
・春祭り
・秋祭り
また、二千年記念碑です
小鹿野町指定無形文化財 的矢の神事 昭和37年9月20日指定
小鹿野町指定有形文化財 諏訪神社本殿1棟 昭和63年3月22日指定
埼玉県選択無形民俗文化財 伊豆沢の天気占い 平成 9年3月18日選択
更に南側の尾根の上に目的のトチノキです
北西側から見上げました
山肌を太い根が覆っているのが分かります、目通り幹囲5.7mの巨木です
北東側から
作業道を下って、細いトチノキの間に太い幹を見ました
下の道路に降りて、木々の間にトチノキを見ました
では、次へ行きましょう
2024・8・23・11・20
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