ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

徳島県鳴門市、撫養町木津「長谷寺のオハツキイチョウ」(市指定)です!!

2024-06-25 12:36:00 | 巨樹・大木
 さてさて、渦潮を見たかったのですが「道の駅うずしお」が改修中でしたので、高い所にある「道の駅うずしおInうずまちテラス」までしか行けませんでしたので、神戸淡路鳴門自動車道の大鳴門橋で鳴門海峡を越えて徳島県に入りました

 撫養町木津地区は、鳴門市役所の西約2.5kmのところ

 鳴門市役所西側の国道28号線を北東へ、約100mの信号を左(西)へ

 約1.8kmの「木津神橋」の所の信号を右(北)へ、JR鳴門線の踏切を渡り先の丁磁路を左(西)へ、旧撫養街道です

 約400mで右側に「長谷寺」入口が南向きにあります

 高野山真言宗 駅路寺 史跡 長谷寺の寺号標です

 すぐ先を右(北)にはいると長谷寺の駐車場が有ります

 新四国 曼荼羅霊場 第二番札所に指定されています

 境内中央に目的のイチョウが樹冠を拡げています

 南西側から、目通り幹囲6.9mの巨木です

 西側から、見通しの良い幹を見上げました

 北西側の幹です、古い幹の上からヒコバエの様な新しい枝が出ています

 北側から

 東側から見ました

 鉄筋コンクリートの本堂です

 阿波北嶺薬師第19番霊場です

 本堂前のソテツの大株です

 改築記念碑です
   改築記念碑
 長谷寺は文明12年(1480)船戸左衛門尉次正が、大和長谷寺本尊と同木の観音像を迎えてこの地に開創。
 以来、細川、三好氏の帰依を受け、特に、三好氏十三貫を奉納しておおいに発展す。
 天正10年(1582)長曾我部の侵攻によって焼失。
 蜂須賀氏入国後、慶長3年(1598)駅路寺に指定され、田畑、山林の寄進を受け、金毘羅大権現の別当として再び隆盛に向う。
 方丈は天正の乱後、慶長6年(1601)5世清雅上人代に建立。
 寛文11年(1671)8世宥継上人代に再建。
 安永 4年(1775)12世寛充上人代に草葺を瓦葺に改修。
 昭和14年(1939)28世興邦上人代に大修理を加う。
 しかし、再建以来三百十余年を経ているため、昭和58年(1983)4月天井の一部が落下、檀徒岡田秀尾氏、多額の浄財を寄せて改築を進言する。
 昭和58年7月 9日 檀信徒一同改築決議
 昭和59年8月25日 旧建物撤去
 昭和59年9月 5日 起工式
 昭和60年9月27日 完工
 昭和61年5月10日 落慶法要

 東側には観音堂です

 境内南東端から境内を見ました

 では、次へ行きましょう


 2024・6・7・10・35

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 兵庫県南あわじ市、賀集福井... | トップ | 徳島県鳴門市、大津町大幸若... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

巨樹・大木」カテゴリの最新記事