井ノ口地区は、安芸市役所の北北西約4kmのところ
安芸市役所北東側の信号を北へ進みます
約500mで右(東)へ、約400mで左(北北西)へ、県道29号線で安芸川右岸沿いを進みます
約3kmの「⇐県道212号線」の標識に従って左(西)へ入ると
約200mの丁字路を右(北)へ
約200mで左(西)へ、右手の家並の中に大きな樹冠が見えます
道路右手の「閑慶院第2駐車場」に車を止めさせて頂きました
道路を進むと正面にムクノキです
南東側から見上げました
東側から、太い注連縄が巻かれています
北東側から、鉄骨で大枝を支えています
南側から
南西側から、目通り幹囲7.8mの巨木です
「椋の木」の案内板です、樹齢約600年(足利時代)木に声援を
夕やけ小やけの石碑です
夕やけ小やけの説明です
夕やけ小やけ 作詩・中村雨紅 作曲・草川信
東京都八王子市宮尾神社の神職の三男として生まれた高井宮吉は、のち野口雨情より一字を貰い、中村雨紅として作詩活動をする。
昭和31年9月雨紅の還歴を祝し宮尾神社境内にこの碑が建立された。
この童謡に感動した当寺総代会は雨紅さんの娘の許しを得て、平成3年10月宮尾神社の妹碑として建立された。
この石は泥冠といい海中にあって何らかの金属を核に、数十万年かけて成長したもの(土佐では鉄丸石・学名ノジュール・水成岩)産地・宮城県丸森町(フラッシュ撮影は正面をさけて!)
鐘楼です
境内入口です
境内入口脇には市内の観光スポットの案内板です「三菱財閥創業者岩崎弥太郎の生家」等があります
手水舎です
説明書きです
吉峰山閑慶院
創建年代は明らかではないが、永禄年間(1558~70)浄貞寺3世昌岩天久大和尚を勧請して開山とした。
幕末維新後、太政官布告による廃仏毀釈風潮の高まりに、県下寺院の殆どが廃寺となり、当院も例外ではなかった。
時の住職泰心和尚が死守、やがて檀徒岩崎家(三菱創始者)の興隆を背景に、大本山永平寺第61世環渓密雲禅師を復立開山に拝請し、明治16年3月御直末寺院として再興のスタートをきった。
岩崎美和刀自(弥太郎・弥之助の母)の死(明治30年3月)弥太郎17回忌に当たり、その追善供養の為、本堂・鐘楼堂建立資金が寄進され、明治34年に現在の堂宇が出来上がった。
初代梵鐘の供出・終戦・農地解放等々幾多の困難を岩崎家はじめ檀信徒各位のご協力により克服、(1977)梵鐘再鋳、(1999)には鐘楼堂を旧状のまま改築し現在に至る。
本堂です
菩薩堂です
こちらにも菩薩像が円に並んでいます
では、次へ行きましょう
2024・6・12・12・30
安芸市役所北東側の信号を北へ進みます
約500mで右(東)へ、約400mで左(北北西)へ、県道29号線で安芸川右岸沿いを進みます
約3kmの「⇐県道212号線」の標識に従って左(西)へ入ると
約200mの丁字路を右(北)へ
約200mで左(西)へ、右手の家並の中に大きな樹冠が見えます
道路右手の「閑慶院第2駐車場」に車を止めさせて頂きました
道路を進むと正面にムクノキです
南東側から見上げました
東側から、太い注連縄が巻かれています
北東側から、鉄骨で大枝を支えています
南側から
南西側から、目通り幹囲7.8mの巨木です
「椋の木」の案内板です、樹齢約600年(足利時代)木に声援を
夕やけ小やけの石碑です
夕やけ小やけの説明です
夕やけ小やけ 作詩・中村雨紅 作曲・草川信
東京都八王子市宮尾神社の神職の三男として生まれた高井宮吉は、のち野口雨情より一字を貰い、中村雨紅として作詩活動をする。
昭和31年9月雨紅の還歴を祝し宮尾神社境内にこの碑が建立された。
この童謡に感動した当寺総代会は雨紅さんの娘の許しを得て、平成3年10月宮尾神社の妹碑として建立された。
この石は泥冠といい海中にあって何らかの金属を核に、数十万年かけて成長したもの(土佐では鉄丸石・学名ノジュール・水成岩)産地・宮城県丸森町(フラッシュ撮影は正面をさけて!)
鐘楼です
境内入口です
境内入口脇には市内の観光スポットの案内板です「三菱財閥創業者岩崎弥太郎の生家」等があります
手水舎です
説明書きです
吉峰山閑慶院
創建年代は明らかではないが、永禄年間(1558~70)浄貞寺3世昌岩天久大和尚を勧請して開山とした。
幕末維新後、太政官布告による廃仏毀釈風潮の高まりに、県下寺院の殆どが廃寺となり、当院も例外ではなかった。
時の住職泰心和尚が死守、やがて檀徒岩崎家(三菱創始者)の興隆を背景に、大本山永平寺第61世環渓密雲禅師を復立開山に拝請し、明治16年3月御直末寺院として再興のスタートをきった。
岩崎美和刀自(弥太郎・弥之助の母)の死(明治30年3月)弥太郎17回忌に当たり、その追善供養の為、本堂・鐘楼堂建立資金が寄進され、明治34年に現在の堂宇が出来上がった。
初代梵鐘の供出・終戦・農地解放等々幾多の困難を岩崎家はじめ檀信徒各位のご協力により克服、(1977)梵鐘再鋳、(1999)には鐘楼堂を旧状のまま改築し現在に至る。
本堂です
菩薩堂です
こちらにも菩薩像が円に並んでいます
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2024・6・12・12・30
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