ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福島県郡山市、中田町柳橋「菅布祢神社のケヤキ」(市指定)です!!

2022-11-20 18:31:00 | 巨樹・大木
 中田町柳橋地区は、郡山市役所の東南東約17km

 郡山市役所中田行政センターの東約3kmのところです
 
 県道65号小野郡山線を東へ道成りに進みます

 柳橋に入って柳橋郵便局を過ぎると、駒板・木目沢左の案内板が有ります

 左(北)に入ると直ぐ左手に菅布祢神社が南南東向きの参道で鎮座します

 戻って県道脇に車を止めさせて頂きました


 菅布祢神社です

 道路脇に標柱が並びます

 水準点も有りました(標高433.8m)
*水準点とは、全国の主な国道又は主要地方道に沿った約2kmごとに設置してあり、この水準点を使用することにより、土地の高さを精密に(mm単位)に求めることができます。また、地殻変動、地盤沈下対策等に必要な土地の上下変動は、水準点の測量を繰り返すことにより求められます。水準点には、基準、一、二等の種類があり、全国に約16,400点設置されています。

 一ノ鳥居です

 説明版です
  郡山市指定天然記念物
    菅布禰神社のケヤキ
      平成8年5月21日指定
本樹の現在
 本樹は郡山市中田町柳橋、菅布禰神社の社叢内にあるケヤキである。
 この菅布禰神社は、ごく小さな丘陵の上面に造営されており、南東隅の平頂部が崖に落ち込む場所に本樹が生育している。
 根回り5.2m、目通り幹囲4.85m、樹高24m。崖上部にあるので東側が開け、この方向に多くの枝を広げている。
 西側は、本樹と接するばかりに神社の神楽殿が建っており、北に接しては、やや大きいスギの木が生育している。
 枝張りは樹幹を中心に、南、北でそれぞれ約10m~15mほどである。太い枯れ枝も二、三見られるが、全体として樹勢も盛んである。
本樹の来歴・樹令
 寛文5年(1665年)8月、村上伊豆掾直之が京都の神祇管領卜部兼連より奥州田村郡柳橋村菅船大明神、羽黒大権現の祠管の免許状を受けたときには、すでに菅布禰神社境内にケヤキがあったと言い伝えられているが、本樹がそれにあたるという証拠はない。
 本樹が生育している場所から考えると、なにかの記念木として植栽されたというよりも、社叢内に自生していた古木が神域ゆえに手をつけることなく現在に至ったものと見た方が自然である。
 今、阿武隈山地を中心に同じ程度のケヤキの樹令を調べると、
①霊山町、経王塚のケヤキ     胸高幹囲 5.2m      樹令350年*(2018年7月20日にこのブログで紹介)
②川俣町、春日神社のケヤキ(双幹)胸高幹囲 4.7mと5.5m 樹令400年*(2018年7月22日にこのブログで紹介)
③大玉村、南町の大ケヤキ     胸高幹囲5.9m       樹令400年*(2016年11月30日にこのブログで紹介)
④三春町、愛宕神社のケヤキ    胸高幹囲4.8m       樹令400年*(昨日このブログで紹介させて頂いております)
   〈以上データは緑の文化財〉
 以上の事例を参考に、本樹の樹令を350年~400年と推定する。
     郡山市教育委員会

 鳥居を潜ると境内右端に目的のケヤキが見えました

 ニノ鳥居です

 境内に上がると手水舎です

 狛犬です

 拝殿です


 本殿です
 
 神楽殿です、背後にスギとケヤキの樹冠が見えます

 南西側から目的のケヤキです

 南側から

 西側から

 北側から


 北側からスギです
 
 社殿西側には稲荷神社のようです

 では、次へ行きましょう
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福島県三春町、中町「愛宕神社のケヤキとイヌシデ」(町指定)です!!

2022-11-20 06:30:00 | 巨樹・大木
 中町は、三春町役場の西約500mのところ、三春町の中心部です

 国道288号線沿いに案内板です

 南南東向に参道が開いています、参道を進むと

 一ノ鳥居です

 説明版です
   愛宕神社
 勧請の時期は明らかではないが、江戸時代初期の三春城下絵図に記載されているので、それ以前の勧請である。
 本社は京都市嵯峨の愛宕神社とされ、祭神は火之迦具土神である。火之迦具土神は、防火や鎮火の神とされ、三春城下の火伏の神として尊ばれた。
 拝殿は江戸時代後期に造営され、本殿は旧三春尋常小学校奉安殿を移築したものである。
 拝殿向かって右側のケヤキと本殿裏のイヌシデが、町指定天然記念物である。


 ニノ鳥居です

 ニノ鳥居南側から三春の街並みを見下ろしました

 更に急な石段を登ります

 拝殿です

 拝殿軒下に由来記です
  愛宕神社 由来記
   鎮座地 三春町字中町97番地
 慶長18年(1613年)時の三春城主蒲生郷治は、三春鎮護と火伏せ等を祈念して、総社の阿多古神社から「迦具槌命」(火の神様)と「将軍地蔵尊」等を分霊して、京都に習って三春城から西方の現在地に愛宕堂を建てて祀った。
 それ以降愛宕堂には代々法印が居住して御祭神を守護していた。
 正保2年(1645年)秋田氏が三春城主となって、町内は6町に区割され、それぞれに鎮守の社が定められて、愛宕堂は中町の鎮守と成り、町民は特に竃神として、火伏の神として、発展繁栄・開運勝利・家庭安穏等を祈念し、町内自治活動の中核となっていました。
 愛宕堂は明治の神仏分離令によって愛宕神社となり、祭日は9月24日を4月24日(総社の鎮火祭日)に改められ現在に至っています。
 なお、当社の「将軍地蔵尊」は秘仏とされて、二重の木箱に納められ外箱には「愛宕山本地秘仏 天下泰平 国家安穏」とあり、古来から「将軍地蔵尊」を念づれば競争にうち勝ち、また貧虚から免れると云われて来ました。
 柱1,「迦具槌命」の親は「伊牙ナミノ尊」と云われております。
  2,「総社」とは京都市右京区嵯峨愛宕町の「愛宕神社」とされています。
    平成3年2月1日
  奉納者 橋本忠雄・岩崎清治・大沢博・栗原一二


 本殿です

 境内西端から目的のケヤキです

 南東側から見上げました

 天然記念物標柱です

 南側から、目通り幹囲4.8mの大木です

 西側から



 本殿北側に境内社の祠が並びます

 本殿後ろ側の一段高い丘の上に、イヌシデが見えました


 北側から、しめ縄が巻かれています

 西側から、目通り幹囲3.0mの大木です

 南側から

 南東側から

*イヌシデは、カバノキ科クマシデ属の落葉高木で、本州、四国、九州の山野に自生する。基本的に陽樹だが、稚樹や幼樹には一定の耐陰性がある。
 高さ15-20m。樹皮は灰白色でなめらかであり、縦に網目模様ができる。花期は4-5月頃、雌雄異花で花序は穂状で下垂する。 風によって花粉を飛ばす風媒花であり、種子も風を利用した種子散布に適応した羽根形の構造となっている。葉の側脈の間に白い毛が多くあり、秋には葉が黄色く紅葉する。
 和名の由来は、花穂の垂れ下がる様子が注連縄(しめなわ)などに使われる紙垂(しで)に似ているから。
 (ウィキペディアの抜粋です)

 モミの大木です

 西側から見ました

 では、次へ行きましょう
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