台宿大久保地区は、塙町役場の南西約800mのところ
国道118号線を南へ、歩道橋の有る交差点を右(西)へ、米山橋で久慈川を右岸側へ渡ります
橋を渡り切って直ぐの信号を左へ、直ぐ右に「真言宗 智山派 医王山 金剛院 薬王寺」が東向き参道であります
本堂前に
駐車場が有ります

参道入口です

境内入口は、本堂北側の薬師堂の正面です

東側道路から目的のイチョウです

手水舎です

鐘楼です

薬師堂です

文化財標柱です「福島県重要文化財・塙町重要文化財 建造物 台宿薬王寺薬師堂」となっています

説明版です
台宿薬王寺薬師堂
塙町指定 昭和51年2月12日
所在地 塙町大字台宿字大久保53
本堂は、延宝(1673~80)の昔、米山中興の祖と言われる宥善上人や、安永(1772~80)年間の義観上人らの布教等によって、八溝山をとりまく広域に「米山薬師信仰」が高まり、多くの信徒達の寄進により、寛政2年(1790)の春、建立されたと伝えられている。
本堂は、素木造りで、禅宗様式を加味した、この地方には珍しい壮大な造りである。屋根は宝形造りで、方三間、二重の疎垂木。柱は丹柱や八角柱を用い、出三ツ斗で、頭貫上には台輪を回し、柱間の中備えにも組物がある。堂の三方は横板壁で囲まれている。回廊と天井は未完成で、内部から斗栱が見える。堂内は拭板敷で、四天柱を境に内陣があり、腰高の祭壇となっている。
本堂は、米山山頂にある奥の院の祭殿として営まれたことから、「御仮屋」の呼び名が残っている。4月祭り(春まち)と夏の終わりの八朔祭りは、米山祭りと称せられ、近郷近在より多くの人々が集まり、賑わいをみせていたという。
塙町教育委員会

本堂です


南側から



西側から、目通り幹囲5.5mの巨木です



北側から見ました
では、次へ行きましょう
国道118号線を南へ、歩道橋の有る交差点を右(西)へ、米山橋で久慈川を右岸側へ渡ります
橋を渡り切って直ぐの信号を左へ、直ぐ右に「真言宗 智山派 医王山 金剛院 薬王寺」が東向き参道であります
本堂前に


参道入口です


境内入口は、本堂北側の薬師堂の正面です


東側道路から目的のイチョウです


手水舎です


鐘楼です


薬師堂です


文化財標柱です「福島県重要文化財・塙町重要文化財 建造物 台宿薬王寺薬師堂」となっています


説明版です
台宿薬王寺薬師堂
塙町指定 昭和51年2月12日
所在地 塙町大字台宿字大久保53
本堂は、延宝(1673~80)の昔、米山中興の祖と言われる宥善上人や、安永(1772~80)年間の義観上人らの布教等によって、八溝山をとりまく広域に「米山薬師信仰」が高まり、多くの信徒達の寄進により、寛政2年(1790)の春、建立されたと伝えられている。
本堂は、素木造りで、禅宗様式を加味した、この地方には珍しい壮大な造りである。屋根は宝形造りで、方三間、二重の疎垂木。柱は丹柱や八角柱を用い、出三ツ斗で、頭貫上には台輪を回し、柱間の中備えにも組物がある。堂の三方は横板壁で囲まれている。回廊と天井は未完成で、内部から斗栱が見える。堂内は拭板敷で、四天柱を境に内陣があり、腰高の祭壇となっている。
本堂は、米山山頂にある奥の院の祭殿として営まれたことから、「御仮屋」の呼び名が残っている。4月祭り(春まち)と夏の終わりの八朔祭りは、米山祭りと称せられ、近郷近在より多くの人々が集まり、賑わいをみせていたという。
塙町教育委員会

本堂です



南側から




西側から、目通り幹囲5.5mの巨木です




北側から見ました

では、次へ行きましょう

