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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

秋田県秋田市、雄和相川「街道の松・三本」(市指定)です!!

2022-08-13 12:16:02 | 巨樹・大木
 雄和相川地区は、秋田市役所の南南東約13kmのところ

 (雄和市民サービスセンターの南東約2.5km)

 国道13号線を南へ、四ツ小屋入口信号を右(南東)へ、県道9号秋田雄和本荘線です

 県道が南に向き左にJR奥羽本線よつごや駅前を過ぎて岩見川を越え南へ進みます

 日本海東北道の高架を潜って、雄物川が近くなってきます、雄和駐在所前の信号を右(西)へ

 雄物川を水沢橋で左岸側へ、更に県道9号線を雄物川に沿う様に南東へ

 高野集落手前で県道を右に分け、集落内の道路を道成りに進み銅屋集落を過ぎた・・・

 道路左に目的の「街道の松」が在ります前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 西側から

 説明版です
   街道の松
 この松並木は文政年代(1818~1831)に、相川の徳右衛門家ゆかりの正治郎氏の篤志によって、五穀豊穣と通行人の安全を祈念して植えられたものと伝えられている。
 往時は、道路の両側に数十本あって見事な松並木を形成していたが、現在は三本を残すのみとなり、大切に保存されている。
 ここから先の相川野は、かつてはつつじの名所としてその名を県下に知られていた。
 俳人・石井露月は、その一面のつつじが原を晩年の句に鮮やかに詠んでいる。
   野花ゆく 耳にきのふの 峡
 平成17年 秋田市教育委員会

 文化財標柱です

 そばには庚申塔が並びます

 南側から、目通り幹囲3.3mの大木です

 南東側から


 道路向かい側にもう一本の松です

 北側から

 東側から


 更に南東側にもう一本の松です

 東側から

 南側から

 では、次へ行きましょう

 

 
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秋田県秋田市、四ツ小屋小阿地「白山八幡神社のケヤキ二本」(保存樹)です!!

2022-08-13 06:30:31 | 巨樹・大木
 四ツ小屋小阿地地区は、秋田市役所の南南東約8kmのところ

 国道13号線を南へ、四ツ小屋入口信号を右(南東)へ、県道9号秋田雄和本荘線です

 まもなく県道が南に向き左にJR奥羽本線よつごや駅が有ります

 直ぐ先の信号を左(東)へ、駅の南側の踏切を渡ります、間も無く正面に大きなケヤキが見えます

 白山八幡神社が東向きに鎮座します、南側の道路脇に車を止めさせて頂きました

 東側の参道入口です

 鳥居です、懸額には白山と八幡が並記されています 

 参道南側のトチノキの大木です

 参道北側のメタセコイアです


 上水道記念碑と感謝の碑です


 境内社です

 拝殿です

 軒下の額も、八幡宮と白山宮が並びます


 本殿です
 
 説明版です
   白山八幡神社
1、所在地 秋田市四ツ小屋小阿地字坂ノ下7
1,祭神 八幡大神
     白山比咩大神
1,由緒 創建の年代は不詳であるが、安永3年(1774)9月、寛政5年(1793)9月、文化元年(1804)、文政2年(1819)等の社殿改築の棟札が残されている。
 なお、年代は不詳であるが、堀井三郎右衛門の氏神であった八幡大神、鈴木孫作の氏神であった白山比咩大神を合祀されたと伝えられている。
 社殿に張る幕に、秋田藩主佐竹家の家紋である五本骨の扇がしるされているが、佐竹家との深い関連があったものと推考される。
 また、明治21年に奥宮を新造した際、神を安・した。
   平成元年10月
   秋田市制百周年記念四ツ小屋実行委員会
 (明治21年の項目は、本殿を新築し、拝殿内に祀られていた神体を遷座したことが書かれています)

 社殿南側から二本のケヤキを見ました

 手前のケヤキを東側から

 保存樹標柱が倒れています、(にれ科)と昭和49年10月11日  62号の文字が確認できます

 北側から目通り幹囲5.0mの巨木です

 南西側から

 南側から

 奥のケヤキを北東側から

 北側から、目通り幹囲5.2mの巨木です

 南側から

 南東側から

 二本を南側の公園から見上げました

 北側にもケヤキが有ります、そばに以前は目通り幹囲6,5m・5.9mの巨木が有ったようですが・・・

 では、次へ行きましょう
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