浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

睡眠不足

2024-08-28 17:09:38 | 日記

 今日の午前一時過ぎだったか、iPhoneが大きな音を立てて、緊急速報を何度も流した。それでわたしは起きてしまい、3時過ぎまで眠れないままとなった。

 たしかにその頃、戸外では強い雨が降っていた。ウエザーニュースの雨雲レーダーをチェックしたら、わたしの住む地域は、真っ赤っかであった。天竜川の支流である安間川が氾濫危険水位に達している、避難せよ、というものであった。安間川だけではなく、芳川、馬込川という住居地と離れている河川についても、緊急速報が入り、これでは安眠が妨げられることから、緊急速報は受信しないようにした。

 今まで、わたしが住むところの安間川が氾濫したことはない。天竜川の堤防いっぱいに濁流が流れているとき(今までに4回くらいあった。その度にわたしは天竜川を見に行っている。)でも、一度として安間川が氾濫したり堤防が決壊したことはないので、避難勧告が出ても逃げるつもりはない。

 最近は、雨ばかりである。一ヶ月以上「日照り」が続いていたときには、近くの用水から水を汲み、キュウリや茄子その他に水を遣っていた。水を汲むのは一回だけではない。何度も用水と畑を往復する。すると、背中の筋肉が痛くなる。それでも、野菜が水を求めていると思い、せっせと水遣りをしていた。

 しかし最近は、雨が降りすぎる。今日、合羽を着て畑にキュウリなどを収穫に行ったが、畝と畝との間には水がたまり、畑は雨水に覆われていた。しばらく前迄は、雨水をためておく大きな容器には水が一滴もない状態であったのに、今は満杯である。農業に適すように、都合よく雨は降ってくれないものかと思う。

 隣家は米作農家であるが、今年の米は不作だという。暑すぎたのだ。昨年も暑すぎた。農業をやっていると、気候変動を肌で感じる。

 わたしが子どもの頃は、良い気候だった。夏でも30度を越すことはあまりなかった。今では35度超えは当たり前になった。日向では40度である。生きにくい時代となった。

 

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【歴史講座レジメ】「大航海時代のなかの戦国時代(15~6世紀)」その3

2024-08-28 16:18:14 | 社会

 ヨーロッパが「欠乏」の下、豊かな物産に恵まれたアジアへ進出し、さらに新大陸へ侵出し、先住民を虐殺し、略奪を繰り返すなか、ヨーロッパの学問は大きく進歩した。

ヨーロッパにおける学問の進歩(16世紀文化革命)

○人文主義←ルネサンス(14~16世紀)=エリート知識人の運動(ラテン語教育、ギリシャローマの普遍的教養)

○商人・職人の動き13世紀「商業革命」(「遍歴商業」から「定住商業」へ)→為替手形と書簡による商業→“読み書きそろばん”の必要性→「算数教室」、「俗語(地域の口語)学校」→文字文化の浸透→16世紀数学革命(複式簿記、代数)

○俗語の発達(ラテン語はキリスト教と結合した統治のための言語。庶民は知らない)=「国語」の形成→宗教改革(聖書の各国語への翻訳+15世紀半の活版印刷)
※16世紀は、「宗教改革」の時代。
 俗語=無知な大衆の話し言葉(英語、仏語、独語、伊語)の普及←職人・芸術家・技術者が俗語で学問的な書物を発刊
※俗語(国語)の成立と活版印刷が、16世紀ヨーロッパを変えた。

○透視図法、分解組立図法、断面図法などの発明(三次元物体の二次元平面への投影法)

○美術の宗教への従属からの解放

○戦争(火薬の使用)→学問・技術の発展
 ※百年戦争(1337年~1453年、イギリスとフランスとの間で断続的に行われた戦争)
  火薬使用→火砲(大砲)→小火器(マスケット銃)
  鉱山業の発展(機械化)、機械学、力学、数学などの発展
  大砲を船に積載(ポルトガル、スペイン)
※16世紀には、陸上でも海上でも火力が使用されるようになり、17世紀には火力が支配的となる。熱心に戦争していたヨーロッパでは、武器が発達していた。その武器を持って、非ヨーロッパ世界に侵攻していく。

 

大航海時代と日本 16世紀のヨーロッパの変化をうけて、ヨーロッパ諸国はアジアの交易のネットワークに入り込む。

(1)環シナ海交易圏
○冊封体制と勘合貿易システム
明(1368~1644)海禁政策(民間の海外貿易を禁止)=冊封体制(朝貢貿易)・・「人臣ニ外交ナシ」
 冊封・勘合貿易・海禁政策はセット

○後期倭寇の時代(16世紀)←明の海禁政策
  王直(密貿易商人の首魁五島列島から平戸へ)
   中国人を中心とした密貿易集団(海賊)

(2)ヨーロッパ人の参加
○ポルトガル
 1511年マラッカ(インド洋と南シナ海を結ぶ海の道の要衝)占領
 ※西方インドからは、綿織物・アヘンが、東方中国からは陶磁器・絹織物・武器などがもたらされ、現地東南アジアからは香料・象牙・白檀・獣皮・樹脂・金・スズ・銅・硫黄・真珠母・貝・鼈甲・さんごなどの特産品がインドと中国に輸出された。
 1517年 明との国交を求める、皇帝拒否ポルトガル人=仏郎機(フランキ)
 1519年 ポ船、広州湾の船舶を襲撃・略奪
  以後、密貿易に従事。
 1552年 王室艦隊司令官リオネル・デ・ソーサポ海賊や密貿易商人を服従させる
 1553年 マカオ上陸
 1557年 明、暫定的にマカオ居住を認めるマカオ←→長崎
 1573年 明、正式にポ人のマカオ居留を認める
    (マカオのポルトガル植民地化は、1887年)
ポルトガル人の貿易(日中貿易の運送業)
明から日本へ 生糸・陶磁器  日本から明へ 銀
 ※ヨーロッパ人、輸出用の物品なし(毛織物、各種金属、珊瑚、象牙、宝飾品、時計、美術工芸品など)→運送業をやるしかなかった。

○スペイン人の参加
1571年 マニラに拠点を置く。
   マニラ-アカプルコ間の定期航路・ポトシ銀山の銀、アジア(中国)へ

(3)ヨーロッパ文化の日本浸透
○鉄砲の伝来(木綿の使用=16世紀に栽培が始まる)
1543(1542カ?)年 中国のジャンク船(王直)、種子島に漂着←倭寇のネットワーク
  種子島→根来寺(僧兵という軍事集団)
  堺(橘屋又三郎)→国友
1575年 長篠の戦い

○キリスト教、日本上陸
1549年ザビエル、アンジローと鹿児島へ(アンジローは鹿児島でポ船に乗り込みマラッカへ)。
もちろん密貿易商のジャンク船。
鹿児島→平戸→山口(大内氏)→京都→山口→豊後(大友氏)→インドへ

○キリシタン大名=大友義鎮(ポルトガルと積極的に貿易)、大村純忠(肥前・最初のキリシタン大名、長崎を教会領として寄進)、有馬晴信(肥前)、高山右近(摂津)、小西行長(肥後)
※ポルトガル・スペインの貿易活動とキリスト教布教は一体。植民帝国建設の先兵としての宣教師の活動
※イエズス会の日本報告書(松田毅一『南蛮史料の発見』中公文庫、1964年)

○南蛮文化・・金平糖(confeito)、合羽(capa)、castella、『日葡辞書』
※「南蛮」は差別語。

 

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