「一度決めたことは変えない」ーこれは近代現代を通じる日本の支配層の宿痾である。これが1945年の敗戦をもたらした。
途中でやめることもしない、方向転換もしない、決めたことがうまくいかなくても、破滅するまで突き進む。戦争も、原発も、あらゆる場面でその姿が見られる。
核のごみの最終処分場の「文献調査」に立候補した北海道の寿都町、その姿を追ったドキュメンタリーがある。今日届いた『週刊金曜日』で、発行人の植村隆さんが紹介していたドキュメンタリー、
をみた。よくできたドキュメンタリーである。
最後は、寿都町長選が描かれるが、おそらく文献調査に立候補した片岡町長のバックには、大きな力がついているはずだ。
役場職員をやめた大串さん、海産物の店をやっている吉野さんら、良心的な人びとがいるが、「大きな力」がはたらくと、「大きな力」についたほうが「トク」だと考える人びとがでてくる。その後ろにはカネがあるのだろうが、それに目が眩むのだ。
今まで生きてきて、わたしは「大きな力」の側に一度たりともついたことはないが、たしかに「大きな力」の側についた人びとには、何らかのかたちでカネが入ってくる、あるいは「トク」するようになっている仕組みが存在していると思う。
そういう仕組みを拒否できる人たちはそんなに多くはない。だが拒否する人たちは、カネにも「トク」にも惑わされないが、しかし夢を見る人びとである。わたしも夢を見続けたい。