浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「国学」を問うこと

2014-09-03 10:55:27 | 近現代史
 ボクの講座の最後は、『正論』5月号の八木秀次氏の主張で終わる。

 八木氏は、最近の天皇/皇后の発言について、以下のように記している。

「陛下が日本国憲法の価値観を高く評価されていることが窺える。私がここで指摘しておきたいのは、両陛下のご発言が、安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねないことだ。なぜこのタイミングなのか。デリケートな問題であることを踏まえない宮内庁に危うさを覚える」、「憲法改正は対立のあるテーマだ。その一方の立場に立たれれば、もはや『国民統合の象徴』ではなくなってしまう。宮内庁のマネージメントはどうなっているのか」、「それにしても両陛下の誤解を正す側近はいないのか。逆に誤った情報をすすんでお伝えしている者がいるのではとの疑念さえ湧いてくる。宮内庁への違和感と言ったのはそのような意味においてだ」

 つまり八木氏にとって、天皇制の存在意義というのは、みずからが利用できるかどうかで決まるということを示している。安倍首相のお友だちである八木氏は首相と同様に、憲法改悪を目指している。しかし、天皇/皇后の言動はそれに棹さしている、ならばそれはおかしい、と考えているのだ。

 現在の象徴天皇制は、日本国憲法に基づいている。したがって、天皇皇后が日本国憲法遵守を語るのは当たり前の話。とくに現天皇は、即位に際して憲法を守ることを言明している。

 八木氏は、昭和天皇のように、「象徴」でありながら、実際に沖縄のこと、米軍の日本駐留などのことについてしばしば言明してきた、そうした天皇を好むのだろう。

 しかし、近代日本の歴史を振り返ると、天皇(「国体」)が強調されるとき、日本「臣民」は国家のために「動員される」受け身の存在として現出した。

 そういう歴史を繰り返してはならないのである。

 ボクの講座の主旨は、これにつきる。「「国学」が呼吸するとき」というテーマは、「国学」、その近代的な形態である「国体」思想が呼吸する、つまり動き始めるときは危険であることを証明することなのだ。


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