浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

官僚の大学支配

2014-09-02 21:01:48 | 政治
 いま、どこの大学に行っても、昔あったタテカン(立て看板)なんか一枚もない。昔は、「大学の自治」をどのように強化させるかという視点から、教員も学生も頑張った。

 しかしいま、「大学の自治」は風前の灯火となっている。現在化石のように残っているのは、「教授会の自治」。しかしこれももうじき消えていく。法律が改定されて、学長などの権限が大幅に強化される。

 ではその学長などには、どういう人物がなるか。それはまう明らかだ、文部科学省からの天下り。

 今日の『中日新聞』の記事。ほとんどの国立大(といっても国立大学法人)には、文科省の官僚たちが天下って副学長などの幹部席に座っている。

 記事は、「全国の国立大学法人86校のうち約9割にあたる76校で、計77人の文科省出身者が理事や副学長、事務局長となっている」という内容だ。

 国立大学が国立大学法人とされ、「国立」ではなくなった。しかし、大学の運営費などは、学生の学費では当然まかなえないから、政府からカネをもらわなければならない。できるだけたくさん欲しい、しかし政府はそのカネをけちる、増額を獲得するためには官僚を天下りさせて政府との風通しをよくしなければならない、かくて文科省の官僚が大学に天下りして、そして副学長に就任して、大学を「統治する」。

 かくて「大学の自治」は法的にも、経済(財政)的にも消えていく。そして大学は、職業訓練のための、つまり専門学校化していく。

 大学は学問研究や真理を探究する場ではなくなっている。

 いままで、政治に異議をはさむ勢力はたくさんあった。労働組合、政党、そして大学。それらはすでに力を失っている。日弁連?いま頑張っているが、法曹改革で、その勢力も弱体化してきている。

 いまや、異議を唱えるのは、個人や市民グループだけとなりつつある。こういう時代が、計画的につくられてきた。

 静かなファシズム。

 

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