『東京新聞』が社説で、「ホロコーストの呪縛」を論じている。そのなかで、「迫害されたつらい体験を教訓として、自分たちの安全確保を最優先するあまり、他の民族の痛みに鈍感になっているのでしょうか」とある。
私は、この地域におけるイスラエルの行動は、そんなものではないと思う。彼らは、かつてユダヤ人が受けた迫害の記憶とは無関係に、過ぎ去った時代につくられた宗教的言説を実現しようと、パレスチナ人を追放し、あるいは「処理」して、大ユダヤ国家を樹立しようとしているとしか思えない。
ハマスの襲撃後、「ドイツの政治家らは、「イスラエルの安全を守ることはドイツの国是」」だとして、ガザの民衆が多数殺されてもイスラエル批判を封じているとも記されている。
ドイツは、アウシュビッツにみられるように、もっともユダヤ人を迫害した国家である。そのドイツが、みずからおかした迫害という罪責を、パレスチナに住む人びとになすりつけた、肩代わりさせたのではないか。イスラエルが、ハマスによる攻撃がなされる以前から行ってきたパレスチナ人迫害・虐殺に、ドイツはどう対応してきたのか。厳しくイスラエルを批判してきたのか。ドイツが行ったユダヤ人迫害と、イスラエルが行っているパレスチナ人迫害は、同質ではないか。
ドイツが、イスラエルによるパレスチナ人迫害を批判しないということは、みずからのユダヤ人迫害の罪責をきちんと見つめていないということではないのか。いかなる迫害をも認めない、という立場こそ、ドイツが採用すべき立場ではないか。