浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

ガザのこと

2024-05-19 13:45:20 | 国際

 『週刊金曜日』には、イスラエルによるガザ攻撃に関する記事がいくつかある。そのなかから二つ紹介していたい。一つは早尾貴紀さんの「パレスチナ人大虐殺という不正義から目を逸らすな!」であり、もう一つは「最先端産業としてのジェノサイド」である。

 早尾さんの論攷は、現在のイスラエルの蛮行の経緯がよくわかる。2023年9月22日、イスラエルのネタニヤフ首相は国連総会で、「新しい中東構想」について演説した。その際に示された地図には、パレスチナ自治区と言われるヨルダン川西岸地区もガザもなく、その地がイスラエルの色で塗られていた、つまりその時点でパレスチナは消去されていたのである。現在のガザ攻撃は、それを実現する、パレスチナ掃討作戦なのだ。まさにジェノサイドである。

 イスラエルの蛮行を、欧米の若者たちが、そして日本の学生たちも、糾弾に立ち上がっている。しかし欧米諸国は、大学までもそれらの動きを封じようと躍起になっている。イスラエルを批判することは反ユダヤ主義だというのである。さんざんユダヤ人を迫害してきた欧米諸国の、その迫害の代償がイスラエルへの全面支持というわけだ。そこには人道も、ヒューマニズムも何もない。何もないということで、欧米諸国は歴史的に一貫している。ユダヤ人も、パレスチナ人も、どうなろうと知ったことか、という姿勢である。

 そしてイスラエルの蛮行を支えているのが、アメリカの中東支配政策である。アメリカは中東諸国、エジプト、ヨルダン、アラブ首長国連邦、バーレーン、スーダン、モロッコを従属させ、これらの国々にイスラエルと国交を結ばせ、「アラブの大義」を葬り去ろうとしている。イスラエルを中心とした中東支配を、アメリカは画策している。

 次に廣瀬さんの文。ウィリアム・ロビンソンの「パレスチナとグローバル危機」という論文をもとに話しを進める。

 「西洋支配層においてジェノサイドは過剰蓄積あるいは余剰資本という経済問題と余剰人間の反乱という政治問題を同時に解決する手段として理解されて」いるという。余剰人間を抹殺すること、その事業に余剰資本が投下される、というのである。

「ジェノサイドはまずは余剰人間の抹殺であ」り、「世界各地で余剰人間が生み出され続ける限り、彼らの反乱やその可能性に対する「戦争」は終わらず、そうした戦争を糧とする国土安全保障産業は、世界経済が全体として停滞するなかで例外的に発展が約約束された部分として余剰資本を吸収し続けるだろう。加えてまた、ジェノサイドを伴うか否かにかかわらず、戦争による破壊では必ず「復興」が展望されており、発展限界に達した諸部門も復興に関わる限りで余剰資本に再投資の機会を与えることになる。」

  イスラエルのような、「入植者植民地主義」においては、「先住民抹殺それ自体が新種の産業として資本の価値増殖運動に組み込まれている」!!

 資本主義は生きている人間と極限までに絶対的矛盾関係にある、もう資本主義の廃棄しかない、という段階に、世界はきている。

 

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「築地再開発」

2024-05-19 13:08:51 | 社会

 『週刊金曜日』5月17日号は、なかなかの文が並んでいる。

 まず第一。佐々木実氏の「築地再開発の事業者決定 『読売』の軍門にくだった『朝日』」である。築地市場が豊洲に移転した跡地をどうするのか、という問題で、東京都はその再開発事業者に三井不動産を中心とする企業連合に決めた、という記事。

 この三井不動産は、神宮外苑の「開発」にも関わっている。みどりの少ない東京都、この「開発」により、さらにみどりを減じる。悪魔のような資本主義の先頭ランナーのような三井不動産が走り出すと、三井不動産にカネは集まるかもしれないが、それにより庶民には失うものが増えていく。

 さて、佐々木氏によると、三井不動産と読売新聞社は「蜜月関係」にあり、この築地再開発だけでなく、神宮外苑の「開発」にも両社が関わっているという。『読売』は公共的なメディアではなく、すでに私企業としてそうした方向でカネ儲けをしようとしているのだ。

 築地の再開発では野球場がつくられ、巨人軍の本拠地となるようだ。

 先ほど、築地再開発に三井不動産を中心とする企業連合と記したが、そのなかに『読売』が入っている。『読売』だけではなく、『朝日』も入っている。『朝日』はすでに同紙購読者の減少のなか、不動産事業などに重点を置き始めているようで、今回の築地再開発でもそれを狙っているという。

 佐々木氏の文には、言外に「あの『朝日』が・・・」という感慨があるように思う。たしかに、『朝日』には優秀な記者がたくさんいた。しかしそれは過去の話である。最近も多くの記者が『朝日』を去った。『朝日』はあたかもリベラル勢力の旗頭であるかのような位置を持つときもあった、しかしその歴史をひもとくと、『朝日』はリベラルな人びとに依拠している時期も断続的にあったが、最終的にはときの政治権力の軍門に降ることを是としてきた。戦時下、60年安保闘争の時・・・・・・・すこし振り返るだけでもいろいろ出てくる。

 そして一旦変質すると、『朝日』は変質した方向でがんばってしまう。たとえば、戦時下、画家のほとんどが軍部に協力して戦争画を描いたが、その展覧会を率先して開催していたのが『朝日』であった。『朝日』なくして戦争画の展覧会はない、という状態であった。

 『朝日』には、本多勝一はじめ錚々たる記者がいた。「いた」という過去形で書くが、おそらくその最後が外岡秀俊氏であろう。田畑書店から『外岡秀俊という新聞記者がいた』が出版される。私も注文したひとりである。

 変質『朝日』は、その方向で、今後、がんばっていくことだろう。その方向とは、ジャーナリズムからプロパガンダへの道である。がんばって欲しい、戦時中のように。

 

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自民党の政治家、不信しかない

2024-05-19 09:46:18 | 政治

 自民党の政治家諸氏にとって、政治なんかはどうでも良く、とにかく議員としての地位を守りたい、そのためにはカネが必要だ。カネはどこからのものでもよい、自分が当選するためにはハイエナのような地方議会議員にカネを渡さなければならない・・・・・・

 そういう政治家を、血も涙もない官僚たちが支える。

 

「マイク切り」は新潟でもあった… 水俣病患者に向き合わない環境省、急造の対応チームで一体何をする気か

【記事本文】

環境相との懇談で、水俣病の被害者らが発言中にマイク音が切られた問題。環境省は14日、水俣病への対応力を高めるためのタスクフォースを設けたと発表した。厳しい批判を受けて対処した格好だが、実際に何をやるのかは見えてこない。これで根本的な姿勢、考えは改まるのか。被害者との向き合い方に何が欠けているのか。(宮畑譲) 

 「今回のことを深く反省し、環境省全体で皆さまに寄り添って、一丸となって取り組みを進めてまいります」。14日の記者会見でタスクフォースについて説明した伊藤信太郎環境相がこう強調した。 ◆新たな部署ができるわけではなく…  タスクフォースは省内を横断し、環境相ら政務三役が顧問、次官が幹事を務める。職員は審議官を含む24人で構成するが、現在の所属のままで、新たな部署ができるわけではない。  環境省に詳細を聞くと、「新しい組織をつくったというわけではない。対応するチームのようなものだ」との答え。組織改編とまでも言えないようだ。今回の問題を受け、環境相と患者・被害者団体の再懇談の調整に当たるが、他に具体的な仕事内容は決まっていないという。

 今回の「マイク音切り」問題は熊本で起きた一方、同様の状況は過去に新潟でもあったようだ。  新潟水俣病阿賀野患者会の酢山省三事務局長によると、10年ほど前、5分程度でマイクが切られ、抗議したことがあったという。

◆石原親子2代にわたって繰り返された暴言と失言  そもそも環境相が新潟を訪れて被害者らと会ったのは2015年が最後。今年に関しては、5月31日に新潟市で開かれる式典に環境相の出席と意見交換の場を設けるよう、同会などが要望してきたが、環境相は国会開会中を理由に欠席する。後日、環境相との意見交換の場を設けるよう調整中で、酢山さんは「要望している最中に熊本で問題が起きた。(新潟への大臣訪問が)早晩、具体化されると理解している」と話す。

 過去にさかのぼっても、被害者に対して誠実に向き合っているのか疑わしい例にも行き当たる。 環境省が入る合同庁舎=東京・霞が関で 環境省が入る合同庁舎=東京・霞が関で  昭和の時代には、環境庁長官だった石原慎太郎氏が「今会った(水俣病の)患者さんたちはかなりIQ(知能指数)が低い」と述べ、反公害住民団体の陳情に「デモンストレーションのための陳情団に会う必要はない」と言い放った。

 ちなみに石原氏の息子で環境相だった伸晃氏も2014年、東京電力福島第1原発事故に伴う除染廃棄物の中間貯蔵施設の建設を巡り、福島県側との交渉について「最後は金目でしょ」と発言。被災者の心情を踏みにじるとして、猛烈な批判を受けている。

◆「直接訴える大切な場」  中京大の成元哲(ソン・ウォンチョル)教授(社会学)は、自らが現地調査で携わってきた水俣病に触れ「被害者に向き合わない環境省の姿勢は今に始まったことではない」と言う。  さらに「被害者らには年々、新たな問題が生じる。1年に1度、地元で大臣に直接訴える大切な場になる」と述べる一方、「政治家が苦しみに向き合う、話を聞くのは単純で当たり前の話」と語り、あるべき形から逸脱する状況に憤る。  政治家は被害者救済などに向け、イニシアチブを発揮すべき立場のはずだが、過去の公害問題を研究する大阪公立大の除本理史教授(環境政策論)は「救済に背を向ける環境省のスタンスに乗っかってきた大臣に『抜本的に改めて』と言っても難しいだろう」と悲観的に話す。

 ただ政治家には、そうした姿勢を変えるだけのパワーもあると指摘し「政治家に覚悟を持たせるには、被害者を切り捨てる政策を見直すように迫る世論の高まりが大事だ」と訴える。

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