浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

『朝日新聞』の変質

2024-05-23 22:13:26 | メディア

 もと朝日新聞の外岡秀俊が語る『外岡秀俊という新聞記者がいた』の内容を紹介しはじめたが、かつては朝日新聞には、良い記者がいた。「かつては」と書いたのは、もうそうした記者がほとんど残っていないからだ。

 私は、小泉内閣の郵政選挙の際の同紙の社説を読んで即購読をやめた。その一本の社説は、当時の小泉首相の演説を聴くとうっとりするというような内容であったと記憶している。それは私にとって、大きな衝撃だった。

 その後の朝日の動向をみていると、若干の変動はありながらも、「読売」「産経」と同質的な方向へと歩んできているように思える。

 その決定的な言説が、『朝日新聞』紙上に出現した。

「朝日新聞を読むの、もう止めようかな」

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【本】及川智洋『外岡秀俊という新聞記者がいた』(田畑書店)

2024-05-23 10:39:15 | 

 内容の濃い、とてもよい本である。外岡氏が知性の塊であるからでもあるが、インタビュアーの質問もよく、外岡氏の「知」をうまく引き出している。

 外岡氏の語ることに多くは同意できたが、日米安保の問題だけは同意できない。外岡氏は日米安保を是認している。自民党を中心とした日本政府の対米従属、いや今では対米隷属をつくりだす元凶がこの日米安保体制にあるからだ。自衛隊の運用その他をみると、日米安保体制が自衛隊員を危険にさらすものだと思うからでもある。

 多くの政党、一般の国民は日米安保を前提にしているが、「国家主権」のありかたを考えると、是認できるわけがない。現在の世界各国も、国際機関の存在、条約などで「国家主権」が制約されてはいるが、日本ほど「国家主権」がないがしろにされている国はないと思う。近代国家は、「領土」、「国民」、「国家主権」が大きな要素としてあげられているが、日本の領土を米軍は自由に使って良い(領土だけでなく、領空、領海も)、国民が米軍に被害があっても、損害は日本政府が行う・・・・というように、米国に対しては日本の「国家主権」はないに等しい。

 さて外岡氏が語ったものを順次紹介していきたいが、まず外岡氏が疋田桂一郎から教えられたことを記しておきたい。

 昔購読していた頃、『朝日新聞』日曜版の特集、「世界名作の旅」、「世界名画の旅」などにいつも感心していた。おそらく社内の名文家を揃えて書かせていたのだろう。その企画に参加した外岡氏は、名文家である疋田桂一郎は、取材には「仮説を持って現場に行きなさい」と言っていたそうだ。どんな内容を書くか、取材先、ストーリーをきちんとつくってから取材に行かせていた。「仮説を持って」ということは、じゅうぶんに下調べをしておくこと、「ストーリーをきちんとつくって」というのは、どういう取材をするのか、取材する相手、取材する内容を事前に用意していくということだろう。

 この話は、私が歴史の調査で海外に行く際の留意事項と共通する。事前準備、取材相手、取材内容などを明確にしていかないと、調査は漫然としたものとなり、得られるべきものが得られないということだ。

 また疋田桂一郎は、「体言止めはしない」と言っているという。新聞記事には体言止めが多く、もう亡くなったが某紙の記者は体言止めを多用していた。短い文で内容を伝えるためにはやむをえないこともあるだろうが、私はほとんど体言止めはやらない。

 またついでに言っておけば、「・・・・だ。」というかたちで文を終えるものも多い。私は「・・・・だ。」を多用しない。時に使うことはあるが、「・・だ。」が続くと、どうも上から目線で書いている、というような気がしてしまう。新聞記事で、「・・・だ。」が多用されるものがあり、そういう文は好きではない。

 つぎに、外岡氏の新聞記事のスタイルについて話されている。企画記事は、「〇〇を通して××を描く」ものであること、「〇〇が具体的な人であり、××が普遍的なテーマになる。」これも、敷衍できるものだ。私も、〇〇は人だけではなく、歴史的事件や文学作品、絵画・・・・など多様ではあるが、それらをモトにして、普遍的なことを語るようにする。まとめは普遍的な内容となる。

 以下続く。

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