浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

ある映画について(暴力支配下の大学)

2024-05-27 21:07:27 | 社会

「ゲバルトの杜ー彼は早稲田で死んだ」という映画が上映されている。残念ながら、私の住む浜松市では上映されないようだ。

 この映画は、1972年11月8日、早稲田大学文学部の学生であった川口大三郎君が、暴力集団革マル派に中核派のメンバーだとされて(川口君は、中核派のメンバーではない)、文学部校舎で革マル派によって惨殺された事件である。

 当時法学部の学生であった私も、その後に展開された虐殺抗議・革マル派追放運動に参加はしたが、しかし熱心に参加していたわけではなかった。

 この事件について、樋田毅さんが『彼は早稲田で死んだ』を著し、この事件を詳細に記した。この本についてはかつてこのブログに書き、また革マル派の暴力の主体であった者が反省もなく堂々と生きていることについても書いた

 そしてこの本をもとに、映画が制作された。上映される中で、11・8事件についてのサイトが立ち上がっていることを発見した。

 私は、樋田さんの本を読んで、暴力支配に抗する文学部の学生がどのような行動をとっていたかを改めて知ったし、彼らが体験したこと、そしてそれに伴う苦悩を知らなかったことを恥じた。さらにネット上で今日知った「川口大三郎リンチ殺害事件の全貌」は、まったく知らなかった、樋田さんの本でも詳しく記されていなかった事実を提示している。これを読み、またまた驚かされた。

 事件から50年以上経過して、こうして新たな事実が公にされていく。

 あの頃、私はサークル活動(裁判問題研究会)やアルバイトで日々を過ごしていて、そちらのほうに力を注いでいたので、他学部ということもあったが、反革マル運動に積極的に参加していなかった。しかし暴力支配(革マル派は、平気で鉄パイプを振り下ろしていた!!)の下にあった文学部生にとっては必死の闘いであったことが樋田さんの本や、このサイトで知らされた。

 革マル派の暴虐を見て見ぬふりをしていれば革マル派の暴力とは無縁であったが、そうでなければ彼らの鉄パイプは着実に振り下ろされたのである。

 私も法学部では彼らの暴力活動に抗する行動を行ったりしていたが、彼らは法学部の八号館では勝手な行動はとれなかった。

 振り返ってみれば、異常な大学であった。革マル派の暴力は日常的に振るわれていた。その暴力支配を利用して、大学当局は秩序維持を図っていた。暴力支配の構造を、大学当局と警察が支えていたのである。以前にも書いたが、大学正門を警察が入退構する者を見張っていたが、明らかにコートのなかに鉄パイプを隠し持っている革マル派の学生を見逃している姿を、私は見ている。

 私が通っていた頃と大学の姿はかなり変わってしまっているようだ。またあの頃、政治の問題や社会の不正義に憤っていた学友たちのなかには、不正義の側に「転向」してしまった者が、あんがいいる。

 不正義への怒りを、何故に捨て去ることができたのだろうか。

 11・8事件に拘泥している人たちは、革マル派による暴力への怒りを捨てることなく、強く強く持ち続けている。私も、あの頃の記憶を持ち続けていたい。川口君、そしてその前に革マル派の暴力を受け、穴八幡で自殺を遂げた山村政明(梁政明君、彼は在日であった)君を忘れない。そして革マル派への怒りは、死ぬまで消えることはないだろう。

 

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