goo blog サービス終了のお知らせ 

一句鑑賞

俳句ブログも長くなりました。この歳なりの記事が書ければと思ってますが、やや怪しげな時もあります。よろしくお読み下さい。

熱帯夜も今はね

2022-06-27 00:16:43 | 俳句

今夜はそうではないのですが・・・熱帯夜

季語ですね。

エアコンを入れてれば、汗を拭き拭きということはありません。

例句を見ますと

蛇皮線を鳴らし古酒飲む熱帯夜   堀 古蝶

まつくらな中に階段熱帯夜   吉田 汀史

手と足と分からなくなる熱帯夜   五島 高資

の三句が載っていました。

暑き夜は熱気で対応しますと・・・泡盛を汲み、三線を引き寄せて弾けば熱を帯び、暑さを忘れるのかな?分かりますよね、島唄のリズムが浮かびます。

2階から暑さのために階下の台所で冷たいものをと思ったのでしょうか・・・階段は怖いですよ。怪談もこわいけど・・・

あまりの暑さに寝返りを打ってみても暑さは変わらず、もう何がなんだか!って感じで手も足も取り敢えずはいつもの位置にあるのだが・・・(-_-;)

漬け物作業を済ませて疲れてましたが、すこし俳句記事をと。

 

BGMはベートーベン6番ですんで、なんか元気出てきました(^^♪

おやすみなさい

 


瓜漬けこみました

2022-06-26 22:06:34 | 日記

甕の中に厚手のビニールを2枚重ねて酒粕に漬け込みました。

右手で酒粕を底に敷き、左手で中ザラメを酒粕にぱらぱらと撒き・・・

瓜を皮目を上にすこし押し付けながら並べます。

そして酒粕、ザラメ、瓜・・・重ねていきます。

甕にふたつ漬けました・・・

今回の反省点は、昨日が終日雨で湿度が高く、乾燥具合が気になっております。

 

これを書いてる途中に熊本で地震です。

福岡でも揺れたようなのですが、気づかなかった(-_-;)

 

といったところで疲れました(笑)

 


労基

2022-06-24 23:33:49 | 日記

葉も茂り、花も13個(個?)も咲いて賑やかですが・・・

実は福岡地方は雨が少ない。今日も30℃越えで暑かったです。

みずみずしいはずの花に元気がありません。

 

瓜を陰干しというか干しております。

数時間にいちどキッチンペーパーで拭きあげて程よく乾燥するようにしています。吹き上げながら瓜自体の良さに気づいてます。肉厚といいますか、硬いとかで言い表せないのですが、程よい弾力もあります。良い瓜だなと改めて思ってます。

現在の様子では、明晩ぐらいに粕に漬け込もうかなと考えてます。パリパリに乾くのはだめでしっとり感があるぐらい、見極めます。

というわけで、奈良漬けにはなってませんが進捗状況を。

 

朝一番に瓜のことをして、福岡東労働基準監督署へ労災の更新申請に行きました。東区香椎浜というか千早にあります。

せっかく来たのだからと、九大病院の横の朝日地蔵さまにお参り・・・!

いつもより人が多い・・・そうか!24日、4のつく日はお地蔵さまの御日だった!しずかに他のお参りの方とならんで済ませました<(_ _)>

饅頭屋さんがあります、おはぎを家族の頭数だけ買いました。

そうだ、天神になんか大きなビルが出来ていることはしっておりましたが、せっかくだから見学、といっても全体像と1階を通り抜けたぐらいですが(-_-;)

あちこちで工事が行われております、変わるでしょうね・・・時代ですからね。

60数年前に天神ビルや福ビルができたときは子供ながらに大きなショックを受けましたが、本日はそれほどでもなかったな・・・もう歳だからな(^_^;)

と行った一日でした。

 

 


瓜漬ける

2022-06-24 00:10:15 | 料理番

 

 

先週に予約を入れてた瓜。JAにじ耳納の里へ朝一番に行きました。

とんぼ返りで帰宅・・・その他用事もありましたんで帰宅は午後零時。

簡単にお昼を食べて、写真のように二つに割り種とその周囲のやわらかく青っぽいものまでスプーンで丁寧に削り取ります。

瓜は20キロ、32本くらいですから64枚の奈良漬けとなりますが・・・

かなりしんどい仕事です。

このあと塩をして重石を乗せました、終了まで約3時間、頑張りました~(^_^;)

明日は陰干しの工程です(笑)

最後は酒粕に漬け込んで終わりなのですが、ここ二三日は気が抜けません。

といったところで、お疲れ状態でいます、つまり頭もボーっとしています<(_ _)>

 


田植の賄い

2022-06-19 00:32:11 | 料理番

5年前の一枚です・・・山間の田植えが終わったばかりです。

田植で幼少の頃(^_^;)を思い出すと次のようになりますね。

とにかく家じゅうが田の匂いというか、昼間の田植えで身に着けたもの身体も匂いを被ったようでした。

わが家の田植えを手伝ってくれていた人たちがいて・・・数人ほどだったと。

昭和30年ころと思ってくださいね。

私も子どもながらに田に手伝いで行ってました。どれだけ農業の手伝いをしたでしょうか?

しゅろ縄?って言ってましたか・・・手植えですから苗が不揃いにならないように畔の向こうとこちらへ縄をピンと張って植える位置を出したりする作業。苗を一束にしていますので、それを田の要所へと畔から投げ込みます・・・外れると父から「そこでは駄目だ、もう少し人に近いところへ投げろ!」とお叱りが・・・(-_-;)

けっして遊びの手伝いではありません、それなりの戦力としての手伝いですね。

もちろん秋の稲刈りなども手伝いました、このまま田んぼの仕事をするのだろうなどとかは、全く考えずに、目の前の仕事を懸命に手伝っていましたね。おかげで知らぬ間に体力?もついていたようです。

田植に戻りますが・・・・

昼前になると母がお昼を持って来ます。手伝いの人たちの分と家族の分と数段の重箱に、おにぎり、野菜などのおかずを詰めて・・・これが届くと手伝いの人たちの元気が出ます。

「奥さんの料理は美味しい、食べたことが無い」などと相好を崩してました、のを記憶しております。一日が終わっての夕餉も、手伝いの人と一緒なんです。

が、板張りの卓に家族で食べます。手伝いの方は土間に簡易な卓と椅子に腰かけてでしたが、一緒に食べました。この時も皆さんは、奥さんの料理は美味しい、食べたことが無いと言いながらでした。

しかし卓には贅沢な品は並んでおりませんでした。限られた材料で母が、たぶん懸命に作ったのだろうと思うのです。

祖父母も居たのですが、別室での二人の分も作っておりましたのでしょう。母の凄さにはなんにも言えません。一昨日、たまたまお墓参りに行きましたが、その辺が下敷の記事となりましたね(-_-;)

いま私は、昼の賄いと夕餉の料理番ですが・・・辛いとか作りたくないとか考えたことはありません。流しに立てば頭も手も働きます。母の姿といいますか、当時の食べられるだけで良しとした時代に、美味しさを感じる一品があればこれは贅沢の極みなのでしょう。

薄っぺらなといえば怒られるが、出来合いをチンしたりする時代ではなかった。

といったところで、田んぼの匂いは伝わりましでしょうか?

俳句には辿り着けませんね(笑)