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一句鑑賞

俳句ブログも長くなりました。この歳なりの記事が書ければと思ってますが、やや怪しげな時もあります。よろしくお読み下さい。

谺して・・・

2016-01-31 22:07:12 | 日記
昨夜のBS2のグレートトラバース2を視た。
九州に入り英彦山が田中氏の感想を交えて放送された。
私の好きな場所といえば失礼なのだが、嬉しかった。
昔というか10数年前に主宰と二人で吟行したことがある。
その時の吟行記がメモリーに残っていたので・・・貼り付けました。
この5月には必ず登ってみよう。
トラバース2達成!おめでとうございます。


吟行記・谺して句碑ふたつ

英彦山は修験者の山。頂上を上宮として祀り、数本の登山道が頂上で出合っている。修験者が駆け巡った道には、けもの道などとその険しさをあらわす名が付けられている。本登山道というべき奉幣殿からの道はよく整備され急登も少なく、家族連れにも時間を掛ければ楽に頂上に立てる山である。
しかしながら、その取り付きの参道が不慣れな人には難関なのである。石段で簡単そうな道なのだが、一段一段が高くて不揃いなものだから、けっこう足に負担が掛かる。その石段を奉幣殿まであと一歩まで登り詰めると、周囲は大杉の木立となっている。その左手の一本のすぐ脇に久女の句碑が、凛とした筆跡を刻んでいるのだ。

谺して山ほととぎす欲しいまま

今まで三度英彦山に登っているが、昨年四月に登ったときに初めてこの句碑の存在を知った。俳句をするものとしては暢気なものである。出会ったときは嬉しくてしかたなかった。
 数年前に頂上から尾根伝いに、別のルートを下り始めた時であった、深い谷の底から時鳥のそれこそ一鳴きを聴いたことがある。今回は鳴くだろうかと句碑のところまできたのだが、鳴くのは鶯と名を知らぬ鳥たちである。久女も数度の逗留中に聴いたのであろうから、これは仕方のないことと句碑と神宮を後に長い石の段を下りる。
 その英彦山神宮から車で約五分の豊前坊に、高住神社がある。登山では英彦山への別ルートの登り口となっている。
英彦山神宮より人も少なく、ただ一軒の店が登り口の脇にあるだけで、深山の趣はこちらの方が強く感じる。
深い山から染み出している水は、獅子頭に似た石の口から絶えず流れ出している。豊前坊の名水なのであろう。各地から水を汲みに来る人が多いようだ。
高住神社へ登る参道は、杉木立の鬱蒼とした中の石磴を緩やかに上っていく、英彦山神宮のそれと比べれば楽なものだ。その参道の尽きるところに一本の栃の大木がある。その傍らに久女の二つ目の句碑が、文字を朱にして刻まれている。

栃の実のつぶて颪や豊前坊

なんという言い切りの強さであろう。つぶてのごとく実が降ったのであろうか、それとも英彦山颪に叩かれて強く降ったのであろうか。否、これは両方を併せた実の落ちようなのであろうと、無理やり納得した。栃の大木はそれを証明するに足る大きさなのだった。

「谺して山ほととぎす欲しいまま」にしても、上五で切れているのか、山で切れているのかがはっきりしない。それでいてしっかり言い切っているのである。「谺している山もほととぎすの声も、すべてが私に見える景色なのよ。」と言って笑っている久女がどこかにいるような気がする。

 豊前坊の神社を辞し、参道を中途まで下りてきたそのとき鳴いたのである。「テッペンカケタカ」と、すぐ前方で鳴いたのだ。それも何度も何度も、少しずつ場所を移動しながら、数分かそれ以上か、次第に遠退いて行く声はいつまでも耳に残った。

時鳥が山全体を欲しいままにして鳴いている。

他の音は耳に入らなかった。これが欲しいままの情景なのか、それは久女にしか分からない。
鳥肌が立つのはこんな時なのだ。主宰もしばらくは一歩も動けなかった。

主宰を案内し、久女句碑へのピンポイント吟行。福岡空港を車で発したのは午前八時、空港に帰着午後一時。
久女の魔法にかかったままの帰路であった。



冬萌

2016-01-29 21:47:56 | 日記
冬萌
2011-02-01 21:38:39 | 日記
2月になりました。
福岡では寒波も通り過ぎたようです。


冬萌や五尺の溝はもう飛べぬ      秋元不死男

郊外に出てみると草が芽ぐみ春はもう其処まで来ているのです。
溝があります・・・若い頃は向こう側へ軽々と飛んだのに。
今この歳になるともう飛べないのです。
1メートル50センチほどの溝です、貴方、跳びますか?
私、跳びます・・・笑


冬萌や歌ふにも似て子の独語      馬場移公子

子供はすべてに敏感です、なにかを思いだすかして独り言を言ったのでしょう。
それが軽やかに、歌の一節のように聞こえたのですね。
春はもう子の身の内に在るようだと。


2016.1.29
冬萌で5年前の記事は終わります。
またなにか書いたもの、或いは新しい記事を書くかもしれません。

あらためて俳句は歳時記を読むことに始まり終わるのかなと思ったりしました。
もう20数年前の気力はありませんが、頭が枯れないように(笑)



昨日の雪がまだ残っていました。
画像は筑前町ファーマーズマーケットみなみの里のとなりの麦畑です。
昨年はコスモスやヒマワリの画像をアップしました。
定点観測ですね・・・



冬の滝

2016-01-27 22:33:35 | 日記
冬の滝・凍滝
2011-01-29 22:14:17 | 日記
滝が凍る。
滝の水が落ちるのは迫力があります。
水が落ちるときは、水が動いていて水そのものの形を見留めることは難しいです。
その水が凍ると、金剛力が篭っているようだと・・・滝つぼに向かって、突き刺すような氷柱も迫力なのです。

滝凍てて金剛力のこもりけり     小島花枝


2016.1.27
寒波も一段落・・・+10℃でした。
私が済む町の東は標高800メートルの連山があります。
その谷の一つに凍てる滝があります。700メートル付近。
凍てつく滝は芸術品のようでもあり、この時期の人気です。
しかしながら軽アイゼンは必須で、1時間以上山道を登ります。
そして辿りついての景観ですから達成感もあり人気なのでしょう。
ちなみに私は仕事ばかりしていますので行きません。


春近し

2016-01-26 22:37:23 | 日記
春近し・春隣
2011-01-28 20:59:54 | 日記
晴れて温かく感じる日でした。
春はすぐそこまで来てるなと・・・。
例句は多いですが、一句だけ。

尾の長き鳥が流れて春隣        大峯あきら

鳥が流れる、ここがポイントです。
鳥は飛ぶもの、流れませんね・・・水に浮かんでいるわけではありません。
作者は川を高みから見える場所にいるのでしょう。
川の流れを見ていると、尾の長い鳥が流れよりも早く下って行ったのです。
それを流れ星のごとく捉えて、鳥が流れると見たのですね。
素早い鳥の動きをよく見た句なのです。
そして春はもうそこまで来ているのです。
流れて・・・いい表現ですね!


2016.1.26
寒波も一息の今日でした。
春の実感はまだ見えませんが、鳥の動きや風の和らぎなどに春を感じたいですね。
5年前のこの記事も2月の頭に終わります。
最後の季語は、冬萌です。

いまからサッカーを視ます





笹鳴

2016-01-25 21:19:41 | 日記
笹鳴
2011-01-27 22:38:30 | 日記
低温の今朝でしたが、日差しを額や顔に受けると温みを感じました。
今年になって未だ田舎を歩いていません。
春の兆しが見えているでしょうに・・私が笹鳴を聴くのは秋月です。
まだ今年は訪れていません。
例句は・・・


笹鳴や磨きて覚ます杉の肌     本多静江

この杉は、京都の北山杉、絞り丸太でしょう。
杉の肌と言っていますから。
床柱として和室に使われています。
その製造工程は、杉皮を剥かれた丸太を冷たい川の水で・・・
たしか・・・素手で磨くのではなかったかな?記憶が薄れてます・・・笑
しかもその作業は女性が主に担っていたと聞いていました。

例句は・・・・
杉皮を剥がれて冷たい水で磨かれた杉の肌は、いよいよ白く光りだします。
これを杉の命を覚ましているようだと言っているのですね・・・。
そんな現場に、鶯の笹鳴が届いているのです・・・鶯ももう直ぐホーホケキョと鳴けるようになるのだと・・・
磨きて覚ます杉の肌・・・・素晴らしい!
絞り丸太の作業所・・・自然に包まれた。
正しく「季語の現場」で作られた句ですね。


2016.1.25
この寒波は・・・明日は早めの仕事があるのに。