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江戸期の別子銅山の素吹では、珪石SiO2源の添加操作はなかった?(6)

2020-03-29 09:08:07 | 趣味歴史推論

 越前面谷銅山の素吹では、珪石の添加操作がなされていたかを調べた。
面谷銅山は、小葉田淳「面谷銅山の稼行法と製錬法-近世の面谷銅山-」に詳しく書かれておりそれを参考にした。1)
この銅山は、越前国大野郡穴馬郷面谷村にあり、近世の大坂の銅座・銅屋の記録には、大野銅山と記されることが多い。天和2年(1682)にはかなりの産銅があったらしい。正徳4年(1714)には大坂廻着の大野鍰銅(しぼりどう)126,992斤(76トン)、同荒銅6,400斤(3.8トン)に達している。泉屋は寛政9~10年(1797~1798)の2年程、元締めをしたことがある。
近世の面谷銅山の製錬法を記した原典のうち、筆者が見られるものにあたった。それは喜多村寛治が明治16年(1883)に記した「面谷鉱山景況」である。その製錬記事は 当地に老練の名ある村人尾崎喜藤次氏の口授に係るものも少なくないとしている。製法の時期は分からないが、江戸末期と推定される。書き手の知識が入って記述されたと思われる箇所もある。

鉱質は以下のとおりである。2)
「鉱石は黄銅鉱(CuFeS2)および斑銅鉱(Cu5FeS4)の2種を主なるものとす。硫化亜鉛鉱(ZnS)、硫化砒鉄鉱(FeAsS)と混するものあり。また自然銀(Ag)の多量を雑ゆるものあり。その硫化砒鉄鉱多き処の鉱は、その中の含銀もまた多し。富饒の処のおいては硫化鉛(PbS)を混することあり。まれには黝銅鉱(ゆうどうこう 四面銅鉱 (Cu,Fe)12Sb4S13)紅銅鉱(赤銅鉱Cu2O)あり。まま褐銅鉱(?)黒銅鉱(CuO)孔雀石(Cu2(CO3)(OH)2)あり。その伴金石は蛍石(CaF2)および方解石(CaCO3)或いは石英(SiO2)とす。」

「製錬は一種の旧法にして世のいわゆる摂州吹、もしくは奥州吹と唱するものとは異なり、やや錯雑なる法なれども、その雑物をして脱却せしめ良銅を得るに至りては、或いは他の旧法に超越するところあらん。故に当山の如き多量の砒素(As)亜鉛(Zn)等を含有する鉱石の製錬はかえってこの法に適すべし。昔奥州人の伝えたるものなりという。」

焙焼3)
粗選鉱石を焙焼する。焼鉱竈21個あり。生鉱100貫を焙焼すれば、およそ10貫の減量を起こし、90貫の焼鉱を得る。

荷吹(素吹)
・鉱石を鎔錬し粗鈹を得るものにして方言で荷吹という。鎔錬所4ヶ所炉11個あり。荷吹床の作り方の詳細あり。
1鎔解、およそ110~120貫の鉱石を9時間ばかりにて鎔錬することを方言で拾吹(とぶき)という。
・炉の準備調整の手順詳細あり。炭粉厚さ2寸、炉は長さ1尺2寸、幅9寸、深さ8寸その底は円形。刃口は焼鉱の鎔錬なれば炉の半ばを蓋う。生鉱なれば4寸炉上を蓋するを法とす。
・炭を入れ徐々に風を送る。火気ようやく盛んなれば、吹大工「十能」を刃口の下に差し入れ、1鎔解の1/8の鉱石を炉前に移し、境炉滓(さかいからみ)を混し、炭を加え、鉱石・境炉滓をすくって炭上に盛る。4) 指子(さしこ)は鉱石を遷輸するを待って尋常の如くフイゴを皷す。吹大工は常に注意して炉辺の鉱石をすくい火上に盛る。およそ30分にして「開口しゃくし」を取り、鉱石をつまみ出し「中廻し」にて刃口に粘着したる半鎔の鉱石を分離しフイゴ風の進入をして自在ならしめ後半鎔鉱中に混合するところの炭火を刃口前に集め新に炭を加え鉱石を盛ること初めの如くす。これを「口を開ける」という。風道を開けるの云いなり。また20分を過ぎれば再び口を開きてフイゴ風の進路を良くした後10分を経て鉱石ほとんど鎔解し終わる。よって炉の周辺に「十能」を入れ裏を以て半鎔残留の鉱塊をすくい火上に盛り全て鎔化しつくすを待って炉前を箒き水を注ぎてこれを湿し「助十能」の裏にてすばやく鎔液をすくい刃口に注射す。刃口およびその左右に粘着したる凝塊を分離して鎔液中に沈没せしめ炭火をつまんで炉前に出す。指子一人は炭塊の大小を選別す。大塊は鎔鉱に用い小塊は炭粉を造るに供す。他一人は箒を以て火上に水を注ぎ消滅せしめ左側に掃き寄せ、刃口上の堆塵もまた掃除す。吹大工は炉滓をかき出せば水を汲みてこれに注ぎ、寒冷凝結せしめ下に、「鈹立」を入れ、指子両人にてひっかけてこれを棄つ。こうして炉滓は全て去らす。炉内粘着したるものもただ擦り除いて炉中に入れるのみ。右終わればすでに消滅したる炭塊を再び箒入し新たに炭を加え鉱石を盛り、前の如く鎔解す。かくの如くする事4回にしてはじめてことごとく炉滓を去る。こうしてなお小片となりて鎔液上に浮かべるものは1個のフイゴより風を送らしめて一塊に集めこれを除去す。
すでに掃除したる火上に炭を盛り、炉滓(からみ)の一塊を入れて点火燃焼せしめ残剰鉱の鎔錬に便ならしむ。炉内の粗鈹は冷凝するにしたがい「鈹立」にてひっかけてこれを剥ぎ扁片楕円形なるものおよそ18~19張りを得て鎔錬所の一隅に積堆す。終わりに得るものを方言で亀甲(かめ)という。その形相似たるを以てなり。ことごとく剥ぎ終われば火を入れ炭を加えて残余の鉱石をまた4回に鎔解す。かくの如くおよそ110~120貫の鉱石を8度に鎔解し1度毎に炉滓を去り、4度毎に粗鈹を剥ぎ取りおよそ18~19貫を得る。これを方言で赤湯という。
炉は炭粉焼却破損して蛤形をなす。鎔解の業すでに終われば炉に水を注いで寒冷し刃口を破りてこれを棄て炭粉を摩擦して少なくこれを去り、その台上に推集せる鉱粉炭粉の混合物と併せてこれを篩い(目開き2.5mm 8メッシュ位か)塵炭粉となし、また小炭塊をつき砕き炭粉を造って後日の準備をなして止む。
・前量の鉱石を鎔解するを荷吹床一挺前の業としておよそ9時間を費やす。夜に始めて昼に終わるを昼吹と云い、昼に始めて夜に終わるを夜吹と云い、夜に始めて夜に終わるを夜中吹と云う。通常は1炉にて、甲昼吹すれば乙夜吹す。繁忙の時は甲乙丙と吹いて昼夜間断あることなし。
・当山の鉱石は蛍石・方解石等を包含するが故に鎔解容易なれば、生鉱を鎔錬するは多し。然れども多量の砒素亜鉛等を含有する時は焼鉱して後、生鉱に混ぜて鎔錬す。生鉱の炉滓(からみ)は濃密にして、焼鉱のものは希薄なる水の如し。こうして粗鈹の焼鉱より得るものはその量少小なる故に次の製錬に至って最も便なりとす。生鉱の粗鈹は外面帯青灰色にして割折面は色やや淡く質疎なり。焼鉱のものは赤褐色にして割折すれば美なる淡紅葡萄色にして質緻密なり。生焼二鉱を混するものは割折面に銅の斑点を呈す。そして皆な水に逢うか或いは日を経れば、鉄さびを生ず。よく焼成したる鉱石を鎔錬すれば粗鈹の層の下に荒銅を得ることあり。これを方言で尻銅と云う。」

赤離・鈹吹・真吹
荷吹で産出した赤湯すなわち粗鈹を赤離・鈹吹・真吹の3工程で鎔解製錬し荒銅にする。この鎔錬の1回を方言で一仕廻(ひとしまい)という。生鉱より得た粗鈹は、量多いが銅分は少ない。焼鉱よりのものは銅分に富んで量は少ない。よって生鉱なれば、荷吹7~8回分の粗鈹で赤離鎔錬1回の量とする。焼鉱ならば15~16回分の粗鈹を用いる。生焼鉱を当分に混合したものは12回分を用いる。このようにして、鉱石100貫より荒銅およそ6~7貫を得る。良鉱の場合は、荷吹7~8回分の粗鈹で赤離1回の量になる。
・赤離(しゃくり):赤湯(粗鈹)より銅分を分離するの意である。赤離床で粗鈹を木炭で加熱し、多量の亜硫酸ガスや砒素、亜鉛ガスを除き、主生成物として銅部(方言でどぶ)の塊を得る。銅部は炉中で濃粘質物凝結して大塊となり炉壁に固着する。黒色で多量の銅珠を含んでいる。赤離床の炉底に荒銅が少し残りこれを「赤離の尻銅」という。粗鈹の状況により赤離を省くこともある。
・鈹吹:銅部(どぶ)の塊を砕き、鈹吹床に炭と共に仕込み鎔解し、炉滓を取り流し出し、主生成物として精鈹(藍灰色にして割折面灰色なり)を得る。この鈹吹で得る炉滓を方言で境炉滓(さかいからみ)という。沈水に寒冷するにあらざれば、荷吹(素吹)の鎔剤に用いべからずという。
・真吹:精鈹を破砕し床に炭と仕込み鎔解し、鎔液上の雑物を取り除きながら真吹し約7時間で荒銅にする。

まとめ
1. 面谷銅山の鉱石は、黄銅鉱(CuFeS2)および斑銅鉱(Cu5FeS4)であり、別子のように、多量の黄鉄鉱(FeS2)はなく、鉄分は少なかった。よって取り除くべき鍰の量は少なかった。
2. 荷吹(素吹)では、珪石の添加操作はなかった。
3. 但し、後工程の鈹吹で流れ出た境炉滓(さかいからみ)を、焼鉱あるいは生鉱に添加している。この境炉滓の添加理由は、一つは熔けやすくするためであり、一つはリサイクルして、含まれていそうな銅分の回収であろう。操業者には、珪石の代わりに添加しているという意識はなかったと推定する。
4. 喜多村は、「面谷の鉱石は、蛍石・方解石等を包含するために素吹での鎔解は容易であって、そのため生鉱(焙焼なし)を鎔解することが多い」と記している。この表現から、鉱石中の脈石(CaO分が多く含まれている)が融剤となっており、意図して珪石を添加する操作はしていないと推測できる。融剤のCaO分が、低温で流れやすい鍰の形成に有効であるということは、いつ頃から知られていたことなのであろうか。
5. 炉の構造、材料、作り方、操業の仕方、道具について詳細な記述と図がある。特に構造と作り方の記載は貴重である。但し筆者にはその内容の理解が難しい。

注 引用文献
1. 小葉田淳「面谷銅山の稼行法と製錬法-近世の面谷銅山-」住友修史室報 第16号p17~21(昭和61.8 1986)
2. 喜多村寛治「面谷鉱山景況」日本鉱業史料集第11期明治編下(白亜書房 1989.7)p17 原典:工学叢誌 20巻 p278 (明治16.6 1883)
 ( )の化学式は筆者が書き加えた。
3. 同上p21~25 原典:工学叢誌 27巻 p28~36(明治17.3 1884) 
4. 同上p31~43 原典:工学会誌 33巻 p338~362(明治17.9 1884)→図
図. 面谷銅山の荷吹(素吹)



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