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天満村寺尾九兵衛(4) 家紋は「三つ扇」で上柏村寺尾家と同じなので同族である

2024-07-14 08:19:40 | 趣味歴史推論
 寺尾家の位牌および分家若竹屋寺尾家の家紋は「三つ扇」(みつおうぎ)であった。「三つ扇」にも日の丸の有無、扇の骨の本数の違いがある。より詳しく観察すると、写真1のように、貞享2年(1685)や元禄5年(1692)では日の丸のない「三つ扇」であり、文化元年(1804)は「日の丸三つ扇」であった。古い方の本家は「三つ扇」で、分家は「日の丸三つ扇」のようにも見える。
 この家紋から出自が推定できるのではないかと考え、インターネットで「寺尾 三つ扇」の検索をした。その結果、ブログ「フクロウ日誌」で、尾張藩家老寺尾直龍が修復した知多市の慈雲寺の寺紋が「三つ扇」であることが分った。1)そして、この寺紋は万治3年(1660)再建を援助した寺尾家の家紋なのである。
「フクロウ日誌」著者K氏の了解を得てブログより抜き出して作成したのが、写真2である。
慈雲寺の「寺紋」は全て「日の丸三つ扇」であり、鬼瓦・棟瓦では扇の骨5本である。塀の瓦(笠木瓦)・手水舎・庫裡では、骨3本である。「士林泝洄」の寺尾家の家紋は「日の丸三つ扇」で骨4本である。2)本堂内でお祀りされている寺尾直龍の位牌は「日の丸三つ扇」で骨5本、父直政の位牌は「日の丸三つ扇」で骨3本である。骨の本数に微妙な違いはあるが、全て「日の丸三つ扇」であることに間違いない。
「士林泝洄」によれば、尾張藩寺尾家の系図は以下の通り。(数字は生年-没年)2)
祖寺尾壱岐守―――寺尾正俊―――寺尾直政―――寺尾直龍
(?-1604) (?-1636) (1603-1650) (1640-1724)

壱岐守は前報の上柏村の屋敷主で、「福富半右衛門覚書」の寺尾喜右衛門は、寺尾正俊の弟である。
 これにより、上柏村寺尾家の家紋は尾張藩家老寺尾直政、直龍の家紋であるといえよう。天満村寺尾九兵衛本家の家紋は位牌によれば、「三つ扇」であり、尾張藩寺尾家の家紋は「日の丸三つ扇」であり、同系列と見なせる。よって両家は同族であったと考えられる。尾張に移った際、「日の丸」を付け加えたのではないだろうか。
なお上柏村寺尾家と尾張藩寺尾家の家系については、次報で述べる。
慈雲寺は、観応元年(1350)、宮山城主であった足利一族の一色修理太夫範光を開基、夢窓国師(夢窓 疎石)を開山として創建された臨済宗妙心寺派のお寺である。3)上柏村の寺尾家の屋敷の庭は、夢窓国師が築造したと伝わっており、不思議な縁を感じる。

まとめ
 天満村寺尾九兵衛家の家紋「三つ扇」は、尾張藩寺尾家すなわち上柏村寺尾家の家紋と同系であることより、天満村寺尾九兵衛家は、上柏村寺尾家と同族である。


注 引用文献
1. 「フクロウ日誌」(2017.8. 1)>寺尾直龍 ② 知多と直龍
2. 松平秀雲「士林泝洄」延享4年(1747年)完成。
web. 名古屋叢書 続編 第18巻 「士林泝洄 第2」巻第37 p233(名古屋市教育委員会編 1967)コマ数123
3. 「岡田ブログ」知多>岡田のみどころ>街並>慈雲寺

写真1 天満村寺尾九兵衛家の家紋


写真2 知多市慈雲寺の寺紋・尾張藩寺尾家の家紋