気ままな推理帳

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伊豫軍印(9) 日本古印の知識

2023-04-30 08:43:52 | 趣味歴史推論
 次に「伊豫軍印は日本の古印である」(奈良平安時代の古印)という説を検証する。
先ず、日本の古印(鋳銅印)について、本印に関係のありそうなところの知識を木内武男編「日本の古印」(1965)などから抽出し、筆者の覚として記しておく。

官印
 日本の印章制度が定められたのは文武天皇大宝元年(701)である。公式令の規定によれば、官印は、4種あり、官司の公文書に使用された。
①内印---「天皇御璽」方3寸、5位以上の位記および諸国に下す公文に用いられる。
②外印---「太政官印」をいう。方2寸半、6位以下の位記および太政官の文案に押捺される。
③諸司印---政府各省、諸部局の印 方2寸2分、諸各省から官に上る公文、移・牒等の文書に用いられる。
④諸国印---方2寸、地方諸国から京に上る公文・調物に捺される。

 これらの官印(銅印)の鋳造材料は、延喜式15巻17内匠寮(たくみりょう)式に、2)以下のように記されている。3)4)
①内印1面料 熟銅大1斤8両(1005g)、白錫*大3両(126g)合計1斤11両(1131g)
②外印1面料 熟銅大1斤(670g)、白錫大2両(84g) 合計1斤2両(754g)
③諸司印1面料 熟銅大14両(586g)、白錫大1両2分(50g)合計15両2分(637g)
④諸国印1面料 熟銅大12両(503g)、白錫大1両1分(46g)合計13両1分(549g)
*白錫は白「金偏に葛」の字
 残念ながらこれらの官印の遺物は一つもない。文書の印影から確認できる。組成は銅(Cu)約90%、 錫分(Sn)約10%であることがわかる。国印の重さは、実物がないので正確にはわからないが、1面料の8割と(筆者が)推量すると549×0.8=439gとなる。

公印
 官印に準じた公印として、僧綱印・神社印・寺院印、官印の性格に近いものとして、国倉印・郡印・郷印・軍団印などがある。僧綱之印・大神宮印・法隆寺印などはおおむね方2寸、また国倉印もおおむね方2寸であり、大きさは、官印のうちの最も小さい諸国印に相当する。5)その印刷・寸法・書体などからして明らかに国印に準じたものであることが分かる。以下郡印・郷印・軍団印はいずれもこれより小さい。
 郷印は方1寸の規定があるとされてきた(木内武男)が、これは引用間違いであり、6)どこにも規定がないが、実例ではほぼ1寸である。郡印は、国-郡-郷の律令行政組織に準ずる形で、おのずと方2寸の国印と方1寸の間に位置すると理解してよいであろう。 「坂井郡印」方1寸8分(54mm)、「山邊郡印」方1寸6分(47mm)と家印(1寸5分以下)を超えていた。日本の印制は、おおむねまずその大小により官司所属の軽重、およびその格式の高下を認めることができる。軍団印では遠賀・御笠の両軍団印が遺されている。共に方1寸4分(42mm)である。軍団は兵部省の所管であり、諸国に設置された兵制であるが、団印の規定は見えていない。

私印
 私印は、「類聚三代格」貞観10年(868)で諸封家の印の使用が認められ、大きさは1寸5分(約45mm)以下と規定された。


 元来中國六朝前の印章は、封諴を確証することを目的とし、あるいは綬をもって身におびたものである故、当然鈕孔を必要とした。しかし隋唐以来の丁鈕印は、紙絹に印を捺す関係上考慮された必然的な結果であり、したがって綬制のこともなく、鈕孔も無用のものとなった。
 日本の印は当初より公文書などに捺印するために用いられるものであって、鈕孔は必要としなかった。しかし私印にあっては使用上おのずから区別され、当初は鈕孔も正しく作られていたが、のちには鈕孔の有無は単なる意匠上の問題となり、ほとんど鈕孔を施すこととなった。現存古印の鈕制からすると、官公印の類はおおむね弧鈕無孔であり、もって当時のそれも弧鈕無孔であろうことが推測される
 会田富康は、弧鈕、莟鈕という語を用い、鈕の形状を大別して二種類とした。両者とも日本独特の形と見られる。7)
弧鈕(こちゅう):鈕の頭部が弧の形状のもの。圭鈕(天子の用いた玉の姿から)ともいう。
莟鈕(かんちゅう):鈕の頭部が莟(つぼみ)、花弁の形状のもの。鶏頭鈕ともいう。
 久米雅男「日本印章史の研究」は、鈕の形状の変遷について現存古印で考察した結果、基本的には「法隆寺印」「隠伎倉印」(孤鈕・無孔)→「造崇福印」「鵤寺倉印」(莟鈕・無孔)→「豊受宮印」「賣神祝印」(莟鈕・有孔)といった順序で並ぶことはほぼ間違いないとして、しかし「大神宮印」(弧鈕・無孔)や「内宮政印」(莟鈕・無孔)の例でも明らかなように、「後代」に「再鋳」もしくは「改鋳」を行う必要が生じたおりに、「後代の形式もしくは型式」によってではなく、「当初の古体を模して鋳造する」場合すなわち「模古印を製作する」場合があるので、そういったおりには単なる上述の図式の了解だけでは当を得ない場合があることを教えられるのである と書いている。8)→図

注 引用文献
1. 木内武男編「日本の古印」の内、 木内武男「日本古印の沿革」、会田富康「古銅印の鋳造技法」(二玄社 1965) web. 国会図書館デジタルコレクション
2. 内匠寮は、朝廷の調度製作官司として神亀5年(728)に設置された令外官である。『延喜式』には公印鋳造の業務が職掌に規定されている。
3. 国立歴史民俗博物館 web. デジタル延喜式 Engi shiki Database >内匠寮>17.16~19 現代語訳付き
4. 延喜式の度量衡
 1尺=298mm 1両=37.5g 1斤=16両、大1斤=670g (大は約1.13倍)
5. 国倉は、国衛に設置せられた主要なる倉庫である。隠岐・駿河・但馬の三倉印が現存する。
6. 平川南「古代郡印論」国立歴史民俗博物館研究報告第79集 p457(1999)
7. 会田富康「日本古印新攷」p100(宝雲舎 昭和22 1947) web. 国会図書館デジタルコレクション
8. 久米雅雄「日本印章史の研究」p178(雄山閣2004)

図. 鈕式の変遷(久米雅雄「日本印章史の研究」より)


伊豫軍印(8) 本印は南朝宋のものではない

2023-04-23 08:23:29 | 趣味歴史推論
1. 伊豫軍印(4)~(7)で記したように、南北朝官印で方1寸半(36.9mm)のものは一つも見つけられなかった。
2. 本印は、あらゆる点で、南北朝官印と異なっていた。よって、本印は南朝劉宋のものではないと結論する。
3. もし、宋書に書かれているように倭の五王と一緒に伊豫将軍が印章を授与されているとしたら、以下のようなものになると筆者は推理する。
「印文「伊豫將軍章」 銅製 蛇鈕 陰刻 白文 方1寸(25mm) 篆書体 厚みがあり重量感がある」

まとめ
「伊豫軍印は南朝劉宋から授与されたものである」という仮説は、否定された。南朝宋のものではない。


 ここまで書いてきて、筆者はどうも何かがおかしいと思った。伊豫軍印は、南北朝印にあらゆる点で、全くかすりもしないのである。原因は、仮説そのものに問題があるのではないかと思い、調べた結果、僅か5分でそれを見つけた。この仮説に引っかかった筆者は、自分の馬鹿さ加減に笑う他なかった。意図的にミスリードして、あたかも倭の五王に関係ありそうと思わせる仮説に引っかかったのであった。以下に恥を忍んでそのわけを書く。

 阿部は仮説の根拠として以下のように書いていた。1)
「「北朝の「(北)周」では「皇帝」の「印璽」について「蕃國之兵」に供するものを含めて「方一寸五分,高寸」であったと書かれており、これと同一規格であることが注目されます。
「皇帝八璽,有神璽,有傳國璽,皆寶而不用。神璽明受之於天,傳國璽明受之於運。皇帝負?,則置神璽於筵前之右,置傳國璽於筵前之左。又有六璽。其一「皇帝行璽」,封命諸侯及三公用之。其二「皇帝之璽」,與諸侯及三公書用之。其三「皇帝信璽」,發諸夏之兵用之。其四「天子行璽」,封命蕃國之君用之。其五「天子之璽」,與蕃國之君書用之。其六「天子信璽」,『?蕃國之兵用之。六璽皆白玉為之,方一寸五分,高寸,?獸鈕。』」(隋書/志第六/禮儀六/衣冠 一/後周)
 これは「北朝」の規格であるわけですが、「北朝」では「北魏」以来「漢化」政策を実施していましたから、「北朝」は基本的にその制度や朝服等を「魏晋朝」及びその後継たる「南朝」に学んだと考えられます。このことは「伊豫軍印」が「北朝」の規格に準じているように見えるのは実際には「南朝」の規格に沿ったものということを意味する可能性があることとなり、---」

ここには、皇帝印璽が方一寸五分、高一寸と隋書に書かれて、伊豫軍印がこれと同じであることに注目している。銅印の規格が書かれていないので、白玉(白い翡翠)製の皇帝印璽から推測せざるを得なかったと受け取れる。そこで筆者は、「隋書/志第六/禮儀六」に銅印の規格が書かれていないのかと検索した。それを以下に示す。

「隋書 卷十一志第六 禮儀六」2)
・208 皇帝八璽,有神璽,有傳國璽,皆寶而不用。神璽明受之於天,傳國璽明受之於運。皇帝負扆,則置神璽於筵前之右,置傳國璽於筵前之左。又有六璽。其一「皇帝行璽」,封命諸侯及三公用之。其二「皇帝之璽」,與諸侯及三公書用之。其三「皇帝信璽」,發諸夏之兵用之。其四「天子行璽」,封命蕃國之君用之。其五「天子之璽」,與蕃國之君書用之。其六「天子信璽」,徵蕃國之兵用之。六璽皆白玉為之,方一寸五分,高寸,螭獸鈕
・209 皇后璽,文曰「皇后之璽」,白玉為之,方寸五分,高寸,麟鈕。
・210 三公諸侯皆金印,方寸二分,高八分,龜鈕。七命已上銀,四命已上銅,皆龜鈕。三命已上,銅印銅鼻。其方皆寸,其高六分,文曰「某公官之印」

筆者による意訳
・208 皇帝八つの璽あり、神璽と伝国璽があるがこれらは宝なので実際には用いない。神璽は、これを天に於いて受けることを明かし、伝国璽はこれを運に於いて受けることを明かす。皇帝は屏風を背に玉座に座り、神璽を莚の前右に置き、伝国璽を莚の前左に置く。また六個の璽あり。その一「皇帝行璽」は、諸侯および三公(太尉 司徒 司空)を任命する時に之を用いる。その二「皇帝之璽」は、諸侯および三公へ書を与える時に之を用いる。その三「皇帝信璽」は、諸夏の兵に発する時に之を用いる。その四「天子行璽」は、蕃國の君を任命する時に之を用いる。その五「天子之璽」は、藩国の君へ書を与える時に之を用いる。その六「天子信璽」は、蕃國の兵を徴集する時に之を用いる。これらの六璽は皆、白玉(白いひすい)で之を造り、方一寸五分、高さ一寸で、螭獸(ちじゅう 上古の魔獣)鈕である。
・209  皇后璽は、印文「皇后之璽」であり、白玉で之を造り、方一寸五分、高さ一寸、麟(きりん)鈕である。
・210  三公諸侯は皆金印で,方一寸二分、高さ八分、龜鈕である。七命以上のものは銀で、四命以上のものは銅で、皆亀鈕である。三命以上のものは、銅印で鼻鈕である。その方一寸、その高さ六分で、印文は「某公官之印」である。3)
  
 皇帝の六璽は、「白玉(白いひすい)で造られ、方一寸五分、高さ一寸、螭獸鈕」である。そして、銅印については、「四命以上は銅、亀鈕であり、三命以上は銅、鼻鈕であり、共にその大きさは、方一寸(25mm)、その高さ六分(15mm)」とはっきり書かれている。「将軍印章」はこの官位に相当する。
なんのことはない、ここを読んだだけで、仮説は否定できたのである。皇帝印璽に続いてすぐ銅印規格について書かれているので見逃す筈はない。阿部は意図的にミスリードして仮説を論じたのである。それに引っかかった筆者は馬鹿である。しかし、結果として中国古印を知ることになったことを慰めにしよう。方1寸以上の大きな銅製の中国官印古印がないことが納得できた。

まとめ
 隋書には、「銅印は、方一寸、その高さ六分」と書かれていた。 

次回から、「伊豫軍印」は日本の古印であるという説を検証しよう。

注 引用文献
1.  ホームページ:「「倭国」から「日本国」へ ~ 九州王朝を中核にして ~」>五世紀の真実>「倭の五王」について>「伊豫軍印」について (作成日 2015/03/21、最終更新 2017/02/19)
著者:阿部周一 札幌在住の技術者(1955年生) gooブログ「古田史学とMe」の著者である。
2.  web. https://ctext.org 維基 -> 隋書 -> 卷十一志第六 禮儀六
3. 「命」は官位を表し、九命が上位で、一命が下位(品とは逆)。諸橋徹次「大漢和辞典」の「九命」の解説より、「周禮、春官、大宗伯」 壹命職を受け、再命服を受け、三命位を受け、四命器を受け、五命則を賜ひ、六命官を賜ひ、七命國を賜ひ、八命牧となり、九命伯となる。

伊豫軍印(7) 「中國古印圖録」に似たものはなかった

2023-04-16 08:32:13 | 趣味歴史推論
 「中國古印圖録」(大谷大学 1964)は、大谷瑩誠が蒐集した756個全ての古印の外観、印面、印影図録である。1) 巾広く蒐集した官印、私印の写真と印文、鈕状、大きさ、材質の表がある。但し、その印章の作成時代については、記載がない。印文中に「將軍印」、「將軍章」、「將軍」がある印がまとまって示されているので、ここではその部分につき詳しく見てみる。この内の約8印程度が南北朝のものと筆者は推量する。2) なおこの図録にも「△△軍印」はなかった

1. 「中國古印圖録」(大谷大学 1964)
「將軍印」、「將軍章」、「將軍」、「將軍印章」の印章 →写1、2
No. 印文     鈕状   大きさ(mm) 材質  
287 裨將軍印   瓦    23.2×23.2   銅
288 裨將軍印章  亀    24.0×24.2   銅
289 偏將軍印章  亀    23.2×23.9   銅
290 建威偏將軍  亀    24.0×24.2   銅
291 建威偏將軍  鼻    24.0×24.1   銅

292 宣威將軍章  亀    25.0×25.6   銅 鎏金
293 鷹揚將軍章  亀    25.0×24.5   銅
294 鷹揚將軍章  亀    21.4×22.4   銅
295 鷹揚將軍章  亀    20.8×20.8   銅
296 鷹揚將軍章  亀    22.0×22.0   銅
297 寧朔將軍章  亀    23.0×23.0   銅 鎏金 

298 平難將軍章  亀    20.9×21.0   銅
299 廣武將軍章  亀    20.8×20.0   銅
300 建武將軍章  亀    22.0×23.0   銅
301 綏戎將軍印  亀 鈕損 25.0×24.8   銅 
302 凌江將軍章  亀    26.0×24.9   銅
303 凌江將軍章  亀    23.5×23.8   銅

304 驅威將軍印  亀    23.8×23.8   銅
305 綏邊將軍印  亀    28.9×28.9   銅
306 討難將軍印  亀    25.2×26.8   銅
307 盪難將軍印  亀    28.0×27.9   銅
308 殄寇將軍印  亀    29.2×29.5   銅
309 蒲類將軍   亀    22.1×22.4   銅  
  計  23印

2. 分かったことを列挙する
(1) 印文は、「將軍印」7印、「將軍章」11印、「將軍」3印、「將軍印章」2印 であった。
(2) 鈕は、亀21印、瓦1印、鼻1印であった。官位四品~九品でも9割が亀鈕であった。
(3) 全て銅製であり、うち鎏金が二つあった。
(4) 全て、陰刻、白文、篆書体であった。 
(5) 印の大きさは、方20~30mmであり、方30mmより大きいものはなかった。
(6) 印面の台は、厚みがあり、重量感がある。
(7) 全756個の一覧表で、方形印の大きさについて調べると、No.354「帰趙侯印」3)だけが、35.9×35.0mmであり、唯一 方30mmより大きな印であった。但し、その印影は、まわりの25mm程度のものと同じ大きさに見えた。数字の誤植の可能性があると推測し、印を所蔵する大谷大学・博物館に調査を依頼したところ、やはり誤植で、実物は方24mmであることが確認できた。その結果、所蔵の印は全て方30mm以下の大きさであった。(長方形の印で、縦32~42mm×横13~15mm と縦だけが大きいものは4印あったが)

まとめ
「中国古印図録」(大谷)の756個全ての印は方30mm以下の大きさであり、将軍印章は、亀鈕が9割で、陰刻白文、篆書体であり、伊豫軍印に似たものはなかった。

大谷大学図書館 図書・博物館課の鈴木善幸様にお礼を申し上げます。

注 引用文献
1. 「中國古印圖録」(大谷大学 1964)
web. 国立国会図書館デジタルコレクション「中國古印圖録」 75~78、176~177コマ
Wikipedia「大谷瑩誠(おおたに えいじょう)(1878~1948) 浄土真宗の僧で、真宗大谷派連枝。東洋学者。第13代大谷大学学長。」
2. ホームぺージ「真微印網」(台湾 1995創立)
 真微印庫>印學在線>數位印譜>篆刻風格單元>印風典範篇>將軍印風印譜
載せられた将軍印章は、漢8印、三国16印、晋16印、五胡十六国41印、南北朝42印 計123印、これより南北朝印の割合は42/123=0.34となる。これと同じ割合で23×0.34=8と推量した。
3.  「帰趙侯印」は、帰順した「蛮夷」異民族である「趙」の侯へ「西晋」から下賜された印である。「趙」(ちよう)は、二つあり、① 五胡十六国の一つ 前趙(304~329)。南匈奴の劉淵の建てた国。最初の国号は漢。西晉を滅ぼし、長安を都として国号を趙に改めたが、その臣石勒に滅ぼされた。② 五胡十六国の一つ 後趙(319~351)。匈奴系羯(けつ)族の石勒の建てた国。鄴(河北省磁県)を都としたが、漢人の冉閔(ぜんびん)に滅ぼされた。(精選版日本国語大辞典)

写1. 中国南北朝の「将軍印章」No.286~297(「中國古印圖録」(大谷大学 1964)より)


写2. 中国南北朝の「将軍印章」No.298~309(「中國古印圖録」(大谷大学 1964)より)


伊豫軍印(6) 南北朝の印文で「〇〇將軍印」はあったが 「△△軍印」はなかった

2023-04-09 08:50:03 | 趣味歴史推論
 ホームぺージ「真微印網」(台湾 1995創立)に、膨大な数の中国古印の印影が集録されていることを見つけた。その中で、南北朝官印 総計181印の印影と大きさが示されており、その内容を検討した。その結果は以下のとおりである。
(1)印文に「將軍」が含まれるものは、〇〇將軍章 36印、〇〇將軍印 18印、〇〇將軍之印 6印、〇〇將軍 4印 計64印であった。
(2)印文に軍組織を表す △△軍章、△△軍印、△△軍之印、△△軍 のものはなかった。


1. 「将軍」の印章
(1)〇〇將軍印 18印を記す。(印影の大きさは(横×縦)単位mm、約は省く)→写1
上段 盪難將軍印(方25)、殄寇將軍印(方25)、冠軍將軍印(方28)、宣威將軍印(23×24)、宣威將軍印(方26)、武毅將軍印(方28)
中段 盪寇將軍印(方24)、武奮將軍印(26×28)、殄難將軍印(25×24)、殄難將軍印(24×23)、掃寇將軍印(27×26)、殄寇將軍印(26×25)
下段 威烈將軍印(24×25)、綏邊將軍印(28×27)、武毅將軍印(24×23)、盪逆將軍印(方26)、綏戒將軍印(方23)、虎奮將軍印(方29) 
   
(2)〇〇將軍章 36印を記す。(ゴシックは、高位のもの、及び方30mm以上の大きいものを示す)
 立節將軍章、振武將軍章、昭威將軍章、寧遠將軍章、淩江將軍章、裨將軍章、材官將軍章、建威將軍章、討難將軍章、威武將軍章、材官將軍章、安西將軍章(25×26)、振武將軍章、平遠將軍章、寧遠將軍章(方30)、龍驤將軍章(方32)平南將軍章(27×28)、寧朔將軍章、安北將軍章(方32)、冠軍將軍章、盪難將軍章、淩江將軍章、宣恵將軍章、牙門將軍章、開遠將軍章(30×31)、烈武將軍章、伏波將軍章、明威將軍章、安遠將軍章、材官將軍章、假伏波將軍章、建中將軍章、武毅將軍章、左衛將軍章、明威將軍章、明威將軍章

(3)〇〇將軍之印 6印を記す。
 伏義將軍之印、飆猛將軍之印、飆勇將軍之印、衝冠將軍之印、虎毅將軍之印、蕩寇將軍之印

(4)〇〇將軍 4印を記す。
 討難將軍、振威將軍、廣武將軍、伏波將軍、計4印

2. 検討
 「将軍」の印章について気付いた事を列挙する。
(1)印章は、官位官職を表しその職にある人に授与される。だから印文には官位官職を表す「将軍」の文字がある。64印のほとんどが雑号将軍と言われるものであった。2) 但し、時代により将軍号と官位の対応は違うようである。3)
(2)・〇〇將軍印の18印は、第六品~第八品の下級官位のものであった。
   ・〇〇將軍章の36印には、第五品より高位のものが多かった。
(3)・〇〇將軍印の内、最も大きな印影は虎奮將軍印(方29)であり、多くが方25付近であった。
   ・〇〇將軍章の内、最も大きな印影は、龍驤將軍章(方32)、安北將軍章(方32)であった。
   ・伊豫軍印のように方36.9mmと大きいものはなかった。
(4)・全て 鑿印 陰刻 白文 篆書体 であった。 
   ・「印」の字は、篆書体がほとんどで、あと小さく卬のような字ものがあった。
   ・「軍」の字は、篆書体で、冖の両側が長い。
3. 朱文印のはじまり
 南北朝官印181印の中に、唯一の「朱文」の印影があった。それは、「永興郡印」(方50mm)である。このホームぺージには、史話として以下のように記している。→写2
 「中国秦漢は、紙が広く使用されていなかった時であり、印痕のほとんどは封泥で示されていた。 絹や紙に朱肉で捺印することは、南斉(479-502)の頃に始まった。その根拠は、甘肅敦煌石室所藏「古寫雜阿毘曇心論殘經」の巻末と巻物背には「永興郡印」朱文大印がある事である。「永興」という地名は南斉時代では「郡」と呼ばれていたことがわかった。よって朱肉印の使用はこの時期に始まったと推定される。」

 まとめ
1.  南北朝の印文で「〇〇將軍印」はあったが 「△△軍印」はなかった。
2. 将軍印、将軍章の中で最も大きいものは方32mmで、伊豫軍印方36.9mmより小さいものであった。
3. 全て、鑿印 陰刻 白文 篆書体 であり、伊豫軍印とは異なっていた。
4. 朱文印は南斉(479-502)の頃に始まったとされる根拠の「永興郡印」が載っていた。


注 引用文献
1. ホームぺージ「真微印網」(台湾 1995創立)
 真微印庫>印學在線>數位印譜>名家風範單元>朝代璽印篇>南北朝璽印印譜
2. web. http://id40.fm-p.jp>daigourei 卒業論文「後漢から西晋までの将軍号の変遷」より
  後漢、魏、西晋等において
 実質的な将軍(高位、中国では重号将軍といわれることもある)
  征東将軍、征南将軍、征西将軍、征北将軍
  鎮東将軍、鎮南将軍、鎮西将軍、鎮北将軍
  安東将軍、安南将軍、安西将軍、安北将軍
  平東将軍、平南将軍、平西将軍、平北将軍
 雑号将軍(目的や美称、役職に応じて置かれた将軍号。以下は、魏書に記されているもので、九品官人法によって序列ごとに分けられた。総数は96あり)
  従第一品下:中軍将軍、鎮軍将軍、撫軍将軍
  第二品上:領軍将軍、護軍将軍
  第二品下:凡将軍
  従第二品上:左衛将軍
  従第二品下:武衛将軍、右衛将軍
  第三品上:征虜将軍、輔国将軍、龍驤将軍
  従第三品上:驍騎将軍
  従第三品下:鎮遠将軍、安遠将軍、建遠将軍、建中将軍、建節将軍、立義将軍、立忠将軍、立節将軍、恢武将軍、勇武将軍、曜武将軍、顯武将軍、直閤将軍
  第四品上:中堅将軍、中壘将軍、寧朔将軍、揚威将軍
  第四品中:建威将軍、振威将軍、奮威将軍
  第四品下:建武将軍、振武将軍、奮武将軍、揚武将軍、廣武将軍、廣威将軍
  従第四品下:戟楯虎賁将軍、募員虎賁将軍、高車虎賁将軍、左右積弩射将軍、強弩将軍
  第五品上:鷹揚将軍、折衝将軍、寧遠将軍、揚烈将軍、伏波将軍、軽車将軍、威遠将軍、虎威将軍、殿中将軍、陵江将軍、平漠将軍
  従第五品中:武士将軍、宿衛将軍
  従第五品下:員外将軍
  第六品上:宣威将軍、明威将軍、襄武将軍、厲威将軍
  第六品中:威烈将軍、滅寇将軍、威虜将軍、威戒将軍、威武将軍
  第六品下:武烈将軍、武毅将軍、武奮将軍
  第七品上:綏遠将軍、綏虜将軍、綏邊将軍
  第七品中:討虜将軍、討難将軍、討夷将軍
  第七品下:盪寇将軍、盪虜将軍、盪難将軍、盪逆将軍
  第八品上:殄寇将軍、殄虜将軍、殄難将軍、殄夷将軍
  第八品中:掃寇将軍、掃虜将軍、掃難将軍、掃逆将軍
  第八品下:厲武将軍、厲鋒将軍、虎牙将軍、虎奮将軍、
  第九品上:廣野将軍、横野将軍、偏将軍、裨将軍
3. Wikipedia「将軍」より
「南朝宋における将軍号の序列(五品まで)」
 一品 大将軍
 二品 驃騎・車騎・衛、諸大将軍
 三品 四征(征東・征南・征西・征北)四鎮(鎮東・鎮南・鎮西・鎮北)中軍・鎮軍・撫軍 四安(安東・安南・安西・安北)四平(平東・平南・平西・平北) 前・左・右・後 征虜・冠軍・輔国・龍驤
 四品 左衛・右衛・驍騎・遊撃 左軍・右軍・前軍・後軍 寧朔 建威・振威・奮威・揚威・広威 建武・振武・奮武・揚武・広武
 五品 積射・彊弩 鷹揚・折衝・軽車・揚烈・寧遠・材官・伏波・凌江
4.  ホームぺージ「真微印網」(台湾 1995創立)
 篆刻講座>印章史話>璽印的遺跡>最早的朱泥印痕

写1. 南北朝の〇〇將軍印一覧 ホームぺージ「真微印網」(台湾)より抽出し作成


写2. 「永興郡印」 ホームぺージ「真微印網」(台湾)より


伊豫軍印(5) 南北朝官印の印影の中に、似たものはなかった

2023-04-02 08:35:33 | 趣味歴史推論
 中国の南北朝時代の官印を多数載せている本はなかなか見つからなかったが、やっと一つ見つけた。
浩瀚文化編「官印・私印精選/東漢~南北朝」(南京/江蘇鳳凰美術出版社 2015.10)に、36個の印影があったので、その写しを示し、「伊豫軍印」と比較検討した。印面サイズは筆者が印影で測定した値である。 

南北朝官印 →写1、2、3
P39 右欄 上  費縣令印              方29mm
     中  伏波將軍   方23mm
     下  扶官將軍章  方22mm
  左欄 上  城紀子章              方27mm
     中  當塗令印   24mm×25mm
     下  盪寇將軍印  方25mm
P40 右欄 上  立節將軍章  方24mm
     中  利城令印   方22mm
     下  隴東太守章             方29mm
  左欄 上  關外侯印   方24mm
     中  河陽令印   21mm×22mm
     下  即居令印   方24mm
P41 右欄 上  平樂護軍   22mm×24mm
     中  清河王廏牧長 方22mm
     下  汝陽令印   方23mm
  左欄 上  寧東將軍司馬 方24mm
     中  寧遠將軍章  20mm×21mm
     下  平山護軍章  22mm×24mm 
P42 右欄 上  殄寇將軍印             27mm×26mm
     中  殄難將軍印  方24mm
     下  魏興太守章  23mm×25mm
  左欄 上  遂安長印   23mm×24mm
     中  太尉司馬   方23mm
     下  椎斧司馬   方20mm
P43 右欄 上  武毅將軍印             28mm×29mm
     中  武勇司馬   方21mm
     下  西安令印              方26mm
  左欄 上  武安令印   方21mm
     中  武力司馬   23mm×24mm
     下  武始太守章  21mm×22mm
P44 右欄 上  鎮北將軍章  22mm×21mm
     中  左積弓百人將 方24mm
     下  左積射五百人督印 方24mm
  左欄 上  牙門將印   方21mm
     中  趙郡太守章  方23mm
     下  振武將軍章  21mm×22mm
       合計36個  (21~25mm)の印章30個(26~29mm)の印章6個     

軍印の場合の印文には、「軍章」は6個、「軍印」は4個、「軍」のみは2個であった。
最も大きなものでも、方29mmであった(前報によれば北魏の可能性が高い)。

検討
1.「伊豫軍印」と「南北朝官印」を比較する。
         伊豫軍印         南北朝官印
印面サイズ    方36.8mm        方21~25mm 方26~29mm
印面       鋳造印          鑿印       
         陽刻 朱文        陰刻 白文
字体       六朝風          篆書体 
        
伊豫軍印は、南北朝(劉宋を含む)官印の印影に似たところがないことがわかった。


まとめ
 伊豫軍印は、南北朝官印の印影に似たところが全くなかった。

注 引用文献
1. 浩瀚文化編 中国歴代篆刻精選必臨系列③「官印・私印精選/東漢~南北朝」(南京/江蘇鳳凰美術出版社 2015.10)

写1.  「南北朝の官印」P39、40  浩瀚文化編「官印・私印精選/東漢~南北朝」より


写2.  「南北朝の官印」P41、42  浩瀚文化編「官印・私印精選/東漢~南北朝」より


写3.  「南北朝の官印」P43、44  浩瀚文化編「官印・私印精選/東漢~南北朝」より