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伊豫軍印(13) 古印の鈕・印台は左右対称の整った形状であるが 本印は異なる

2023-05-28 08:31:05 | 趣味歴史推論
 伊豫軍印は、軍団印である遠賀団印・御笠団印に似た点がほとんどないと伊豫軍印(10)で記した。今回は奈良平安時代の公印である4郡印・1郷印と外観について比較した。外観とは、鈕の形状・孔の形状・印台の形状などである。現存する古印の4郡印は牟婁(むろ)郡印・児湯(こゆ、こゆう)郡印・御笠(みかさ)郡印・山邊(やまべ)郡印、1郷印は伊保(いぼ)郷印である。→写

結果
1. 古印(郡印・郷印)の鈕・印台は、左右対称で整った形状である。弧鈕はどっしりとしており、莟鈕は華麗であり、児湯郡印の鈕は少し他とは異なるが、すっきりとした形状をしている。いずれも整っており、公印としての権威や美を表している。一方、伊豫軍印の鈕は、その上縁部の角が片方は丸みを帯び他方は角ばり、左右対称でない。
2. 古印の莟鈕の孔は、完全な円形である。一方、伊豫軍印の鈕の孔は円形ではなく、歪んだ方形でしかも滑らかな曲線で形成されていない。対称性がなく整った形ではない。
3. 古印の印側は、印面からほぼ垂直に数mm立ち上がりきちんと台が形成されているが、伊豫軍印の印側は、立ち上がりがだらっとしてなし崩し的である。
4. 古印の印台の4縁は、直線的で欠けたところはないが、伊豫軍印では左右に2ヶ所欠けた箇所がある。鋳造の際に銅がちゃんと入らなかっと思われる。印の表面状態は滑らかであり、腐食劣化でできたとは考えにくい。四隅の形状もまちまちで整っていない。
5. 古印の郭は、しっかり直線で形成されている。伊豫軍印の郭は、直線的に繋がっておらず、欠けているところが多くある。

考察
1. 古印の鈕・印台は、左右対称で完璧さを狙った形状をしており、そのことから公印の権威を表している。一方、伊豫軍印は、左右非対称で、ゆがんだり欠けたりした形状で、権威とは程遠い様相である。団印・郡印・郷印との比較から、伊豫軍印は、公印の典型的な形状とはかけ離れており、奈良平安時代の公印とは考えにくい。公印の検査官であれば、不合格として、作り直しを命じたであろう。
2. 伊豫軍印の風格は、一言でいえば、侘び寂びの美的感覚があるものである。「不完全なところ、完璧でないところ、欠けたところ、朽ちたようなところ、自然なままのところ、飾らないところ」をよしとするものである。千利休や芭蕉が深めた頃に、通人に広まった心である。このことから伊豫軍印は、江戸時代以降に工芸作品として作成されたのではないのかと筆者は思うようになった。歴史上の軍団とは無関係で、作者が好んで採用した印文が「伊豫軍印」なのではないか。

まとめ
1. 古印(郡印・郷印)の鈕・印台は、左右対称で整った形状で、公印の権威を表している。伊豫軍印は、左右非対称でゆがんだり欠けたりした形状で、権威とは遠く、古代の公印でない可能性が高い。
2. 伊豫軍印は、江戸時代以降の侘び寂びの工芸作品の可能性が出てきた。


注 引用文献
1. 牟婁郡印(紀伊国) web. 熊野三山協議会>熊野那智大社>宝物 
2. 児湯郡印(日向国) 「西都市の文化財」p17(1974)
3. 御笠郡印(筑前国) 木内武男編「日本の古印」p14(二玄社 1965)
4. 山邊郡印(上総国) 国立歴史民俗博物館「日本古代印集成」(1996)
5. 伊保郷印(三河国賀茂郡) web. 豊田市>市政情報>市の紹介>とよたの起源>奈良平安時代 

写 現存する古印(4郡印・1郷印)と伊豫軍印


伊豫軍印(12) 日本古印の重さ

2023-05-21 08:37:11 | 趣味歴史推論
 伊豫軍印が、遠賀団印・御笠団印などに比べて、外観の重厚さがないと指摘したが、古印(奈良平安時代)の重厚さを示す指標として、重さを取り上げ、多くの古印と比較しようとした。現存する古印について、木内武男「日本の古印」を基に一覧表を作ると、重さの数値が記載されていないことに気が付いた。そこで、国立歴史民俗博物館「日本古代印集成」および、インタネットや文献での個別検索で重さを調査し書き入れた。まだ空欄が多かったので、所蔵者や、広報する市町村文化財課などに、問い合わせた結果、いくつかの回答を得たのでその値を記入した。多くの方の協力を得ましたことを感謝申し上げます。

 現存古印一覧(奈良・平安時代)

No.  印文   時代   鈕の形状  印面(縦×横) 全高 印側高  重さ(g) 備考
1.  隠伎倉印  奈良   弧鈕無孔   62×60     58   5   399 1)2) 
2.  駿河倉印  奈良   弧鈕無孔   60×60     65   8   499.55 3)
3.  但馬倉印  奈良   弧鈕無孔   61×61     59   5   
4.  遠賀團印  奈良   弧鈕無孔   42.1×41.5   52   10   208.5 4)5)6) 
5.  御笠團印  奈良   弧鈕無孔   42.1×42.1   52   9   214.4 7)8)9)
6.  牟婁郡印  平安   莟鈕無孔   46×45     58   5.5  255 10)
7.  兒湯郡印  平安   弧鈕有孔   44×44     56   6   150 11)
8.  御笠郡印  平安   弧鈕無孔   50×50     48   5   212.19 12)
9.  山邊郡印  奈良   弧鈕無孔   47×47     55   8-10  229 13)
10. 伊保郷印  平安   莟鈕有孔   33×33     34   4   58.4 14)
11. 大神宮印  平安   弧鈕無孔   64.34×64.9  60.3  6-9   378 15)
12. 内宮政印  平安   莟鈕無孔   54.1×54.8   55.6  5-6.5  342 16)
13. 豊受宮印  平安   莟鈕有孔   62.8×62.3   47.2  5    312 17)鈕上部欠損
14. 静神宮印  平安   莟鈕有孔   49.4×49.1   61       268 18)      
15. 賣神祝印  平安   莟鈕有孔   50×48     36       
16. 比叡社印  平安   弧鈕有孔   43×40     47       
17. 大和社印  平安   弧鈕無孔   55×53     53       
18. 甕玉大神  平安   莟鈕有孔   52×52     50       189.37 19)
19. 法隆寺印  奈良   弧鈕無孔   60×60     73       405 20)
20. 鵤寺倉印  平安   莟鈕無孔   55×55     49
21. 尊勝院印  平安   弧鈕無孔   55×55     62
22. 造崇福印  奈良   莟鈕無孔   48×48     54   9      
23. 延暦寺印  平安   莟鈕有孔   54×54     45   4      鈕頭部欠損
24. 延暦政所  平安   莟鈕有孔   53×51     46   10
25. 鶏足寺印  平安   莟鈕有孔   55×55     62       320.2 21)
26. 四王寺印  平安   莟鈕有孔   56×56     63   12   468 22)
27. 立石倉印  平安   莟鈕無孔   48×47     55   9    236 23)

検討
1. 印面の大きさ(L×L)と重さ(W)は関係があるはずで、どのような関係式が妥当かを調べた。その結果、W=AL×L  すなわち√W=kL が良いことが分かった。図に一覧表で重さが分かっている印に就いて載せた。完全な方形でなく縦Lと横L’の長さが少し異なる場合は、Lの代りに√LL’とした。→図
図からkの値は3.3となった。
 √W=3.3×L  ここでW(g)、L(cm)
2. 公印で、最大な印面のもの中に、隠伎倉印(方2寸 399g) 駿河倉印(方2寸 500g)がある。官印の諸国印(方2寸)の1面料は549gであるので、上記倉印の1面料が同じと仮定すると、印への収率は、それぞれ73%、91%となる。
3. 数郡に一つ設置したとされる軍団の印が、郡印とほぼ同等な格を持つことが、遠賀団印4・御笠団印5と牟婁郡印6・兒湯郡印7・御笠郡印8・山邊郡印9の方寸と重さの比較で確認できる。
伊豫軍印は、団印や郡印に比べて印面が少し小さく、重さが1/5~1/3と軽い。公印の最も下の平安時代の郷印は、伊保郷印10だけであるが、方33mmと小さく、重さ58.4gである。伊豫軍印は、方36.9mmあるが、重さ50.8gと軽い。方36.9mmの印の上記式の計算値Wは、148gとなり、実物の約3倍の重さとなる。そこまでいかないとしても奈良平安古印であったら、100gはあってしかるべきであると思う。伊豫軍印が、奈良平安時代の公印でない可能性がある。

まとめ
1. 現存する奈良平安時代の古印の方Lと重さWを調べ、相関式を求めた。
 √W=3.3×L  ここでW(g)、L(cm)
2. 伊豫軍印は、団印や郡印に比べて印面が少し小さく、重さが1/3と軽すぎる。奈良平安時代の公印でない可能性がある。

 
注 引用文献
1. 億岐家宝物館測定値(2023.4.19)399g
2. 松平定信編「集古十種 印章之部 下」 デジタルコレクション3/35 重110匁=412.5g
3. 永嶋正春「非破壊手法による銅印の科学的研究」国立歴史民俗博物館研究報告第79集p647(1999)
4. 東京国立博物館測定値(2023.4.27)208.5g
5. 川上市太郎「御笠團印と遠賀團印」『福岡縣 史蹟名勝天然記念物調査報告書』第10 輯 史蹟之部 p64-73(昭和10年3月 1935)55匁6分6厘5毛(昭和10.1.21測定 福岡県標準秤器)=208.74g
6.  永嶋正春 国立歴史民俗博物館研究報告第79集p647(1999)209.00g
7.  東京国立博物館測定値(2023.4.27)214.4g
8.  川上市太郎『福岡縣 史蹟名勝天然記念物調査報告書』第10 輯 史蹟之部 p64-73(1935)57匁2分8厘5毛(昭和10.1.21測定 福岡県標準秤器)=214.82g
9.  永嶋正春 国立歴史民俗博物館研究報告第79集p647(1999)214.75g
10. 国立歴史民俗博物館「日本古代印集成」p172(1996)
11. 「西都市の文化財」p17(昭和49年 1974)
12.  国立歴史民俗博物館「日本古代印集成」p168(1996)
13.  国立歴史民俗博物館「日本古代印集成」p68(1996)
14.  国立歴史民俗博物館「日本古代印集成」p124(1996)
15.  国立歴史民俗博物館「日本古代印集成」p130(1996)
16.  国立歴史民俗博物館「日本古代印集成」p131(1996)
17.  国立歴史民俗博物館「日本古代印集成」p132(1996)
18.  那珂市歴史民俗資料館より 静神社測定値(2023.4.27)
19.  国立歴史民俗博物館「日本古代印集成」p82(1996)
20.  松平定信編「集古十種 印章之部 下」 デジタルコレクション5/35 重108銭目=405g
21.  鶏足寺より 東京国立博物館測定値(2023.5.8)320.2g
22.  国立歴史民俗博物館「日本古代印集成」p147(1996)
23.  国立歴史民俗博物館「日本古代印集成」p17(1996)

図 現存する日本古印の重さ(奈良平安時代)

伊豫軍印(11) 楷書の「印」という字は 日本古印に見つからない

2023-05-14 08:30:45 | 趣味歴史推論
 伊予軍印の印文の書体について、多くの日本古印(奈良平安時代)のものと比べてみる。ほとんどの古印には、「印」という字が刻まれているので、この「印」の字の書体で比較検討することにした。会田富康は、古印の「印」という字を便宜上、二種に分け、篆体様のものを第一種、隷体様のものを第二種とし、現存する印と印影のみの印を合わせ、印の分類をした。1)→写1
古印の例として、「日本の古印」2)に印影があるものを主に書き出した。

 会田富康「日本古印新攷」(1947)
第一類(篆体様)に属するもの →写2
・中央公官の印  「神祇官印」「太政官印」「大蔵省印」等
・地方公官の印  「左京之印」「右京之印」「各国印」「隠伎倉印」「駿河倉印」「但馬倉印」「太宰府印」「遠賀団印」「御笠団印」「遣唐使印」
・定額寺(官寺)の印 「法隆寺印」「東大寺印」「延暦寺印」「造崇福印」
・皇室関係の印   「嵯峨院印」等
・宗廟関係の印   「大神宮印」「豊受宮印」

第二類(隷体様)に属するもの →写3
・神社関係の印  「内宮政印」「賣神祝印」「大和社印」「静神宮印」
・寺院関係の印  「鵤寺倉印」「立石倉印」「四王寺印」
・私印      「東厩私印」「申田宅印」「曽吉私印」

第一類に属するものは、そのすべてが官公印であって、第二類に属するものには官公印が無い
・第一類に属する印の鈕は、必ず弧鈕である。中に郡印などにおいて、第一、第二両方に属するものがあるが、これは前述の郡印、私印には何らの規定がなかったためであろう。→写4
・次に第二類に属するものには、官公印がないと同時に、遺品より推して、その全ての鈕が皆莟鈕と見られる。但し郡印については変形のものもあって、一様でない。

検討
書体の成り立ちについては、注にメモとして載せた。3)
1. 郡印が第一類、第二類の両方に属するものがあることの原因として、平川南は、「古代郡印論」において、以下のように指摘している。4)
「年代の明確な文書の印影を編年的に並べてみると、郡印は天平宝字年間前後(750~765)に全て楷書体に一変し、宝亀年間(770)以降、再び篆書体に復している。これは国(国司、国印)が上、郡(郡司、郡印)は下という秩序を明確に示した、藤原仲麻呂の施策であったといえよう。仲麻呂の死後、篆書体に復している実例があることからわかる。」
2. 伊予軍印の「印」という字の書体は、楷書体である。これは、第一類の篆体様でないことは明らかであり、第二類の隷体様の端に入るのであろう。3)
軍団や軍の印であれば公印なので篆体様であるはずだが、伊予軍印は篆体様でないので、奈良平安時代の公印ではない可能性が高い。伊予軍印のような楷書体の「印」という字は、会田が挙げた第二類の隷体様のうちにも認められない。
3. 松平定信編「集古十種 印章之部 上」(郁文舎 明治36-38年)の全古印を見たが、楷書体の「印」という字は一つも見つからなかった。5)
4. 長谷川延年編「博愛堂集古印譜」(1~15)(安政4年)の全古印を見たが、楷書体の「印」という字は一つも見つからなかった。6)
5. 以上のことを総合的に考え、楷書体の「印」という字は古印には見つからないことから、この印はずっと後の江戸や明治に作られた可能性も出てきたと筆者は考える。

まとめ
 伊予軍印の楷書の「印」という字は、日本古印には見つからない。篆体様でないので、奈良平安時代の公印でない可能性が高い
。 

注 引用文献
1. 会田富康「日本古印新攷」p117(宝雲舎 昭和22 1947) web. 国会図書館デジタルコレクション
2. 木内武男編「日本の古印」(二玄社 1965) web. 国会図書館デジタルコレクション
3. 篆書・隷書・楷書の成り立ち
平川南「古代郡印論」 国立歴史民俗博物館研究報告 第79集p471(1999) web. 国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ より
「始皇帝が全国の標準となる書体として制定したのが小篆という書体で、小篆はもともと秦の地域で使われていた大篆を簡略化したものといわれている。小篆は皇帝の命によって制定された国家の標準書体だから、皇帝の詔勅のような正式な文書にはもちろんその書体が使われた。ところが小篆はもともと曲線が多く書くのには時間がかかり、短時間に多くの文字を書かねばならない場合には、かなり不便な書体だった。そこで小篆の字形の構造を簡単にし、曲線を直線にあらためて、より速く書けるように工夫した書体として隷書が考案された。実際秦代の官吏たちが文書作成の時に使用したのは、小篆ではなく隷書であった。次の漢代になると,隷書がますます普遍的に使われ、一方、小篆の方はほとんど使用されなくなる。そして、六朝を経て隋代には楷書体が確立する。」
4.  平川南「古代郡印論」 国立歴史民俗博物館研究報告 第79集p457(1999) web. 国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ 
5. 松平定信編「集古十種 印章之部 上」(郁文舎 明治36-38年 1903-1905) web. 国会図書館デジタルコレクション
6. 長谷川延年編「博愛堂集古印譜」(1~15)(安政4年 1857) web. 国会図書館デジタルコレクション

写1. 「印」字考 会田富康「日本古印新攷」(1947)より

写2. 「印」字体第一類(篆体様)に属する印 印影は木内武男編「日本の古印」(1965)より

写3.  「印」字体第二類(隷体様)に属する印 印影は木内武男編「日本の古印」(1965)より

写4.  4郡印と1郷印 印影は国立歴史民俗博物館「日本古代印集成」(1996)より
 

伊豫軍印(10) 遠賀団印・御笠団印に似た点がほとんどない

2023-05-07 08:27:48 | 趣味歴史推論
 遠賀団印(おんが)・御笠団印(みかさ)は、それぞれ明治32年(1899)、昭和2年(1927)に大宰府町で出土したもので、律令制時代の軍団の存在を裏付ける日本に二つしかない貴重な資料である。1)2)
 両軍団は、大宝元年(701)制定の大宝律令により成立し、天長3年(826)に廃止された。大宰府管内の諸司印(方2寸2分)12面の給付は天平17年(745)(続日本紀)であるので、令外印である両団印の給付はそれより後と考えられ、木内武男は印文の書体などからして、奈良時代のものとしている。すなわち、両団印は745年以降に製作給付され、826年まで使用されたと推定される。
 伊豫軍印が奈良平安時代に同じような目的で造られた印であるならば、両団印に倣った点が多く認められるはずであると考え、伊豫軍印と両団印とを種々の点から比較することにした。その結果を以下の表に示した。形状・印面・印影→写1,2

項目          遠賀団印      御笠団印      伊予軍印
印文          遠賀團印      御笠團印      伊豫軍印
材質・製法       青銅・鋳造     青銅・鋳造    (青銅推定)・鋳造
印顆          陽刻・朱文     陽刻・朱文     陽刻・朱文
印面(縦×横mm)   42.1×41.5      42.1×42.1      36.9×36.9
全高(mm)      51.8        51.5        24.6
印側高(mm)     10         9          3(側面の立上りが不明瞭)
鈕の形状        弧鈕無孔      弧鈕無孔      弧(丁?)鈕有孔 孔歪み
            鈕に⊥の陽刻    鈕に⊥の陽刻    鈕に⊥の陽刻無し               
鈕の厚み(mm)    11         11         2~3
重量(g)       208.5 3)     214.4  3)    50.8
書体          篆書        篆書        六朝楷書      
外観          重厚        重厚        軽妙

まとめ
 伊豫軍印は、遠賀団印・御笠団印に似た点がほとんどない


さらに各項目について、現存する他の官公印も含めて、詳しく比較検討する。 

注 引用文献
1. 川上市太郎「御笠團印と遠賀團印」『福岡縣 史蹟名勝天然記念物調査報告書』第10 輯 史蹟之部 p64-73(昭和10年3月 1935)
・「遠賀團印」 重さ55匁6分6厘5毛(昭和10.1.21測定 福岡県標準秤器)換算すると208.74g 印面の広さ 天地1寸3分9厘(42.1mm) 左右1寸3分7厘(41.5) 総高さ1寸7分1厘(51.8) 握りの幅8分4厘(25.5) 同厚み3分7厘(11.2) 首幅5分7厘(17.3) 文字の深さ1分4厘(4.2) 品質 青銅製  鈕の前面中央部に陽刻⊥を表す
 明治32年2月梅花盛り、八尋百太郎氏が御笠北高等小学校校舎新築のため、地均しのため土をすきとり運びて覆したる際転び出でたるを見、拾い上げ置きたり。その場の14,5人に見せけるに誰一人これを珍重がる者もなく、捨つるに忍びず、持ち重りある物なれば、子供の玩具にもと、自宅に持ち帰りたり。その後子供は幾人も成長しけるが、追ひつぎつぎにこれを文鎮などに使ひ居たるものなり。而して本印は出土のままにしてあり。
・「御笠團印」 重さ57匁2分8厘5毛(昭和10.1.21測定 福岡県標準秤器)214.82g 印面の広さ 天地1寸3分9厘(42.1) 左右1寸3分9厘(42.1) 総高さ1寸7分(51.5) 握りの幅8分(24.2)同厚み3分7厘(11.2) 首幅5分8厘(17.6) 文字の深さ1分(3.0) 品質 青銅製 鈕の前面中央部に陽刻⊥を表す 
昭和2年4月8日、武藤喜太郎氏が、桑園より掘り出した日、これを自宅に持ち帰り何か「印」の形したるを以て、文字を見出さんものと、釘もて印面の土を刻み落としたれど、不明瞭のため、少し磨きたらば或いは文字の現はるゝ事もあらんかと、荒砥石にかけ、印面を若干擦り減らし見たり。(印影文字の肉太くなり、刀勢を損したるは全くこれがためなり)
2.  web. 「大宰府魅力発見塾」>古代の太宰府の軍団印「遠賀団印」と「御笠団印」の出土地
3.  東京国立博物館測定値(2023.4.27) 測定していただきありがとうございました。 

写1. 遠賀団印・御笠団印の形状・印面・印影(木内武男編「日本の古印」(二玄社 1965)より)

写2. 伊豫軍印の形状・印面・印影(印影は景浦稚桃「伊豫軍印に就て」伊予史談 第5巻2号(18号)p1(大正8年9月 1919)より)