卵管がんとハロハロ日記

団塊の世代の主婦の気まぐれブログです。
夫婦揃って大病したあと のんびり暮らしています。

手術前夜

2012-07-22 15:42:09 | 卵管がん 手術から腎ろう造設まで


≪ 2011年8月8日 ≫ 続き

明日の手術について主治医から説明を聞いた。
長男長女が同席。

① 現在の診断名

悪性卵巣腫瘍 、であると思われるが、術中迅速病理検査で確認する。

② 予定している手術の名称と方法

子宮全摘、両側付属器切除、大網切除、
リンパ節郭清( 骨盤~傍大動脈節 ) 、腸切除、腫瘍切除

③ その他手術で起こりうる 輸血や他臓器の損傷などについて
( 手元にある手術説明同意書より )

手術は多分 5、6時間になると思われる。
2時間位で終わったら手がつけられない状態だったと思って下さい。
場合によっては11時間、12時間の手術になることもある。
腸を切ることになると 消化器外科との合同の手術になる。

長男が 人工肛門の可能性について聞いた。
「可能性はあります。」と一言。詳しくは言わない。
何か有無を言わせぬ雰囲気が漂う。
わたしは口から言葉が何も出てこない。
そして手術説明同意書にサインした。



後記
子供たちが帰ったあと6人部屋に帰ると、となりのベットの方が
夜景を見に行こうと誘ってくれました。
隣接する棟の最上階に行ってキラキラ光る街のあかりを眺めました。
子宮がんで入院の年下のベテラン患者さん?のその方に励まされ、慰められて涙がこぼれました。
いい年をして、わたしはなんだか弱々の少女みたいでした。







やっと入院

2012-07-21 16:02:18 | 卵管がん 手術から腎ろう造設まで


そんなこんなで8月6日 朝 、ブッコワレチャッタみたいなお腹を抱え
長女に付き添われ ようやく入院となりました。

この時、相方は未だ 脳梗塞のリハビリ入院中(゜o゜;;
7月末に義父の49日をなんとか済ませましたが 、納骨はこの状況の中
墓地が遠方のため 、秋の百か日にしようということで 義父のお骨は
まだ自宅にありました。
それで長男がお骨のお守りと植物の水やりのために、相方が帰って
くる日まで 夜 仕事帰りに泊まりにくることに(⌒-⌒; )。
猫たちは長男の家に預けました。
長男のお嫁さんは、7月に産休明けでようやく職場に復帰を果たした
ばかり。4才と2才の子ども ( 孫ですが^^; ) を慣れない保育園に預けて
奮闘中でした。家は電車で一時間半位の距離なのですが 忙しい中
このあとも東奔西走して支えてくれました。
長女の旦那さんも長期出張の合間を縫って送り迎えしてくれました。

こうして4月の相方の突然の入院から始まった我が家のバタバタは
長男 長女の家族全員と猫たちを嵐のように巻き込みピークを迎えました。

わたしの両親は既に他界しており、一人いた姉は大分前に膠原病で亡くなっています。



≪ 2011年8月6日 ≫

とにもかくにも入院した(ーー;)
ここは病院。だからもう安心。
もう自分の体のことだけに集中して過ごそう。

昼食から、三日後の手術に向け、「低残渣食」という超消化のいい食事になる。
午後、造影剤付きのCTを撮る。
夜、ピルゼニド2錠、下剤。
夜の検温で38度熱があった。
やはり 3、4日前から熱があったんだろう。



≪ 8月7日 ≫

食事は「無残渣食」。前日よりさらに腸に何も残らないような流動食。
麻酔科の医師、薬剤師の説明や問診などがあった。

看護師さんに熱がまだあることを伝えると、ちょっと待ってと出て行き
「熱があると手術はできないそうです(^^)」
と言いに来た。
「えー~(ーー;)どうなるんですかー?ここまできて😰」
というと またパタパタ出て行き
「その熱は腫瘍から来ているものなので手術はできるそうです(^^)」
と言う。
オイオイ !ダイジョブカ~?
触ってもらってもいないんだけど……。

手術前にシャワーを浴びようと思うのだが 熱でゾクゾクして断念。
夜、また下剤。



≪ 8月8日≫ 手術前日

今日から絶食となる。
栄養の点滴が始まる。
午後、ニフレック ( 下剤 )2リットルを2時間かけて飲む。
まず~い\(//∇//)\
🚽に通い最後のほうで水様の便になったのを看護師さんを呼んで見てもらう。
いやです。いやです。これは嫌だった~。
水様便とはいえはずかしい。
イヤイヤそれより。。。看護師さんて大変な仕事だよな~。
わたしにはできませ~ん。(; ̄O ̄)

へそゴマとり。
すこし熱が下がった隙にシャワーを浴びる。

夕方、明日の手術について主治医の説明があった。長男長女が同席。




後記
ここまで書いて 主治医の説明が長くなることにきがつきました。
くたびれたのでこの続きは明日にします。^^;




シャンソンを聴きに

2012-07-20 18:18:03 | 日々是好日


ベランダのブルーベリー



昨日 友人と新宿にシャンソンを聴きに行きました。

渡辺歌子さんという 大好きな歌い手さんの歌を聴きに。



特にシャンソンが好きというわけではありません。

でもこの方は特別なのです。

相方を介して知り、15年位前に始めて聴きました。

それから 折々 なんだか人生の節目節目に聴きにいってるような気がします。

この前 聴いたのは5年位前だったかなあ……。

歌子さんの歌は こころ揺さぶられる というより、魂が……という表現の方が適切な感じです。

優しくて深いのです…。


きのうはわたしの好きな「 グルジアの歌 」を歌ってくださった。

1997年に亡くなったロシアの吟遊詩人 ブラート オクジャワの曲です。


🎵葡萄の種を熱い土に埋めて
つるに口づけ その房を取ろう
こころに実りの喜び 響かせ
それなくて何の地上のいのち

友よ僕の宴に集い
話しておくれ 僕が君の何かを
神も僕の罪を許してくれるだろう
それなくて何の地上のいのち

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

・・・夕暮れが隅々に立ち寄りながら訪れるころ
思いでの幻がわたしの目の前を通り過ぎていく
青い鷲 …白い水牛 … 金色の魚よ
それなくて何の地上のいのち
それなくて何の地上のいのち🎵




10年くらい前、冗談で、わたしのお葬式にはこの曲をかけてね

なんて言ってましたが

えーと……まだいいです。(⌒-⌒; )

もうすこし 生の歌を聴きにまいります。







卵管がん手術まで 6

2012-07-18 21:59:58 | 卵管がん 手術まで

≪ 2011年8月2日 ≫

わたしの入院手術を心配して 30年来の友人たちが「 頑張ってランチ」をしてくれた。
みんな病気のことは詳しくは聞かない。
顔色いいよとか、声に力あるからだいじょうぶって。
うちの夫婦の状況を知ってるので 手伝って欲しいことは何でもするよって、ありがたい、その言葉だけでもうれしい。
病院にはお見舞いに来なくていいとわたし言う。
その代わり、秋になったら 「おかげさまランチ」するからって。




≪ 2011年8月3日 ≫

前日夕方から 急にお腹の調子が悪くなってきた。
熱っぽい。だるい。
でも、わたしが入院したあと 相方が帰ってくるし、しておきたいことが山ほどある。

自宅で友人と電話中、激しい腹痛。
中断して這ってトイレへ。
大量の冷や汗、下痢止めを飲み横になる。

3時半、なんとか予定どうり相方の入院先へ。
相方の主治医と退院に向けての面談。
主治医はわたしの状況を知っているので励ましてくれた。

「ご主人は自宅で何とか一人でできます!」
「なあに 少々転んだってだいじょうぶ! それに安定いいから転びませんよ。^^;」

本当か~?
だって左足に装具を付け、4ヶ月ぶりの娑婆だぞ。左手は全く役に立たないし…。
でも 主治医と本人に、一人で出来る出来るといわれ 少し安心。
退院は わたしの手術日を避けて 8月14日に延期してくれた。
本当はあとひと月位入院していて欲しいが もう入院限度一杯なのだ。

そのまま彼は外泊で我が家へ。
わたし、ほとんど食べられない。夜、長男も来る。
これからのことを色々話したかったが調子悪く早々にねる。



≪ 2011年8月4日 ≫

朝から何も食べられない。
車で相方を病院に送って行く。
お腹は壊れちゃったみたいになっている。
家に帰ってゴロゴロする。熱っぽくて寝てしまう。
明日は絶対なにもしない。




≪ 2011年8月5日 ≫


夜、明日は入院だから早く寝ようとしていたが
長女と長電話。
そのあと、断れない電話がかかってきて長電話。
早く寝たい。
お腹がカチンカチンで苦しい。
ようやく電話を切ってベッドへ。
痛くて寝返りもできない。
使い慣れたお腹の漢方薬を飲む。
今晩にも緊急入院したいと思いつつ、睡眠導入剤を飲み強制睡眠。



後記:
入院前の一週間は転がるように具合が悪くなっていきました。







卵管がん手術まで 5

2012-07-18 14:48:20 | 卵管がん 手術まで




ここまで ≪卵管がん手術まで≫ の記述はもっぱら記憶を頼りに書いて来ましたが、この先は、ノートを残していますので、それを基に現在進行形で書いてみようと思います。
また改めまして、小心者で無知 故のかなりの独断と偏見の記述となっています。ご容赦下さい。




≪ 2011年7月25日 ≫


外来で主治医の教授の診察。
26日からの検査入院の確認。
体の調子などを聞かれる。
お腹は張っているが 元気だ と言う。
その後 、 血液検査、尿検査、心電図、胸部レントゲン、肺活量の検査。

家に帰り 当面の留守に備え食料品の整理、ゴミ、掃除、植物の手入れ、入院荷物準備などに忙しい。
夕方、相方の入院先に。




≪ 2011年7月26日 ≫


大学病院に検査入院。
長女と小学4年生の孫と一緒に行く。
病院に早く着いたので長女の提案で 近くの神社に参拝。

婦人科病棟 6人部屋
すぐにお腹の水を抜く、二日がかりでというので、緊張して待つが昼食となり結局17時に。
そして そんなにポンポコリンのお腹でなかったせいか?( この時で妊娠5ヶ月位 )抜くのではなく、検査のための注出となり、軽く皮膚表面をを麻酔してから針を刺して500cc抜くだけとなる。
あと 動脈からの血液検査。




≪ 2011年7月27日 ≫


腹水の検査結果が2日後のため 外泊しますか?ということになり家に帰る。
あれっ 腸とかの検査はしなくていいの?




≪ 2011年7月29日 ≫


病院に腹水の検査結果を聞きに戻る。
長女と孫が一緒。
とても待たされた。なんにせよ気になる結果を聞く時、待たされると不安と妄想でいたたまれない。
結果、腹水からはがん細胞が見つからず。
なんでも、0から5の段階があり、0だということ。
手術ができない&先に抗がん剤 の線はなくなった。
最悪の事態からとりあえず開放され 8月6日入院、8月9日手術が決まる。

少し気分がよくなり帰りに三人で日比谷公園を散歩、松本楼で食事して帰る。


後記 :
わたしは胃や腸の検査はしていません。予定していた長い検査入院がはしょられた感じだったので、もしかしたらそんなに重くないのかも……とひそかに思っていました。