卵管がんとハロハロ日記

団塊の世代の主婦の気まぐれブログです。
夫婦揃って大病したあと のんびり暮らしています。

卵管がん手術まで 4

2012-07-14 22:33:38 | 卵管がん 手術まで




《2011年7月14日》 告知



CT MRI 血液検査などのデータが揃い 長女と一緒に結果を聞きに行きました。

医長でもある教授はとても忙しそうな雰囲気でした。
私の顔を見てちょっと間を置いてから いきなり
「 進行した卵巣がんです。」と言いました。
一縷の望みは簡単にこわされました。

あとなにか説明した後 (あまり憶えていない)、セカンド オピニオンを取るかと聞かれました。
わたしはしばらく考えましたが長女と顔を見合わせて「先生 宜しくお願いします。」といいました。
自信に満ちた信頼の置けそうな雰囲気に わたしの本能が 任せて大丈夫といっていました。

教授は慎重に言葉を選んでいましたが、口調は断定的でした。
手帳をみながら7月26日から検査入院。8月9日を一応手術として
押さえる ということ。
7月26日から8月9日までは、予定を入れないで欲しいこと。

わたしのとなりで長女はメモをとりながら泣いていました。
わたしは 夫が入院中であり8月9日頃に退院予定なので手術の日を少しずらしてもらえないか などと言っていました。

すると 「腸にかなり浸潤がある。開けて見なくてはわからないが相当に病期が進んでいるようだ。手術できれば良いが、検査をした結果、すぐに抗がん剤をすることになるかもしれない。とりあえず8月9日をとっておかないと、その先は9月になってしまう。」と。
基本的に医者は目の前にいる患者の命のことしか考えないんですね。

わたしの体は とんでもないことになっているんだと思い黙り込みました。

ここまで断定的に言われ絶望的な気分でしたが それでもまだ希望を持っていました。
最近の医療の現場では 患者に病状を説明するのに 最悪の事態を想定して言うんだときいていたからです。

たとえば長女の義理の母は4、5年前、癌かもしれないといわれ覚悟の上で手術に臨みましたが良性の卵巣腫瘍でした。
ここまで言われているのにまだどこかでそんなことを考えていました。

病院を出て 長女はこわばった顔であちこちに電話をしていました。
離れたところで、わたしは相方の退院日とか日程のことを考えながらそれをボンヤリ見ていました。







自転車

2012-07-14 12:48:29 | 日々是好日



遅く咲いたバラ バレリーナ。ハチが…。




九州の方は大雨の被害で大変なことなっている。

もういい加減止んで欲しいですね。


東京はだいぶ日中 夏らしくなってきた。

今日は最高 31度位になるらしい。

風通しのいいリビングで いい調子にひっくりかえってゴロゴロしながら

テレビを見ている。

NHK BSの「こころ旅」。今日は北海道。



旅番組がすきだ。「世界街歩き」とか「家族に乾杯」とか…。

こころ旅、の火野正平さんはわたしと同年輩。

行合う人達に媚びを売らないところがすきだ。

でも、二年目になったら随分愛想がよくなった みたい。

食堂も無いところだと、小さい何でも屋みたいなお店で

カップラーメンや缶詰めを買って地べたで食べたりする。

寄ってくる猫に分けてやったりする。

喫茶店に入ると 濃いコーヒーを注文する。

コテコテの スパゲティナポリタンが好きみたいだ。

元気でハアハア自転車を漕ぐ。新緑の山や海。

いいな~、羨ましい。



そうだ!

今日こそゆっくり自転車に乗ってみようかな。



5月の末に色々な理由で長い間の車生活を辞めた。

相方が車を運転出来なくなったのも理由のひとつ。

わたしも運転するので 、それでは私が彼の足になろう と思っていた。

街中に住んでるので 電車 バス タクシー、何でもある。

彼はこの一年間、懸命のリハビリで相当に回復した。

まだまだ不自由だが、毎日バスなどに乗って出かけていく。

なにより、二人で大病して、マンションの駐車場代、経費が大きな負担だ。

車には何十年も乗っていたので、しばらくウジウジ執着した。

でも手放してしまったら、意外に、さっぱりした気分になった。

大きな断捨離だ。

そう 人生下り坂 楽チンだ~!。

もう自分達が加害者になる事故の心配もない。



だけど。。

わたしは何年も自転車に乗ってないのでなんだか怖い。

一日一日、日延べしている。

リンパ浮腫には、自転車はいいらしい。

でも転んで怪我をしたら元も子もないし……。

とりあえず、今日はゆっくり転がしてきます。



闘病記を書こうと思っているのに

なかなか書き進みません。

去年は想像もできなかったノンビリした日常です。