卵管がんとハロハロ日記

団塊の世代の主婦の気まぐれブログです。
夫婦揃って大病したあと のんびり暮らしています。

卵管がん手術まで 6

2012-07-18 21:59:58 | 卵管がん 手術まで

≪ 2011年8月2日 ≫

わたしの入院手術を心配して 30年来の友人たちが「 頑張ってランチ」をしてくれた。
みんな病気のことは詳しくは聞かない。
顔色いいよとか、声に力あるからだいじょうぶって。
うちの夫婦の状況を知ってるので 手伝って欲しいことは何でもするよって、ありがたい、その言葉だけでもうれしい。
病院にはお見舞いに来なくていいとわたし言う。
その代わり、秋になったら 「おかげさまランチ」するからって。




≪ 2011年8月3日 ≫

前日夕方から 急にお腹の調子が悪くなってきた。
熱っぽい。だるい。
でも、わたしが入院したあと 相方が帰ってくるし、しておきたいことが山ほどある。

自宅で友人と電話中、激しい腹痛。
中断して這ってトイレへ。
大量の冷や汗、下痢止めを飲み横になる。

3時半、なんとか予定どうり相方の入院先へ。
相方の主治医と退院に向けての面談。
主治医はわたしの状況を知っているので励ましてくれた。

「ご主人は自宅で何とか一人でできます!」
「なあに 少々転んだってだいじょうぶ! それに安定いいから転びませんよ。^^;」

本当か~?
だって左足に装具を付け、4ヶ月ぶりの娑婆だぞ。左手は全く役に立たないし…。
でも 主治医と本人に、一人で出来る出来るといわれ 少し安心。
退院は わたしの手術日を避けて 8月14日に延期してくれた。
本当はあとひと月位入院していて欲しいが もう入院限度一杯なのだ。

そのまま彼は外泊で我が家へ。
わたし、ほとんど食べられない。夜、長男も来る。
これからのことを色々話したかったが調子悪く早々にねる。



≪ 2011年8月4日 ≫

朝から何も食べられない。
車で相方を病院に送って行く。
お腹は壊れちゃったみたいになっている。
家に帰ってゴロゴロする。熱っぽくて寝てしまう。
明日は絶対なにもしない。




≪ 2011年8月5日 ≫


夜、明日は入院だから早く寝ようとしていたが
長女と長電話。
そのあと、断れない電話がかかってきて長電話。
早く寝たい。
お腹がカチンカチンで苦しい。
ようやく電話を切ってベッドへ。
痛くて寝返りもできない。
使い慣れたお腹の漢方薬を飲む。
今晩にも緊急入院したいと思いつつ、睡眠導入剤を飲み強制睡眠。



後記:
入院前の一週間は転がるように具合が悪くなっていきました。







卵管がん手術まで 5

2012-07-18 14:48:20 | 卵管がん 手術まで




ここまで ≪卵管がん手術まで≫ の記述はもっぱら記憶を頼りに書いて来ましたが、この先は、ノートを残していますので、それを基に現在進行形で書いてみようと思います。
また改めまして、小心者で無知 故のかなりの独断と偏見の記述となっています。ご容赦下さい。




≪ 2011年7月25日 ≫


外来で主治医の教授の診察。
26日からの検査入院の確認。
体の調子などを聞かれる。
お腹は張っているが 元気だ と言う。
その後 、 血液検査、尿検査、心電図、胸部レントゲン、肺活量の検査。

家に帰り 当面の留守に備え食料品の整理、ゴミ、掃除、植物の手入れ、入院荷物準備などに忙しい。
夕方、相方の入院先に。




≪ 2011年7月26日 ≫


大学病院に検査入院。
長女と小学4年生の孫と一緒に行く。
病院に早く着いたので長女の提案で 近くの神社に参拝。

婦人科病棟 6人部屋
すぐにお腹の水を抜く、二日がかりでというので、緊張して待つが昼食となり結局17時に。
そして そんなにポンポコリンのお腹でなかったせいか?( この時で妊娠5ヶ月位 )抜くのではなく、検査のための注出となり、軽く皮膚表面をを麻酔してから針を刺して500cc抜くだけとなる。
あと 動脈からの血液検査。




≪ 2011年7月27日 ≫


腹水の検査結果が2日後のため 外泊しますか?ということになり家に帰る。
あれっ 腸とかの検査はしなくていいの?




≪ 2011年7月29日 ≫


病院に腹水の検査結果を聞きに戻る。
長女と孫が一緒。
とても待たされた。なんにせよ気になる結果を聞く時、待たされると不安と妄想でいたたまれない。
結果、腹水からはがん細胞が見つからず。
なんでも、0から5の段階があり、0だということ。
手術ができない&先に抗がん剤 の線はなくなった。
最悪の事態からとりあえず開放され 8月6日入院、8月9日手術が決まる。

少し気分がよくなり帰りに三人で日比谷公園を散歩、松本楼で食事して帰る。


後記 :
わたしは胃や腸の検査はしていません。予定していた長い検査入院がはしょられた感じだったので、もしかしたらそんなに重くないのかも……とひそかに思っていました。







卵管がん手術まで 4

2012-07-14 22:33:38 | 卵管がん 手術まで




《2011年7月14日》 告知



CT MRI 血液検査などのデータが揃い 長女と一緒に結果を聞きに行きました。

医長でもある教授はとても忙しそうな雰囲気でした。
私の顔を見てちょっと間を置いてから いきなり
「 進行した卵巣がんです。」と言いました。
一縷の望みは簡単にこわされました。

あとなにか説明した後 (あまり憶えていない)、セカンド オピニオンを取るかと聞かれました。
わたしはしばらく考えましたが長女と顔を見合わせて「先生 宜しくお願いします。」といいました。
自信に満ちた信頼の置けそうな雰囲気に わたしの本能が 任せて大丈夫といっていました。

教授は慎重に言葉を選んでいましたが、口調は断定的でした。
手帳をみながら7月26日から検査入院。8月9日を一応手術として
押さえる ということ。
7月26日から8月9日までは、予定を入れないで欲しいこと。

わたしのとなりで長女はメモをとりながら泣いていました。
わたしは 夫が入院中であり8月9日頃に退院予定なので手術の日を少しずらしてもらえないか などと言っていました。

すると 「腸にかなり浸潤がある。開けて見なくてはわからないが相当に病期が進んでいるようだ。手術できれば良いが、検査をした結果、すぐに抗がん剤をすることになるかもしれない。とりあえず8月9日をとっておかないと、その先は9月になってしまう。」と。
基本的に医者は目の前にいる患者の命のことしか考えないんですね。

わたしの体は とんでもないことになっているんだと思い黙り込みました。

ここまで断定的に言われ絶望的な気分でしたが それでもまだ希望を持っていました。
最近の医療の現場では 患者に病状を説明するのに 最悪の事態を想定して言うんだときいていたからです。

たとえば長女の義理の母は4、5年前、癌かもしれないといわれ覚悟の上で手術に臨みましたが良性の卵巣腫瘍でした。
ここまで言われているのにまだどこかでそんなことを考えていました。

病院を出て 長女はこわばった顔であちこちに電話をしていました。
離れたところで、わたしは相方の退院日とか日程のことを考えながらそれをボンヤリ見ていました。







卵管がん手術まで 3

2012-07-07 17:19:43 | 卵管がん 手術まで


《2011年6月20日》


義父の他界、葬儀 そのあとの諸々であっと言う間に2週間程経ちました。

「そうだ、自分の病院にいかなくちゃ!」
ということで、乳がんの主治医のいる大学病院に改めて予約を入れようやくいきました。
其の間、私の体は相変わらず異常を訴えてはいましたが、何より食欲あり体力は普通にありました。
問題のお腹は常に気になりましたが、この時点で妊娠4ヶ月位。
オーバーブラウスで巧みに隠せるほどです。

ここでやっと、エコーをして腹水を確認。
続く造影剤付きCTで右側卵巣が こぶし大に腫れているのを確認しました。

乳がんのわたしの主治医は
「いやあ、良性で水を出す卵巣腫瘍があるんだよ。でもできるだけ早く婦人科に行きなさい。」
と慰めつつ、そこの病院ではなく、別の大学病院の婦人科の教授を紹介してくれました。



《2011年7月4日、5日》


7月4日、乳がんの主治医の紹介状とCTを持って 都内の初めて行く私立の大学病院にでかけました。
心配して長女がついて来てくれました。

この日は、血液検査、問診、内診。あらためてCTも撮りました。
内診の時、主治医になるはずのその医師が 大きなため息をついたのが印象的でした。
翌日のMRIの予約をとって帰宅しました。

主治医になる医師に「いつごろから何か変わったことが…」と言われて思い出したことがあります。
ああ あの時もう少しきちんとしかるべき施設で検査していれば、と 思うことがはっきりありました。

前の年の2010年7月、急にお腹が張って 下腹部痛 、発熱をしました。
わたしが子供の時から診てもらっている近所の老人先生のところに行き診察を受けると、
「 これはおそらく婦人科系だと思うから今から婦人科にいきなさい。」
ということで、そこから歩いて直ぐの、やはりおばあさん先生の産婦人科医院にいきました。
ここで内診してもらったのですが結果は きれい 特に問題ないということで、様子を見ることに。
3、4日で熱も下がり、お腹の張りも直って 忘れてしまいました。
あの時、もうすこし大きな施設で 検査を受けるべきでした。
本当に悔やまれます。
絶対にあの時から異変が始まっていたと思います。
もともとガスはあまり出ないほうだったんですが、この夏からやたらに出るガスに悩まされました。
でも変わったことといえばそれだけでした。








卵管がん手術まで 2

2012-07-07 14:36:41 | 卵管がん 手術まで



《2011年5月30日》


始めて 膨らんでくるお腹の事で病院に行きました。
といっても、わが身に何が起こっている分からず
とりあえず遅らせていた乳がんの定期検診で 主治医の教授先生にきいてみようと思ったのです。
都内にある私立の大学病院です。

もう7年もお付き合い頂いている とても親身になってくださる先生です。

先生 「 どう調子は? 」
わたし 「 先生、元気なんですが、なんだかこのところお腹が張って。。。まさか腹水じゃないですよね? 」

すると先生は急に真顔になって

「いつからか?診てみよう。エコーも見てみよう。」ということに。

そして、なぜかその日はそれだけで翌週 エコーで見ることになり帰宅しました。

そして翌週、病院に行こうとしていた矢先
義父(夫の父)が危篤状態になり 二日程の危篤状態の後他界しました。

当然ながら、また わたしは自分の病院どころではなくなりました。
相方は長男でしたので、自身が脳梗塞で入院中の病院から、二人で介護タクシーで義父のところに駆けつけたり、葬儀の準備、 葬儀、とタクシーで1時間以上かかる所を往復しました。
相方は既に脳梗塞で左半身不随となっていて、介護タクシーから車椅子という状態でした。