卵管がんとハロハロ日記

団塊の世代の主婦の気まぐれブログです。
夫婦揃って大病したあと のんびり暮らしています。

焼きそば

2012-07-31 11:27:49 | 卵管がん 手術から腎ろう造設まで
≪2011年8月12日からの一週間 ≫

翌日12日から 憧れの水をちょっとずつ飲めるようになった。
次は歩行訓練だ。

ナ 「さあ ゆっくり起き上がってみましょう。(^^)」

あれれっ!(◎_◎;)起き上がれない。

そうです。貧血なのです。
ベッドで体を縦にしただけで気持ちが悪い。。
ありがたくも手術で輸血をまぬがれたのだが、この時のヘモグロビン値は 6 、いくつだった。
あとの抗がん剤治療でも 同じ位の数値になり仰天したが、骨髄抑制による、段階的な貧血は案外本人は何とか適応してしまうらしく、手術による急激なものとは体感が違うらしい。

ベッドメイクでベッドを空けなければならない時は看護師さんにすがり車椅子。
朝晩 鉄剤を点滴してもらいなんとかトイレに行けるようになり
座ると痛かった導尿も無事に外すことが出来ました。

血栓症があると言われており 血液をさらさらにする装置?が付いた点滴棒が24時間与えられる。
充電が切れるとピーピーやかましく はた迷惑なもので 夜中に鳴り出しアタフタしたり、常にコンセントを探してヨタヨタ歩き回った。

とはいえここまでは順調な回復ぶりでお腹も空いてきた。
でも腸を切っているので一週間は絶食なのだ。\(//∇//)\
腸の動きを見て 消化器科のドクターの OK が出ないと食事にありつけない。
大分ゆとりが出てきて 頭の中は 食べ物のことでいっぱいだ。
食べられるようになったらあれも食べたいこれも食べたいと妄想が膨らむ。
食事がないので暇で、虚しく歯磨きなどしたり、
テレビをつければ 、気がつくと料理番組やグルメ番組をじっと見つめている。
かれこれ 10日入院しているのに、この病院で食べたのは、手術前の離乳食みたいな低残渣食だけなのだ。
同室の皆んなが食べている食事が そりゃあ 美味しそうに見えてしょうがない。

ある日 向かいのベッドの人が昼食の食噐のフタを取って言った。

「ワー やきそばだー(o^^o)」

いいな~。美味しそうだな~焼きそばか~
ソース焼きそばのいい香り~。

食べた~い!! 食べた~い!!

この時、食べたいモードは最高潮。
焼きそばはあこがれとなって幻想的に脳裏にくっきり焼きつきました。
退院したら、鉄板にいっぱい焼きそばを作って食べるんだっ!!と心に誓います。
食欲は 元気のバロメーターですね。
わたしのこの食い意地が命を支えてくれています。

8月16日、夕飯から重湯が出て食事が段々始まりました。

8月17日、朝の回診でお腹のドレインがいきなり抜かれました。

8月19日、朝、すべての点滴が外されました。



手術直後

2012-07-30 12:21:09 | 卵管がん 手術から腎ろう造設まで

≪ 2011年8月9日~ 10日≫

手術は6時間位かかったらしい。
しばらく回復室のようなところにいて、夜8時頃6人部屋の自分のベットに戻ったようだ。

手術中、待たされていた子供たちの心中を思うと切なくなる。
優しい彼等は 多くは語らない。
夕方 病院のレストランで無言で食事をしたらしい。
わたしより堪えがたい長い一日だったと思う。

手術が終わり 取り出した臓器をいれたバケツを持った主治医に説明を受けたと言っていた。

両側卵巣 、子宮を切除し 術中迅速検査で悪性であることを確認、
直腸、大網 切除、腹水2リットル抽出、腹水からもがん細胞が見つかった。
リンパ節に転移があることを確認し、85コのリンパ節を郭清。
出血は1600ccで輸血ギリギリだったが しなかった。

婦人科医師3人で手術、途中から消化器外科が加わった。
目に見える悪いものは全部取り切った。

翌日改めてやってきた長女からだいたいそんなことを聞いた。
いやいやこんなに詳しくはなかったような …^^;二週間後に聞いた手術の説明と混同している。

大掛かりな手術だったそうだ。
完璧に取り切ったという手術をしてくださった医師チームに改めて感謝したいです。

まず、わたしは看護師さんに人工肛門がついてないことを確認して安心した。
それから ただ痛みに耐え、熱、喉の渇き …etcの長い長い一昼夜をすごした。
水が飲めないため吸い飲みで口すすぎだけだ。
浅いねむり、口すすぎ、冷たいおしぼりをもらい額に 、また吸い飲み要求、を繰り返す。
痛い、苦しい、あっちが、こっちが…吸い飲み、おしぼり…。
こんなにナースコールばかりして悪いなーと思いつつ 耐えきれず押してばかり。
同室の方を眠らせなかったのでは……\(//∇//)\
この日ばかりは個室にいたほうが良かったです。


≪ 2011年8月11日 ≫

憧れの氷を二つゲット。やったーっ!!
わたしの切望に一つ二つならいいでしょうということで。
忘れられない 甘露な味わい。(((o(*゜▽゜*)o)))
修行僧が長い断食 断水のあと 口にする水のようだ。
ここは水の星、地球に住んでるんだなあとしみじみ味わう。
わたしの体も大部分が水である。
おいしい水。あまい水。水、みず、水。

眠剤が点滴に入っているらしいがウトウトしか眠れない。
あー、ぐっすり眠りたい。
で、夜になってわたしは暴挙にでた。
じつは自分が持ってきた、日頃飲み慣れている睡眠導入剤がベット脇の引き出しにあるのだ。
あれを飲めばぐっすり眠れる。でもちょっと手が届かない。
体は 管だらけ、自由に動けない。
でも欲しい。眠りたい。まるで麻薬患者だ。
意を決して、足の指で引き出しの取っ手を引っ張ることに成功。
さらに上半身でにじり寄り 薬をゲット!!( アブナイ表現です(ーー;) )
一錠飲み 朝までぐっすりねむりました。

お読みくださっている方、どうかこういうアブナイ行為はしないでください。
翌日、看護師さんに言ったら同じ薬をとっとと出してくれました。






梅のポタポタ漬け 2

2012-07-27 11:52:14 | 日々是好日



この間 天日干しした梅を10日位前に漬け込んだものです。

半年位から一年位が食べごろみたいです。

去年までは ネットで「 梅のポタポタ漬け 」で検索しても

何も出てきませんでしたが

今年 NHK の 「 今日の料理 」に掲載されたせいか

たくさんでてきます。

インターネットの時代 凄いですね。

今年は 梅はもう終ってますけど。。。


今は 、去年 手術を待ちながら 複雑な気持ちで漬け込んだものを食べています。

でも美味しいです~ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

また 来年も 今年のを元気で食べたいんなぁ。








リンパ浮腫

2012-07-26 18:51:54 | 病がらみのひとり言

ワルシャワニキという名の
クレマチス



東京は暑い日が続いています。
きのう 世田谷にある リンパ浮腫専門のHクリニックに行ってきました。

ここは8年前 乳がんの治療のあと 右腕の浮腫で4、5回お世話になったクリニックです。
お陰さまで腕は今まで上手くコントロールできています。
ところで今度の卵管がんは原発です。
乳がんの転移ではありません。

去年8月の卵管がん手術のあと ( リンパ節85個郭清 ) お腹と外陰部がブヨブヨになり、しゃがんだりするとちょうど薄い布団を挟んでるような感じになっていました。
歩く時も重たい感じです。
大学病院ではリハビリ科で指導を受けていました。
リンパ浮腫専門科はありません。

少しだけ良くなった気もしますが 最近は右太腿の内側が嫌な感じになってきたのでやはり 餅は餅やでしょうと行ってみることにしました。
大学病院の売店で買ったガードルをして行きました。

H先生はわたしと同じ年配の真面目なジェントルマンっていう感じの先生です。
一通り質問と説明があって……。
紙に図などを書いて説明してくれます。
ついでに、先生は逆さ書きができる方です☆♪(´ε` )
器用に字も図も向き合っているわたしの方を向けて書いてくれます。

ところで診察ですが腕と違って 場所が場所だけに大変です。
ガードルを取って、つまりすっぽんぽんになって太腿 、足首、お腹まわりなどを計測。
横になって触診。皮膚の感じを見ます。

終わりかと思いきや次は なんと写真撮影です!(◎_◎;)。

先生 「 はい! そこに立って下さい。」

わたしの浮腫は外陰部から太腿にかけてです。(ーー;)
もちろん前面から^^;だけですが あられもない格好のわたしに小型カメラを手にしたH先生が大真面目に近ずいてきます。

わ 「 ス、すみません。こんなところを(゜o゜;; 」などと慌てふためき なぜか謝っています。

先 「これからの変化をみるためです。(ーー;)」

わ 「先生も大変ですね……f^_^;)」恥ずかしがるわたしの方が変です。

でもでもそりゃー怪しい光景でありました。

結果、そんなにたいした浮腫ではないこと 、現在しているガードルでいいが、あと一工夫した方がいいなど諸注意がありました。

その後、別室でリンパドレナージを療法師さん( 女性 ) にしていただきながら 日常的なセルフのやり方、先生に聞けなかったあれこれを伺いました。

わたしにとっての諸注意ですが…。

◯ 人には再生力がある。新しいバイパスのリンパ管をコツコツ育てよう。

◯ くびれが出来るような下着を着ない。

◯ 心配し過ぎない、ストレスを溜めない。 ( 血流が悪くなり浮腫みやすくなるため )

◯ 急に運動量を増やさない。徐々に少しずつ。

◯ 水泳や自転車はよいが 疲れるまでしないこと。

◯ 適度な運動は筋肉を増やし血流をよくする。

◯ 一日に何回も意識して深呼吸をする。リラックスして暮らす。

◯ 怪我や虫刺されに注意。

◯ 蕁麻疹は早く直す。( 悪化の原因になる、 よく蕁麻疹が出るため )

◯ 足からお尻を少し高くして寝る。

◯ 太らないこと。 脂肪がリンパ管を圧迫するから。

◯ リンパドレナージは肌に何もつけないで行う。お風呂で石鹸をつけてしたり、ボディローションをつけたりしてしない方がいい。


などでした。

一と月後に来るように言われ予約して、

お会計は
再診料とリンパドレナージ指導料で一万円で少しお釣りがきました。


新たな弾性タイツなどは買わなくて済みたすかりました。(´・_・`)
酷くなる前のこのタイミングで行ってよかったです。





クリニックで買った本です。アマゾンで買えます。


手術

2012-07-23 16:23:35 | 卵管がん 手術から腎ろう造設まで


翌朝、無事に手術日を迎えました。
さすがに手術当日から2、3日はメモもとっていないし
記憶も途切れ途切れです。
印象的だったことだけ 思い出してつなげてみます。


≪ 2011年8月9日 ≫

ブルーの手術着。
手術着の下は アラレちゃんパンツみたいなでっかい紙パンツ。
前の手術が押して 一時間遅れの11時30分に、家族と歩いて手術室に向かう。
どこをどう歩いて 息子夫婦と娘と別れたのか記憶がない。

手術室はとても広くて手術をするスペースが何個もあるようなところだった。
ここの待合いの椅子に座って待たされる。
婦人科の看護師さんと別れ、手術室の看護師さんにバトンタッチされる。
夢を見てるみたいだ。
もう一人、私と同じ年配のおじさんが雑誌を手に待たされていた。
それだけ見ると、人間ドックか何かの待合いみたいだ。
あのおじさん 雑誌の内容わかるのかな?
などとボンヤリ思っている内呼ばれた。

ここで看護師さんに必死に訴えたことがあった。
わたしは8年前に乳がんの手術で、右脇の下のリンパ節の郭清をしており
( 幸いリンパ節転移はなかった )ごく軽いリンパ浮腫がある。
婦人科の看護師さんの申し送りで 右腕に針を刺さないことが伝わっているはずだが心配だ。
みんなパタパタ準備に忙しい。
ちゃんと覚えていてくれているのか?
右腕になんにも印がしてないじゃないか。
輸血とか緊急で右腕に慌てて注射することもあるだろう。
手術が始まったら忙しくて右腕のことなんか忘れてしまうに違いない。
などと心配でたまらない。「右腕!右腕!」と騒ぐ。

ナ 「はいはい。大丈夫です。わかってますよ。(^^)」
わ 「おねがいっ!マジックでいいから腕に< 禁 >て書いてください !!(゜o゜;;」

手術台に乗ってもしつこく言い続け
「わかってます。わかってます。(^^)」と言われながら
「はい 、背中丸めて~。背中に麻酔の注射しますよ~。」
口にマスクをはめられ、
「はい、吸って~!吐いて~!」
であっと言う間に遠い夢の国へ……。

次に目が覚めたのは婦人科病棟の廊下で、自分の部屋に帰っていくストレッチャーの上でした。
子供たちが顔の上で何か言っていました。
よく覚えていません。
手術は終わったんだな。
ああ自分の部屋に帰ったみたいだ。
「気持ちが悪い。」「寒いです。」
などと言っているうちに
「消灯で~す。」と電気がきえました。
あ~もう夜なんだ。(; ̄O ̄)
いったい手術はどの位かかったんだろう、
人工肛門は……などとボンヤリ思っていました。


後記
それで右腕は大丈夫でした~(^^)。目が覚めた時、体を探るとちゃんとマジックで ≪ 禁 ≫と書かれた布がはめられていました。有難うございました。