卵管がんとハロハロ日記

団塊の世代の主婦の気まぐれブログです。
夫婦揃って大病したあと のんびり暮らしています。

「もう」と「まだ」の間にて

2014-04-28 15:34:31 | 脳梗塞リハビリ病棟レポートと相方の文章

久しぶりに相方しーちゃんの文章です。

ときどき女房がブログでつぶやいている亭主についての所感とは

かなりな温度差があるなと感じたので、了解を得て写すことにしました。

例によって彼が所属する とあるSNSに彼が送った文章です。




「もう」と「まだ」の間にて

今や古典的な訓話として
「もう半分しか残っていない。」と嘆く者と
「まだ半分残っている。」と喜ぶ者を比べる話しがありますね。
どちらを良しとするかは「時」の事情で異なるにしても
ある一瞬の状況を受け止める態度や心境の違いを
表すことば使いの話です。

さて、時と共に成長改善してゆく状況を表す時は
「もう」と「まだ」は近過去と比べるのか
近未来を見つめるのかの違いとなると思います。
「もう立って歩いた。」「まだヨチヨチ歩きだ。」
同じ状況を昨日と比べるのか、あってほしい明日と比べるのか。

 

 


私も片麻痺のリハビリが始まった頃は
「こんな事も出来ない!」
と嘆きながら痛みに堪えつつ、恐る恐る
動かすためのリハビリ動作に取り組んでいました。

2ヶ月経つ頃から
「あっ、こんなことができた!」
と回復が実感できる嬉しさがあるようになったので
熱心に工夫して努力することができました。
退院して、自主トレが主体のリハビリシーズンが始まっても
「もう、こんなにこういうことも出来るようになった。」
と感じると、独りの努力を続ける気持ちが繋がりました。

半年経ち、一年過ぎても「もう」は続いていました。
2年目の冬になり、春を迎え 3年目に入った頃から
いつまで麻痺のある生活が続くのか、日常生活だけでなく
社会生活で人並みになるのはいつになるのかを思うようになりました。
「まだ、左手で紙も押さえられない。」
「まだ、階段は手すりにつかまっても大変だ。」
そういう言葉が心の中で響くようになりました。
そして、その言葉は前向きの努力の妨害をする
悪質な言葉だと感じていたのです。







3年が過ぎて
リハビリの成果はとてもゆっくりだけど確実に出ている、と思いながら
「まだ」が沢山起きるようになって「まだまだ」になっていたんです。
そして 身体のハンディは社会生活の決定的ハンディだと暗く思いながら
これ以上、3年以上は社会に甘えられないと思い始め
麻痺が残っていても、快気祝いをしようと決めたのです。
現状の麻痺があっても 社会復帰を本格的にしよう。
そういう気持ちになったら、気づいてきました。

「まだ」は未来志向の言葉でもあるんだと。
近過去よりは確実に進歩したという「もう」も
近未来にはそこまで行くんだという「まだ」も
どちらも否定的じゃなくて
「まだ、やることがあった。」という
自分へのメッセージだと気がつきました。

今の私は「もう」と「まだ」の間にいます。
そして、身体についても、社会生活についても、リハビリ暮らしは
「もう」と「まだ」を繰り返しながら これからも続きます。

 

 


アナにうるうるとモッコウバラと

2014-04-24 22:56:50 | 日々是好日

 

ベランダのモッコウバラが今 満開です。

ウチに来てから かれこれ15年

窮屈なコンテナ育ちなのに毎年良く咲いてくれます。

二度の引っ越しにもけな気に耐えた可愛いこです。

  

  

アナと雪の女王の日本語版の

“ 雪だるま作ろう "のシーンの動画に捕まってしまい

もう何回も見てはウルウルしています。

たいへんヤバイです。 

http://m.youtube.com/watch?v=4KvlewF0-Kg

この映画、特に姉妹のいる人は... じゃないかなと思います。

わたしも20代で亡くなった姉のことを想いました。

 

 

先週 映画館で英語版で観たのですが

youtubeで日本語版を見たらばすごく良いのに驚きました。

エルサの松たか子さんもアナの神田沙也加さんも

歌も情感豊かでイキイキしていて役にピッタリだと思います。

も一度、今度は日本語バージョンで観たいな 

 

 

さっき、今までずっと出来なかったリンクがやっと出来た( ようで )

一人で 小躍りして喜んでいます。

youtubeにリンクしたくて今日は色々苦労しました。

プレビュー画面上では成功してるんだけどな。

ど~だろ~ (・・;)



 

うっほ~~い !!  ( ←追伸 )

 


浅田真央23年の軌跡展に行ってきました ♪

2014-04-22 12:13:43 | 日々是好日

 

きのう 日本橋高島屋でやっていた
「 浅田真央 23年の軌跡展 」に行ってきました。
きのうが最終日だとお昼に知って 慌てて滑り込みセーフでした。


我ながらなんなんだって思います。

高島屋の外のウインドーの真央ちゃんのディスプレーを
見ただけでウルウルして...
わたしの人生でこういう異常事態(笑)はじめてです。

最終日ということでかなりな混みようでした。
で、二週間で来場者が18万人とか (@_@)
いくら入場料無料でも大変なものです。

展示はバレエを始めた愛らしい3才くらいから
プライベート映像も含めて時系列でソチ五輪まで、
写真と衣装 メダルなどが丁寧に展示されていて
真央ちゃんのコメントが添えられていました。
記憶にあるステキなあの衣装この衣装がたくさん
すり切れた白いスケート靴には見入ってしまいました。

それが....
ちょっとづつ進む列の中にいてなんとも不思議な気分に...
ん?なにかに似ているぞ!なんだこの感覚は...(テルマエ風^^;)

で、わかったんです
神社仏閣の参拝者の列にいる気分なんですね。
会場の人たちは善男善女
皆さんとても柔和なお顔になっている。
真央ちゃんは真央菩薩とか言われているらしいけど
なるほど~って思いました。

何処にでもいるような可愛いお嬢さんが
ひとたび氷の上に立つと
なんと神々しい存在になることか。
優雅で美しくオトコ前なド根性の持ち主で...

ソチのコーナーではあのフリーの映像が流され
また拍手が起きていました。
大きな寄せ書きの紙はもう少しの余白もなくなっていました。

 本当にすごくたくさんの人にしあわせを配ってきたんですね。

 


たけのこ~っ!!

2014-04-20 14:45:11 | 日々是好日

 

先週 今が旬のたけのこをいただきました。



大好物なんです! これが   


さっそく糠を入れて茹でました(入れ過ぎた!)

 

作りましたよ、いっぱ~い!

で 三日間で完食しました。 

 

気合い入れてぜ~んぶ写真も撮ったんだ  

 

まずはたけのこ料理のてっぱん

たけのこご飯

おいしくて、おかわりが止まりません。




 

続いてこれ

芽吹いたばかりのウチの山椒の芽を使って

木の芽和え 

 

 

二日目はこれ。

ワカメと炊いた若竹煮はどよ。

 

そしてやっぱりこれ

たけのこのおかか煮は母の味だ。

 

 

最後は筑前煮

 

は~ 食べた~。 

ごちそうさんでした !

ぼんやりしていた春の身体がしゃっきり目覚めた気がします。

 

 

料理はね、あんまり得意じゃないんです。。

で なんてっても40年も作ってると  (´・Д・)

もう好きなのか 嫌いなのかもわからない。

ずっと家族に作っていて…お陰で自分も食べられている訳で

私の場合、一人だったら超いい加減になって

偏食になってるのは間違いなし、だな。

 

  

新入りのふうりんおだまきがカワイイ

 

 

 


50%の亭主と30%の女房

2014-04-19 11:34:35 | 相方の脳梗塞

 

4月17日は 3年前 相方が脳梗塞で倒れた日でした。
ありがたくも ことし無事に3年目の春を通過中です。

いつも思っているわけじゃないけれど
相方の場合、3年間で再発する確率は50%
そして 次に脳梗塞を起こしたら
それはもう覚悟を...などといわれています。
癌と違い、なん年か無事に経過したから安心
とはいかないようで...
いつも赤信号が点滅していると思っているほうが良いようです。


言ってみりゃ 我々夫婦は再発率50%の亭主と
5年生存率30%の女房です。

なんだかなぁ...
サブソウでサチウスソウな夫婦だなぁ。。(´Д` )

でもですね、冷たい統計上の数字はともかくも
3年経った現在は はじめの頃の悲壮感はずいぶん薄らいで
それなりにそこそこのどかに暮らしているんです。
そもそも 我々団塊の世代の平均余命が
なんのかんの言っても あとそんなにある訳じゃないんですよね。

相方は今も元気にリハビリに通っています。
脚の状態は "やや改善" といったところ
歩くスピードがちょっとだけ早くなりました。
左手もやはり "やや改善" だけど
これは未だ 廃用手( 役に立たない手  (´・Д・)」)です。
眼科と耳鼻科に厄介な症状でかかっており
そして 相変わらずとほほなほど疲れ易いです。

でもですね、あれです  あれこれ不自由はあっても
元々のわりと能天気で明るい性格は変わりないんですよね。

今は外出もくっ付いて歩くこともないし
そういう意味では 互いの自由は確保出来ています。
これはとても重要なことなんです。
古女房は体調管理、食事、体重、睡眠に目を光らせているくらいです。


ところで、

ふたりの病気がかなり強烈な程度だったせいか
どっちの病気の方がマシだとか (・・?) 比べたことはありません。
ただ 病気したのが二人の内の片方だけだったら
どうだったろうって思うことがあります。

お互いがかなり我が儘で相手に求める方だったから
もし私が癌になっていなかったら
相方はもっと私に甘えていただろうし
私は彼の要求に応えようと頑張っちゃって
ヘトヘトになっていたのではないか、とか...


反対に彼が病気になっていなかったら
二度も癌をした私はもっと我が儘になって
相手を辟易させていたんじゃないかと思うのです。
今でも なにか頼んだり言おうとして
うっとことばを呑み込むことがあります。
この人には言えないんだ と思い直すんです。
それは相方も同じようです。



最近パートでいる病院のリハビリ病棟で
脳梗塞で重篤な状態の患者さんに接すると
身につまされ 他人事ではないな と強く思います。

相方の脳梗塞は まるで
ある日崖から突然 ゆっくり落ちていく みたいな経験でした。
それでも ようやく苦労して這い上がってきたのだから
残りの人生は穏やかなゆっくりしたものであってほしいです。