みんみん蝉やあぶら蝉の熱い声に混じって
つくつくぼうしの声が聞こえて来るようになりました。
先日、7月に受けたCT検査の結果を、ようやく 聞きに行ってきました。
あれやこれやはあるものの( 多分に老化による )
無事に4年目の検査を通過することが出来ました。
お騒がせしましたが
お陰さまで、ほっと胸をなで下ろしています。
( 紫のタピアン、ウチではお初の植物です)
今、きれいな夕陽の中で
つくつくぼうしの声を聞きながら 書いています。
4年前のきのう
8月9日は、私の卵管がんの手術の日でした。
あの夏、相方はまだ脳梗塞で入院中
入院中ながら、相方の父の葬儀を 私達は済ませたばかりでした。
私は背負っていた義父の遺骨を
慌ただしく 後飾りの白布の上に下ろし
誰もいない家の鍵を締め、自分が入院する病院に向かいました。
夫婦二人で同時期に 大病の津波に飲み込まれ
息子と娘は青ざめて
両親が入院する二つの病院を行ったり来たり~
良いことも悪いことも
この世では 往々にして、重なって起こるものですが
まあ、よくも重なったものよ、と呆れました。
4年前のあの夏は
私には 蝉の声も聞こえない、真っ白けな夏でした。
きのうのことのようでもあり
もう遠い日のことのようでもあります。
誤解を恐れずに言えば
いくら大病とはいえ、私たち夫婦くらいの年齢の癌や脳梗塞は
若い人の病気の重大さとは質が違う、と思っています。
けれど、日々の暮らしは、生きている限り続くのです。
ステージの高い、既に転移もある進行がんで
慣れない腎ろうを付け、身体の不自由な相方との暮らしは
全くもって想定外のこと
当時の私は 陰々滅々、真っ逆さまに落ち込んでいました。
だから
真っ白だったあの夏
4年後の夏に、まさか私がこんな呑気なブログを 書いていようとは
まったく想像出来ないことでした。
人生って、分からないことだらけ
予測不能なことだらけです。
まだまだ 経過観察の日々は続くのですが...
さて
手術から一年、治療が終わって5ヶ月という時に
いきおいで始めたこのブログですが
調子が悪くなってきたタブレットの買い替えと一緒に
ブログの仕切り直しをすることにしました。
こんな拙いブログですが
ブログのお陰もあって、元気にやって来れた
これは正直なところです。
そして なにより
こんな自己満足なブログでも、読んで下さる皆さまがあったから
今日まで続けて来ることが出来ました。
ブログはこれからも、続けていきたいと思っています。
結局また、実態は ボケ防止の
同じようなブログになると思いますが
コメント欄でお付き合い下さった皆さまには
共感頂いたり、教えて頂いたり、笑いあったり....
ブログを続ける励みでした。
どうか 仕切り直した後も、またお付き合い願えれば 嬉しいです。
再出発は まだいつになるか 分かりませんが
新しいブログの準備が出来ましたら
ここでお知らせさせて頂くつもりです。
ブログの仕切り直しは 少し前から考えていたことですが
お知らせが 唐突になってしまいました。
ごめんなさい。
それでは
長い間 「 卵管がんとハロハロ日記 」を読んで下さり
本当にありがとうございました。