卵管がんとハロハロ日記

団塊の世代の主婦の気まぐれブログです。
夫婦揃って大病したあと のんびり暮らしています。

真っ白だった夏~あれから4年 と ご挨拶

2015-08-10 23:05:40 | 病がらみのひとり言

 

 

みんみん蝉やあぶら蝉の熱い声に混じって

つくつくぼうしの声が聞こえて来るようになりました。

  

先日、7月に受けたCT検査の結果を、ようやく 聞きに行ってきました。

 

あれやこれやはあるものの( 多分に老化による   )

 無事に4年目の検査を通過することが出来ました。

 

お騒がせしましたが

お陰さまで、ほっと胸をなで下ろしています。

 

 

( 紫のタピアン、ウチではお初の植物です)

 

 

今、きれいな夕陽の中で

つくつくぼうしの声を聞きながら 書いています。

 

4年前のきのう

8月9日は、私の卵管がんの手術の日でした。

 

あの夏、相方はまだ脳梗塞で入院中

入院中ながら、相方の父の葬儀を 私達は済ませたばかりでした。

 

私は背負っていた義父の遺骨を

慌ただしく 後飾りの白布の上に下ろし

誰もいない家の鍵を締め、自分が入院する病院に向かいました。

 

夫婦二人で同時期に 大病の津波に飲み込まれ

息子と娘は青ざめて

両親が入院する二つの病院を行ったり来たり~  

 

 

良いことも悪いことも

この世では 往々にして、重なって起こるものですが

まあ、よくも重なったものよ、と呆れました。

  

4年前のあの夏は

私には 蝉の声も聞こえない、真っ白けな夏でした。

 きのうのことのようでもあり

もう遠い日のことのようでもあります。

 

 

 誤解を恐れずに言えば

いくら大病とはいえ、私たち夫婦くらいの年齢の癌や脳梗塞は

若い人の病気の重大さとは質が違う、と思っています。

 

けれど、日々の暮らしは、生きている限り続くのです。

ステージの高い、既に転移もある進行がんで

慣れない腎ろうを付け、身体の不自由な相方との暮らしは

全くもって想定外のこと

当時の私は 陰々滅々、真っ逆さまに落ち込んでいました。

 

だから

真っ白だったあの夏

4年後の夏に、まさか私がこんな呑気なブログを 書いていようとは

まったく想像出来ないことでした。

 

人生って、分からないことだらけ

予測不能なことだらけです。

 

まだまだ 経過観察の日々は続くのですが...    

 

 

 

 さて

手術から一年、治療が終わって5ヶ月という時に

いきおいで始めたこのブログですが

 調子が悪くなってきたタブレットの買い替えと一緒に

ブログの仕切り直しをすることにしました。

 

こんな拙いブログですが

ブログのお陰もあって、元気にやって来れた

これは正直なところです。

 

そして なにより

こんな自己満足なブログでも、読んで下さる皆さまがあったから

今日まで続けて来ることが出来ました。

 

ブログはこれからも、続けていきたいと思っています。

 結局また、実態は ボケ防止の

同じようなブログになると思いますが    

 

 

 コメント欄でお付き合い下さった皆さまには

共感頂いたり、教えて頂いたり、笑いあったり....

ブログを続ける励みでした。

どうか 仕切り直した後も、またお付き合い願えれば 嬉しいです。

 

再出発は まだいつになるか 分かりませんが

新しいブログの準備が出来ましたら

ここでお知らせさせて頂くつもりです。

 

ブログの仕切り直しは 少し前から考えていたことですが

お知らせが 唐突になってしまいました。

ごめんなさい。

 

それでは 

長い間 「 卵管がんとハロハロ日記 」を読んで下さり

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 


こわいよ蜂窩織炎

2015-07-04 11:07:47 | 病がらみのひとり言

 

記事の最後に見苦しいナマ腕の画像があります 

ご注意下さい ‼️

 

私は 右側の脇の下のリンパ節と、お腹のリンパ節を郭清していて

右腕と下半身に軽いリンパ浮腫があります。

虫刺されや怪我で怖い蜂窩織炎になった場合、面倒なことになるので

日ごろから かなり注意深く生活しているつもりでした。

 

月曜日の夜

ソファに横になって 錦織君のウインブルドンを観戦中

フト気がついた右腕の虫刺され

蚊に刺されたのとは ちと違う感じでしたが、大したものではなく

いつもの虫刺されの塗り薬を塗って寝みました。

 

火曜日は

友人たちと約束があり一日中外出。

しか~し、外出先で 段々赤く腫れてくる虫刺されの跡

健全な左腕ならそれ程気にしないのだけど、問題の右腕

帰宅後、急いで手持ちの軽いステロイド剤を塗りました。

赤く腫れ 触ると熱を持っています。

氷で冷やしたりもしました。

 

水曜日

発赤が引かない虫刺され跡、蜂窩織炎の心配で頭がいっぱいになりつつ

病院のパート勤務に行きました。

そして 同僚に勧められ、 勤務している病院の皮膚科を受診することに。

 

初めて受診した皮膚科の先生は虫刺されの腕を診て

私が右脇の下のリンパ節を郭清していることを告げると

「 あぶないあぶない!湿度が高いこの時期は感染症に充分注意が必要です。」

ここは ちょっと強いステロイド剤を使いましょうと。

リンパ節郭清後の蜂窩織炎の怖さをよく分かっておいででした。

 

 処方された塗り薬

 

さっそく 処方されたステロイド剤を塗りつつ

家に帰った夕方、以前、世田谷のHリンパ浮腫専門クリニックで

発赤、発熱時 服用として処方され 持っていた頓服薬を服用しました。

翌日もパートのしごと、そしてHクリニックは休診日と分かり

待ってはおれないので、自己判断での服用です。

 

抗生剤ケフポリン

 

木曜日

病院の勤務時は 剥き出しの腕では感染が怖いので

発赤場所にクスリを塗り、でっかいキズ絆創膏を貼って過ごしました。

 

赤く腫れたところはしばらく熱を持っていましたが

幸い、身体の発熱もなく、腕そのものが腫れることもなく

水曜日をピークに虫刺されの腫れは引いて行きました。

 

こんな虫刺されで~? と思われるでしょう。

けど私は、Mちゃんの長野のお母さん( あの漬物名人 )や友人が

リンパ節郭清後に蜂窩織炎になり、とても苦しんだのを目の当たりにしています。

なので、この一週間は、スワ❗️と、かなりドキドキで過ごしました。

 

そして、昨日の金曜日、頓服薬を処方されたリンパ浮腫専門のHクリニックに

事後報告だけれど、虫刺されによる発赤以降の経緯と

頓服薬の使い方は間違っていなかったかを 電話相談しました。

 

電話の向こうで、リンパ浮腫専門のH先生は私のカルテを見ながら

「 頓服薬の使い方はそれで良かったです。けれど その頓服薬はもう7年前の薬ですね~

10年前のビスケットを食べたみたいに ヨロシクありません。」と

手元のクスリ袋を見たらば、ほんとだ!平成18年と書かれていました。

アチャ~~~‼️

いくら何でも7年前とは~

ひどいなワタシ

あ~~知らずに時は過ぎ~る~  I don't know ~

さいわい 古い薬の服用後、具合は悪くなりませんでしたけど。

 

 

これ、きのう撮った画像です   ↓ ↓ ↓   

もう熱感はなく、腫れも引きました。でもまだ赤いでしょ?

こんなにしつこいのは一体なんに刺されたんだろー

いましばらく塗り薬を塗りつつ感染症に注意しようと思います。

 

この夏は、虫刺されにもっと注意をして過ごさねば~

皆さまも虫刺されと その後の感染症には。充分お気をつけ下さい 。

 

 

 

 


充実したフォーラムでした

2015-05-19 08:27:27 | 病がらみのひとり言

 

先週の土曜日、5月16日 

卵巣がん体験者の会、スマイリー主催の

「 東京卵巣がんフォーラム2015 」に行って来ました。

 

最近は がんより老化の方が気になる私のブログ...´д` ;

けれど一日でも がんのことを忘れる日はないのでありまして

サバイバーとして とても充実した一日になりました。

 

プログラムは~

⚫︎東京卵巣がんフォーラム開催にあたって/卵巣がん体験者の会スマイリー

⚫︎新しい生き方~女の道は一本道か?
  桜井なおみさん( NPO法人HOPE★プロジェクト理事長)

⚫︎卵巣がんについて
  喜多川 亮先生( NTT東日本関東病院 産婦人科 )

⚫︎再発卵巣がんについて
  勝俣 範之先生( 日本医科大学武蔵小杉病院 腫瘍内科 )

⚫︎卵巣がんの痛みについて
  藤村 正樹先生( 東京医科大学茨城医療センター 産婦人科 )

⚫︎質疑応答

 

感想です。

午前10時から一時間の昼休みを入れて午後5時まで

聞き逃せない内容が満載、気が付くとどっぷり集中していて

そして、あっと言う間に終わっていた

そんなすごく内容の濃いフォーラムでした。

 

全国から集まった患者とその家族で会場は熱気ムンムン

質疑応答の時間も真剣なやりとりで埋められました。

それでいて一日、大して疲れを感じなかったのは

先生方の患者に寄り添おうとする真剣な思いのせいではなかったのか、と。

 

そして、私が治療を受けていた3、4年前とは

治療法や緩和ケアの概念がずい分と変わってきている、と思いました。

本当に医療の世界も日進月歩なのですね。

それには私たち患者も患者力をつけなくちゃ、と改めて思った次第。

 

先生方のお話しの中で、私が覚えておきたい と思った言葉です。

「 あせらず、あわてず、あきらめず 」

「 知は力なり 」

「 勇気を持って医療従事者と対話を 」

 

世話人の方々の気配りにも感激しました。

フォーラムのあと、先生方も参加された懇親会に出席。

こちらでは皆さんと沢山のエネルギー交換ができ

夜8時過ぎ、足どりも軽く帰宅しました。

 

 

 

  

 


修道院の庭と耳のこと

2015-05-16 07:37:05 | 病がらみのひとり言

 

 

 病院のパート勤務の帰り

 

いつも気になっている病院のとなりの修道院のお庭

 

立ち止まって、ちょっとのぞき込んでいたら

 

ちょうど水遣りをしていたシスターが、どうぞ ...^ ^ と

  

 

 

中に入れて頂きました。

 

手入れのゆき届いた素敵なお庭

 


 

写真を撮らせて頂いてもいいですか?

 

それなら裏庭の方が綺麗ですよ。

 

色々なお花が咲き乱れて華やかだけれど、静けさのあるお庭でした。




 

 

最近 耳が遠くなっているようで

きのう同僚に指摘されました。

初めてじゃない指摘なので 落ち込みます。

 ボーッとしていて集中力に欠けているのかも...


私は抗がん剤の後にも一時的に聴力が落ちました。

検査では正常範囲内だったけど、下の方でした。

 

難聴が少しずつ進んでいると

自分では気が付かないのかもしれない。

仕事に支障が出てきたら 笑えない事になってしまうので

来月の定期検診の時に耳鼻科も受診しようと思っています。

それとも85才の女医さんか...

 

耳鼻科、眼科、婦人科 それと歯医者にも行かなくちゃ

あ~ 忙しい

老化でござりまする~

 

 

 

 

 


「 役に立たない日々」と佐野洋子さん

2015-04-22 00:03:55 | 病がらみのひとり言

 

佐野洋子さんの最晩年のエッセイ「 役に立たない日々」

いつかこの本のこと書きたいと思っていました。

佐野さんは「百万回生きたねこ」などの絵本や沢山ののエッセイを残して

2010年に72才で乳がんのため亡くなられました。

 

本の内容は、2003年から2008年までの佐野さんの日常です。

自分の老いや呆けにあきれつつ、日々を淡々と、時に熱く、自然体で語っていて

途中の2004年に乳がんが発覚するのだけど

がんになったことも実にあっけらかんと書いています。

 

佐野さんのエッセイは佐野さんが谷川俊太郎さんと結婚されていた頃から

何冊か読んでいて、その頃から、そこそこそれって真理だよね~っていう

痛快な語り口が好きでした。

最晩年のこの本には あの頃とはずいぶん違うようでいて

やっぱり変わらず豪快で繊細でそして正直な佐野さんがいます。

 

私はこの本を二回読みました。

一回目は たぶん(笑)病気になる前の2010年頃

二回目は 一年くらい前、本好きのムスメに勧められて彼女に借りて。

前に読んだのをすっかり忘れていた私は

真夜中にひとり、同じ箇所を読んでクックと笑い

半分くらい読んだところで、オヤッ??と思い

前に読んだのをやっと思い出し ヒャッ!!っとなり

本棚に同じ本を見つけてドーッ と落ち込みました。

落ち込んだけど思いました。

何回も新鮮に笑えるなんて、なんて偉い本だ。( ちょっと言い訳 笑 )


 

岡本かの子は晩年「 いよよ華やぐ命なりけり」とうたった。~ ~ 華やがないこころになってしまうと気楽だなあ、あーもう男なんか真っ平だ。

( コーヒー屋で朝食を食べながら)
史上始めての長寿社会での私達は、生き方のモデルを持たずに暗闇を手探りしながら、どのような朝めしを食うかを開発せねばならない。

( 惚けてしまった母との会話)
「 母さん、私しゃ疲れてしまったよ。母さんも九十年生きたら疲れたよね。天国にいきたいね。一緒に行こうか。どこにあるんだろうね。」
「 あら、わりとそのへんにあるらしいわよ」          

                                                                        

 

落ち込んでいる時読むと励まされます。

それはたぶん 佐野さんの肩の力が抜けているから。

落ち込んでいる時、立派な考えの本など読みたいと思いません。

アハハと笑ったあと、しょうもない自分の生活も頭の中も

これでいいのだ、と思えてきて元気になっています。

人は寝て起きて食べていればなんとかなるんだ、と思えてきます。

 

いま私は ちょうど佐野さんがこの本を書いた頃と同じ年頃。

人間が出来てない私はとうてい佐野さんの境地にはほど遠いい。

だから、また落ち込んだ時、お世話になるに違いないと思い

この本は手放さないで本棚にあります。

 

でも 亡くなったあと出版された 「 死ぬ気まんまん」は辛くて読めませんでした。

 

...

 

いつだったか前に、調子に乗って、読んだ本や観た映画に☆印いくつ、なんて

私にしては大それたことを書いたような気がしますが  

あれはやっぱり止めておきます。

だいたい読書家じゃないし、映画は面白くないと途中で寝てしまう方だし。

なので、書くのはとても良かったと思ったものです。

読書については、最近ネットの世界をうろつくようになってから

ますます遠ざかってしまったと反省しとります。