ホタルの季節ですね。
これは相方が子ども時代のホタルの思い出を
天の川のほとりに住む仙人に送ったメールの文で ← 説明が長くなるので省略
私にも CCで送ってくれました。
いつもの相方の 病気絡みの文章ではないけれど
同世代の私が共感したので、写すことにしました。
☆ ☆
小学校低学年の頃、杉並区高井戸の社宅に居ました。
昭和も20年代末で、杉並区も牛が畑道を歩き、汲み取りが来た時代です。
社宅は関東大震災や空襲を生き延びた大正建築、広い庭で鶏を飼い、トウモロコシやトマト、キュウリを作っている長閑かな生活でした。
社宅の前の道を数歩で渡り、ゆるい坂を十数メートル西に下ると、右手の土手下一面は水田が広がり、向こう側の井の頭線の線路の土手まで続きます。
土手沿いの小川の水は、田んぼに取り入れていてとても冷たく、丸太や板を渡した危ない橋を行き来して、ザリガニ取りやオハグロトンボ取りに、大きな子達の後をついて、泥んこになって遊びました。
梅雨の前後だったでしょう。居候の兵隊帰りの伯父さんは、夕焼けのあとの暮れはじめた星空に、風呂上がりのふんどし一つ、下駄で門を出ます。
当然、ちびっこの私は団扇を持ってついて行きます。
向こう側の線路を走る小さな二両連結車両は、高井戸の駅から富士見ヶ丘の駅の、一分とかからない距離を、暗がりの中に灯りを点けて、田んぼの向こう 上手から下手へとゴトゴト走る姿を、全て見せています。
土手の坂を、草に滑りながら下り、田んぼの畔に立つと、一面はホタルの海です。
団扇でホタル狩りして、伯父の大きな手に何匹か捕獲すると、家に帰って蚊帳に放すのが、子供心に夏の至福の醍醐味でした。
蚊帳に留まり、反対側へと飛び渡るホタルの淡いひかりに寝ついた日々は、東京オリンピックの10年前の取り返せない時代の記憶です。
20年前に訪れた坂道は、土手から線路まで川を残して埋め立てられた住宅街になり、小川は護岸工事された神田川になっていました。
もちろん、肥え桶車を牛に引かせて横切っていたバス通りは、今は環八と名乗っている幹線道路です。
火野正平に手紙を書いても、私の心の風景を覗きに行くことは期待出来ませんね。(笑)