運命

2008-04-22 17:30:42 | 日記風
 少女の頃の読んだ話で大好きなものがありました。

 ある愛し合う男女が何度生まれ変わっても添い遂げようとする話。
 女の子は1度は憧れるストーリー展開だ。
 
 「運命」を感じてしまうのよね。

 今、思えばそれほどまでに惹かれる相手ってのはどんだけの魅力があるんだと冷静に考えてます。

 この「運命」の相手って言葉に翻弄されてる。

 私の両親の関係をある霊媒師の方に言われたことがあります。

 2人は前世でも夫婦で、特に因縁があったわけではないけど、今世で巡り逢いまた一緒になった。

 ・・・。

 現実を知ってるだけに1番それとは程遠い関係だろうと思っておりましたが。
 それも1つのきっかけだったんでしょうが、その頃から「運命」という言葉から解放されつつあります。

 「運命」って言ったって、本人がそう思いたいって思いがかなりの確率で含まれてる。
 恋してる人に偶然逢う確立が多ければ「私達って運命?」って思うけど。好きでもない人にしょっちゅう逢っても「・・・なんで?」としかならない。

 チョイスしてるんじゃないかな。
 自分で都合の良いように。
 
 好きだから、その人が出没しそうな場所につい足が向いてしまうのはある。
 それで逢えれば「運命」となるし。
 
 逢えなくてもそれはそれでおいといて気にしないんじゃ・・・。

 「運命」はその時その人のことをどれだけ思ってるか考える度合いでしかない。

 そういうロマンチックを卒業しちゃったから、未だ私には「運命」て奴がないのかもしれない。

きらきらっ

2008-04-22 13:00:24 | 日記風
 恋をするってどんな感覚だったろう?
 思い出せなくなった。

 この世でたった1つの宝石を見つけるような感覚だったろうか。

 宝石と呼べない石に宝石のような価値を見出すことだったろうか。

 多分後者だ。

 そうかー。
 
 私のことも、ただの石でしかない私を、宝石のように思ってくれたら・・・そりゃ嬉しいな。
 
 私も気分だけはきらきらした気分になるかな。

 誰かを愛せるだけできらきらした気分になれたら、そりゃ幸せだよな。

15歳

2008-04-22 00:03:16 | 日記風
 可愛いノートが好きだ。
 やたら買った。けれど使わない。ただとってある。これがもう・・・20年近く。

 これはただだの場所塞ぎにしかなっていない。 

 余裕が出来たので、新しい物語を作ろうと思う。

 昔、書いた物をーそれこそ未完で終わったものーをちゃんと書き直してみようと思う。

 どうせなら、その当時の登場人物の名前でいこうと思った。
 ストーリー自体は大幅に変っても。
 
 新しく名前をつけるのが面倒なのではありません。

 そこまで変えてしまうと、未完で終わった話を終わらせている感じがなくなってしまう。
 
 ずっとその当時、ストーリー案を書きつけていたノートを探すんだけど、いかんせん古くて出てこない。
 
 昔、過ぎるのであった。

 お陰でかつて自分がつけてた日記帳なんてものを見つける。

 一時時事ネタを書き入れたことがあるらしく、あーこの頃はこんな事件があったのねーって書きとめてる。
 
 私なりに社会を認識しようという試みだったのだろう。
 
 目的のノートを凄い沢山の未使用のノート群の中から発掘する。
 
 私、昔の方が登場人物の名前をまともに付けてたんだな。
 まともって言うか、普通の名前付けてた。 
 
 今はやたらとヒロインの名前の付け方が少女趣味なのよ。
 人は年を取ってからの方が少女趣味に目覚めるのだろうか・・・。

 あの頃は・・・(っていつですか?)少年少女を主人公にする時、15歳って言うのがボーダーだった。
 
 世間に向けて反骨するなら、17、18歳が普通。ちょっと若めに設定すると15歳ね。
 受験がらみとか、その頃の時代背景がものを言ってたと思う。
 
 15歳以下に設定すると完全な子供向け小説になったいた。
 ・・・だったと思う。
 
 今はもっと下がってる。
 
 ある頃から、14歳が1つのボーダーになりました。今なら12、3歳でもエンターテイメントの主人公の年齢設定としてはありです。

 時代が変わったとこんな所からも読み取ることができるのです。

 でも実際の12、3歳が現実をどう見てるかというと・・・結構シビアに現実知ってる気がするな。
 私が12、3歳の時であってもヒール履いたりパーマかけたりはどこか普通だった。

 中学などに入ると厳しくなるけど、小学校時代って逆に自由だったから。

 今の12、3歳も結構色々判ってるんじゃないかな。その年齢ならではの世間の見方は確実にしてるから。

 しかしどんどん年齢が下がるもんだ。
 
 下がるのはいいが、そうすると人間、20歳になる頃にはもう十分世間に疲れ果ててる気がする。

 それはけして嬉しいことじゃないと思う。