スプレーの雨

2008-04-07 19:50:34 | 日記風
 スプレーを噴射させたように突然細かい雨が降り出す。
 ちょっと不思議な降り方だなと思う。

 ウォーキングに出ようとしたら、スニーカーと足首が微妙に靴に擦れた。昨日、靴下が短くて擦れてちょっと傷んだんだけど、昨日の時点ではどうってことなかった。

 ま、いいかなぁーと思ってそのまま出発したら帰ってきたら流血沙汰になっていた。

 痛かったんだけど、ま~、平気か?と思った。

 平気じゃなかった。

 靴下は洗えばいいけど靴のべっとり血はどうしたらいいのかな…。
 履いてれば判らないんだけど脱ぐと足首が当たる辺りが…かなりの血液のシミになっている。色が変われば血液とは判らなくなるだろうけど、汚いことにはなるなぁ。

 スプレーの雨の隙間をぬってちょろちょろと出かける。
 しかし忘れた頃にふとスプレーのように噴射し、いつの間にかやむ。

 変な雨だ。

花びら・・・流れ・・・

2008-04-07 17:05:31 | 日記風
 美しいかどうか、び、微妙…ですが。

 こんな光景もあろうな、と。

 あの爛漫、さらさらと散りゆく先にはこんな光景も待っていた…と。

 ちょっと心の底に留めて置いて?

 「こりゃダメだね」
 お子様は一言で切り捨てた光景だけど酸いも甘いも噛み分けた大人はそこに人生の中かをきっと垣間見る筈さ。

お子様のブロッコリー

2008-04-07 09:59:25 | 日記風
 お母さんがブロッコリーを子供に食べさせていた。
 子供・・・、いくつくらいなんだろう?2歳・・・くらいなのかなぁ。
 サラダ用に添えられていたものだから、普通のお子様ならかぶりつけば十分食べれるサイズだ。お母さんはそれを細かく裂いて子供のお皿に入れていた。

 ブロッコリーってあんな風に裂けるんだってそれにも感心した。あんな風に子供に食べさせるんだ…。
 「ちゃんと食べたね。えらいね」
 みたいな親子のほのぼのシーンが展開されていた。
 
 こういうシーンはやられる。

 遠い昔も、お父さんが膝に抱いて子供に鶏の身を小さ裂いて食べさせているのを見た。

 凄いほのぼの光景にまだ私自身がその当時子供だったにもかかわらず、親の愛ってこんなものかなぁと思っていた。

 だから長らく記憶に残る光景だった。

 なのについ最近ある事実がこっちの父子の件に発生した。
 父子両人じゃない。奥さん。子供のお母さんね。
 「よその子は抱いてやっても自分の子は抱きもしないんだから」
 奥さんはどうもこういう光景が記憶にないらしい。

 私は憧れの光景くらい脳裏に焼き付いているのに。当の奥さんが…。
 人の面倒は見るけど、自分の子は後回しって感じが強いんでしょうね。
 人の子供の世話をするだけでもそれも凄いことだけどね。

 よその子も自分の子も同じように手間暇かけてたら疲れるから、我が子は時にぞんざいになるかもしれない。奥さんにすればそれが日々と積み重なると色々言いたいこともあるんだろう。

 でも他人の子に愛情を注げるのも長い目で見るとほんの一時のことでしかない。最後の最後まで総トータルで心を注げるのは我が子だけだろうから。

 人は全てのことをずっと覚えている訳じゃない。時に自分にとって都合のいい記憶だけが甦ってしまう。

 特に子供の親に対する記憶なんてまさにそうでしょう。
 妻の夫に対する記憶もそういう所があるのかな…。

 そうすると悪いことだらけと思ってしまいがちな自分自身の人生も、そうだったりするのかしら。

 良いことは風が吹いたかのように忘れ去り、悪かったこと失敗ばかりが単に記憶の中で増幅されて・・・。

 もしかして。
 そうかのかな?