福島県飯舘村にいる。
飯舘村で、唯一の帰還困難地域の長泥地区。
その区長さんと、私は、5年にわたって信頼関係を創ってきた。
▼長泥地区に入るバリケード
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/ff/a132a0e19fa2705b3b84ba24ae19666a.jpg)
信州こども山賊キャンプに、飯舘村のこどもたちを招待しようと、避難宿舎を訪れた。
5年前のことである。
初めて出会った私に、区長さんは辛口だった。
それでも「おい、これであきらめちゃいげねど。俺に言われたくらいで来なくなるならそれまで。困難なことに立ちむかうことが大事。また来いや」と帰り際に笑顔で言ってくれたことを思い出す。
以来、40回ほど足を運んでいる。
もちろん、飯舘村のこどもたちを山賊キャンプに招待した。
今では、福島に立ち寄れば、酒を酌み交わす関係だ。
仙台で仕事があった時、帰りに福島で2時間だけ途中下車して、飲んだこともある。
今後は、私はもちろん通うけれど、若者をもっと連れて行こうと想う。
若者だけではなく、様々な人を。
そして区長さんの話を聞いてほしい。
▼28万個ものフレコンバック(放射能汚染物質の袋)が村内に置かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/2b/2467a46ba508fc360f6585aed567273f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/d5/5b795b62324c6963d471d6f0671e0740.jpg)
飯舘村は、事故後1日、2日で避難した富岡、浪江、大熊などと事情が違う。
30キロ圏外ということで安全と言われていたがゆえに、1ヶ月以上もそこにとどまってしまった。
国や県はその危険な情報を握っていたにも関わらず。
情報を隠され続けたひとびと(こどもや妊婦を含む)が浴びた、1か月間の線量は、どれほどのものなのか。
その検証も、そして隠し続けた反省もないままに、今、再稼働に突き進む日本に、飯舘村の住民はどう想うのか。
この4月に、長泥地区以外の飯舘村は、帰村となった。
それがもたらす住民への影響はどうなのか。
その声を、今、聞かなければならないと、強く想う。
▼驚くべきことに、フレコンバックを焼却する大規模実証実験炉が稼働していた。目を疑う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/d4/491798b9c47cba3d95f458203e1947d1.jpg)
もし、聴きたいという人がいたら、行きましょう。
一緒に。
歴史の証人が失われないうちに。
今回も、しこたま飲んだ。
昨日の山形と同じく、方言がきつくて何を話しているかわからなくなった(笑)
5年前のこどもたちはもう高校生。
夏、熊本の被災児童を招待する山賊キャンプに、ボランティアでおいでと呼びかけた。
こうして豊かな縁が紡がれていく。
飯舘村で、唯一の帰還困難地域の長泥地区。
その区長さんと、私は、5年にわたって信頼関係を創ってきた。
▼長泥地区に入るバリケード
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/ff/a132a0e19fa2705b3b84ba24ae19666a.jpg)
信州こども山賊キャンプに、飯舘村のこどもたちを招待しようと、避難宿舎を訪れた。
5年前のことである。
初めて出会った私に、区長さんは辛口だった。
それでも「おい、これであきらめちゃいげねど。俺に言われたくらいで来なくなるならそれまで。困難なことに立ちむかうことが大事。また来いや」と帰り際に笑顔で言ってくれたことを思い出す。
以来、40回ほど足を運んでいる。
もちろん、飯舘村のこどもたちを山賊キャンプに招待した。
今では、福島に立ち寄れば、酒を酌み交わす関係だ。
仙台で仕事があった時、帰りに福島で2時間だけ途中下車して、飲んだこともある。
今後は、私はもちろん通うけれど、若者をもっと連れて行こうと想う。
若者だけではなく、様々な人を。
そして区長さんの話を聞いてほしい。
▼28万個ものフレコンバック(放射能汚染物質の袋)が村内に置かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/2b/2467a46ba508fc360f6585aed567273f.jpg)
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飯舘村は、事故後1日、2日で避難した富岡、浪江、大熊などと事情が違う。
30キロ圏外ということで安全と言われていたがゆえに、1ヶ月以上もそこにとどまってしまった。
国や県はその危険な情報を握っていたにも関わらず。
情報を隠され続けたひとびと(こどもや妊婦を含む)が浴びた、1か月間の線量は、どれほどのものなのか。
その検証も、そして隠し続けた反省もないままに、今、再稼働に突き進む日本に、飯舘村の住民はどう想うのか。
この4月に、長泥地区以外の飯舘村は、帰村となった。
それがもたらす住民への影響はどうなのか。
その声を、今、聞かなければならないと、強く想う。
▼驚くべきことに、フレコンバックを焼却する大規模実証実験炉が稼働していた。目を疑う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/d4/491798b9c47cba3d95f458203e1947d1.jpg)
もし、聴きたいという人がいたら、行きましょう。
一緒に。
歴史の証人が失われないうちに。
今回も、しこたま飲んだ。
昨日の山形と同じく、方言がきつくて何を話しているかわからなくなった(笑)
5年前のこどもたちはもう高校生。
夏、熊本の被災児童を招待する山賊キャンプに、ボランティアでおいでと呼びかけた。
こうして豊かな縁が紡がれていく。
代表 辻だいち