わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

【飯舘村の帰還困難区域:長泥地区の区長さんと創ってきた信頼関係】 ~今のうちに、聴きに行きましょう、生の声を~

2017年06月19日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
福島県飯舘村にいる。

飯舘村で、唯一の帰還困難地域の長泥地区。

その区長さんと、私は、5年にわたって信頼関係を創ってきた。


▼長泥地区に入るバリケード




信州こども山賊キャンプに、飯舘村のこどもたちを招待しようと、避難宿舎を訪れた。

5年前のことである。

初めて出会った私に、区長さんは辛口だった。

それでも「おい、これであきらめちゃいげねど。俺に言われたくらいで来なくなるならそれまで。困難なことに立ちむかうことが大事。また来いや」と帰り際に笑顔で言ってくれたことを思い出す。



以来、40回ほど足を運んでいる。

もちろん、飯舘村のこどもたちを山賊キャンプに招待した。

今では、福島に立ち寄れば、酒を酌み交わす関係だ。

仙台で仕事があった時、帰りに福島で2時間だけ途中下車して、飲んだこともある。



今後は、私はもちろん通うけれど、若者をもっと連れて行こうと想う。

若者だけではなく、様々な人を。

そして区長さんの話を聞いてほしい。


▼28万個ものフレコンバック(放射能汚染物質の袋)が村内に置かれている。







飯舘村は、事故後1日、2日で避難した富岡、浪江、大熊などと事情が違う。

30キロ圏外ということで安全と言われていたがゆえに、1ヶ月以上もそこにとどまってしまった。

国や県はその危険な情報を握っていたにも関わらず。

情報を隠され続けたひとびと(こどもや妊婦を含む)が浴びた、1か月間の線量は、どれほどのものなのか。

その検証も、そして隠し続けた反省もないままに、今、再稼働に突き進む日本に、飯舘村の住民はどう想うのか。

この4月に、長泥地区以外の飯舘村は、帰村となった。

それがもたらす住民への影響はどうなのか。

その声を、今、聞かなければならないと、強く想う。


▼驚くべきことに、フレコンバックを焼却する大規模実証実験炉が稼働していた。目を疑う。





もし、聴きたいという人がいたら、行きましょう。

一緒に。

歴史の証人が失われないうちに。



今回も、しこたま飲んだ。

昨日の山形と同じく、方言がきつくて何を話しているかわからなくなった(笑)

5年前のこどもたちはもう高校生。

夏、熊本の被災児童を招待する山賊キャンプに、ボランティアでおいでと呼びかけた。

こうして豊かな縁が紡がれていく。



代表 辻だいち